「シュークリームをご一緒しませんか、マルチェロさま?」
そんなマダムのお誘いの言葉に、マルチェロも頷きました。
「マダム、これはアスカンタから取り寄せた茶葉です。お入れしましょう。」
マルチェロは、茶を入れようとするメイドを制すると、自ら立って、温めたティーポットに茶葉を入れ、湯を注ぎました。
ふんわりといい香りが、部屋に広がります。
その香りを味わっているのは、
マダムとマルチェロ、二人きり
です。
「いい香りですね、マルチェロさま。」
微笑みながら仰るマダムに、マルチェロも返します。
「今の季節しか採れない、希少な茶葉だそうです。マダムにお喜びいただいて、恐縮です。」
マルチェロの言葉に、マダムも更に
微笑をお増しになり、
お言葉をお続けになります。
「でしたら、わたくしも手ずからシュークリームを並べませんとね。」
マダムは、優美な白磁の皿に、美味しそうなシュークリームをおのせになりました。
「マルチェロさまは、甘いものはお好きですか?」
マルチェロは、少し困惑した顔で返します。
「なにせ修道院育ちなもので…このような菓子類は、あまり口にしたことがありません。」
二人は、向かい合わせにテーブルに着くと、そっと視線を交わして、お茶を口にしました。
「爽やかなお味…」
「マダムのお口に合いまして、光栄です。」
かくして始まった
二人だけのティータイム
ですが、なぜかマダムは、お茶を口になされるばかりで、シュークリームに手をつけようとはなさいません。
だからマルチェロも、手をつけられずに、美味しそうなシュークリームはしばらく放置プレイにさらされることとなりました。
「失礼ですがマダム、シュークリームはお嫌いなのですか?」
さすがに痺れを切らしたのか、マルