苦悶



「平穏」の続き。
弟とゆったり過ごす兄貴が“苦悶”するお話。
「当然、ククマルでガッツンガッツンだよねっ!?」
と思った人。置いてある場所から分かるように、 激しく健全な兄弟愛 話です。

























「兄貴、なにが食べたい?」

食卓の上に、色とりどりに並べられた豪華な食事。

ククールはそれを私に示し、笑顔で私に問う。



「どれでも美味なのだろう?だったらなんでもいい。」

私が返答すると、ククールは困った顔になる。


「なに?ほかに何か食べたいのあるの?だったら何でも言って、兄貴。オレ、何でも手に入れてきてあげるから。」

その口調があまりに必死なので、私はなにか適当に指をさす。

ククールはいそいそとそれをよそい、私に差し出した。




「…そんなに見つめられると、食べにくいのだが…」

一挙一動を見つめるククールに私が言うと、ククールは慌てて謝った。

「ゴメン…でもそれ、美味いだろ?」



私はそもそも修道院育ちで粗食に慣れているし、法王庁のあの“牢”の中の食事も罪人用としてはそれほどひどくはない。であるからして、私はさして食に餓えているわけでもないが、




「ああ、美味いよ、ククール。」

私は、あえて、そう答える。


ククールの顔が輝いた。



「だろだろ?な、もっと食べて。兄貴、これも美味いんだぜ?ね、沢山食べて…」

私は幼児の様に、ククールに食事の世話をやかれながら、食事を終えた。




まあ、いつもの事だが。









“法王の慈悲”とやらで。


確か、“法王”と“慈悲”の間に、あと五十フレーズは陳腐な形容詞がついていたと思うが、耳に入れたくもなかったので、私はそれしか覚えていない。


ともかく、法王庁お得意の偽善によって、私は、一定期間だけ、周期的に監禁から解放されることとなっている。



とは言っても、今更マイエラ修道院に顔を出せる義理もなく、かと言って他に当てもないとすれば、私を身元引き受けする者など、唯一の家族であるククールくらいしかいない。




かくして私は、その度にククールが郊外に構えた家に来ては、一定期間だけの“自由”を味わうのだ。


私の身に刻された烙印が、もちろん、その間も私の全てを束縛するにしても。






「兄貴、兄貴。なんでも言って、オレ、兄貴になんでもしてあげるから。」

食事が終っても、ククールは私にまとわりつく。



「…昼寝がしたい…」

私が答えるとククールは、笑顔で頷く。


「そーだよな、兄貴は疲れてるよなっ?あのさ、ベッド…すげえふかふかの奴があるから、そこで…」

「そこまで本格的に眠りたい訳ではない。寝転がる場所さえあれば…」

「ああ、芝生。オレ、ちゃんと庭の手入れもしてるから、そこで寝るのがいいよ!」

力いっぱい断言され、私は“出来うる限り最良の状態に手入れされた”庭の”その中でも更に最良な場所”を提供された。




私は、柔らかな草の上に寝転がり、しばし目を閉じる。

法王庁での生活は、あれはあれで平穏なものだが、それでも、大地の上で柔らかな光を浴びるというのも、やはり心地よいものだ。




私は目を開け、視線をやる。

やった先のククールの、それは見事にぶつかった。




「き、気にしないで。すぐあっち行くから…」

咎めもしないのに言い訳をする。

私は何も言わずに視線を戻すが、ククールは自らの言葉どおり、どこかへ行くことはしなかった。







ククールは、私が彼の家へ来るたびに、私にこう言う。


「オレ、兄貴が望むことならなんでもするから。何でも言って。」


そして、私が何も言わないうちに、美食でも、美衣でも、なんでも私に差し出す。

そしてただ、私の反応を窺う。


私が僅かでも良いと褒めれば狂喜し、反応しなければ、信じがたいほどの落胆を示す。



まるで、私が絶対的な王侯で、彼がその忠実すぎる奴隷のようだ。

実際は、彼は世界を救った勇者で、私はただの罪人であるのに。







どうしてその時、私はそんな気分になったのか分からない。


ククールのそんな態度は、もう何度も何度も繰り返されてきた事であったし、私もそ知らぬふりをしてやり過ごしてきたのだ。

どうせ数日で私はあの“牢”へ戻るのだから、ククールのしたいようにさせておけば良い、のは、分っている。










私は視線を上げ、一瞬たりとも私を、その青くも美しい澄んだ瞳から離すまいとする視線を見返した。


「あの、ゴメン…」

バツの悪い表情をするククールに、私は言った。



「ククール、聞きたい事がある。」



「な、なに?…なんでも聞いて!オレ、兄貴が聞きたいことならなんでも話す…」

私は、だから問うた。


断っておくが、私はもちろん、咎めようとした訳ではない。





「お前が私に望む事は、なんだ。」





ククールの端正な顔は、みるみる狼狽に包まれる。


「な、何言ってんだ…オレはただ、兄貴に喜んで欲しくて…だって兄貴は、あそこでは酷い目にあってるから…」

私は答えた。



「私は特に、酷い目にあってなどいない。」

「うそだっ!!」

ククールは鋭く叫んだ。



「うそだうそだうそだうそだっ!!兄貴は…兄貴は…ひどいめにあわされてる…兄貴はすげえ苦められてる…あいつらは、あいつらは兄貴を、オレの兄貴を…」






知られているとは思っていた。

さもなければ、あそこまで私を腫れ物に触るように扱う訳はないのだ。



私は当然、そんな事をククールに言いなどはしないし、法王庁が得意げに吹聴する事でもない。


まあ、どこから知れたかなどは、今更どうでも良い事だ。






「だから…だからオレは、兄貴がオレといる時だけは、いい気分で過ごしてほしくて…」


断っておくが私は、かつての私が得意としたように、皮肉を言った訳ではない。

心からの、本音を述べたまでだ。




「そんな事を案ぜずとも、あそこでの私の気持ちは、平穏そのものだ。」




なのに




ククールは地面に崩おれ、泣き伏した。






「ごめんなさい…兄貴…ごめんなさい…ごめんなさい…」

肩を震わせ、ククールは泣く。



「ごめんなさい…オレが生きて欲しいって言ったのに…言ったのに…兄貴ばっか苦しめてごめんなさい…」




私はククールの言葉の意味をしばし量り兼ねたが、ようやく、法王庁の追っ手に追い詰められたときの彼の言葉だと気付く。



「何を詫びる事がある?お前は私に投降を強制した訳ではない。ただ私が自ら、投降する事を選択しただけだ。」


私は返答する。

が。


「ごめんなさい…オレ、あんな烙印が兄貴に押されるなんて、知らなかったんだ…知らなくて…知らなくて…」


「心配せずとも、私も想像もしなかった。…確かに、あんなものを押されると分っていたら投降はしなかったかもしれないが、それは私の判断が甘かっただけの話であって、お前にはなんら責任がある事ではない。」


「ごめんなさい…法王庁の奴等が、手向かい出来ない兄貴に、あんなひでえ事をするなんて、オレ、想像もしなかった…」


「それは私とて同じことだ。だが、先ほども言ったように、もうそれは私にさして苦痛を与えることではない…」




「兄貴は、そんな諦観するような人じゃなかったっ!!」

私の言葉に、ククールはもう一度、そう鋭く叫んで、また涙声になった。


「兄貴は…兄貴はそんくらい痛めつけられたんだ…兄貴が…あんなに強い兄貴が…暗黒神だって精神力でねじ伏せた兄貴だったのに…そんな兄貴をボロボロにしたんだ、奴等は…ごめんなさい…そんな奴等に兄貴を引き渡したのはオレだ…ごめんなさい、ごめんなさい…」




私は、反論する言葉を失い、肩を大きく上下させてひたすら泣くククールを見つめる。




どうすべきか迷った挙句、私はククールに歩み寄り、かつて、我が父オディロ院長がよくしたように、そっとその頭を撫でた。


「兄貴…」

わっ、と更に大声を発し、ククールは私に抱きついた。




私はどうしてよいものか困り果て、ただククールの、長い銀色の髪を撫で続けた。


そしてククールも、私の胸に顔をうずめて、泣き続けた。










あまりに長い時間がたったので、私はククールに問うた。

「ククール…ならばお前は、私にどうして欲しいのだ…」


その言葉に顔を上げたククールの顔は、その端正な美貌が台無しになっていた。



出来る限り優しい口調で、私は再び問うた。

「お前が私にしてほしい事を言ってみろ…」


そして、付け加えた。

「私に出来ることなら、なんでもしてやる…」




「いやだようっ!!」

ククールは、幼児のように叫んだ。




「いやだよう、いやだよう!オレ、いやだよう!!兄貴があんな目に会わされるのはいやだようっ!!」


私は苦笑を浮かべながら、大きな図体をした弟を宥める。




「嫌と言っても仕方なかろう…」


「いやだっ!!オレはいやだっ!!」


そしてまた、ただひたすら泣き続けた。




私は、ただひたすらククールの銀色の髪を撫でる。

子どもを宥める母親のように、優しく撫でる。







私は思い出す。

ククールが、初めて修道院にやって来たあの日の、あの瞬間のことを。

両親がいちどきに死に、心細さを満身から発してやって来た、あの小さなククールのことを。



あの時、彼は私の言葉によって心細さから救われかけていた。

安堵の涙を浮かべ、私に微笑みかけた。


そして



それを突き放したのは、他ならぬ私だった。






後悔とは、まるきり無益なものだ。


何が起ころうとも、時は遡らない。

どれほど悔やんでも、何もやり直せない。



それでも、私は「仮に」というものを考えてみる。

「もし仮に」

私があの時ククールを拒絶せず、今のように抱きしめ、その髪を撫でて、存分に泣かせてやっていたならば、どうなったろう…と。





私は考え、心の中に苦悶が広がり、私の胸を締め付ける痛みを感じた。




もう、どうともならないのだ。


私にはもうなんの力もなく、未来はただ、黒く広がり、私を呑み込むだけだ。




ククールに、ただ一人残った私の家族に。


私はなんでもしてやりたいのだが、私はもはや何もできないのだ。




「いやだよう、いやだよう、いやだよう…」

ただひたすら繰り返すククールの髪を、私はただ撫でる。


女神に奇跡を祈ろうにも、私は当の女神に反逆した身なのだ。




「いやだよう…兄貴、いやだよう…」




私は、ククールの涙を癒す術すら持たない。


苦悶など、もはや私からは消え去った感情だと思っていたのに。




「兄貴、兄貴、兄貴、おねがい、おねがいだから…」


ククールにすがりつかれ、私はただ、苦悶する。








私は、どうすればよいのだろう…





2006/11/1




どうしてこの兄弟って、いっつもいっつも どうしようもない状況に自らを追い込む んだろうか(笑)
「マゾか、てめーらはッ!!」
と、北米版のアンジェロみたく、ツッコミ入れてやりたいです。



甘美 inserted by FC2 system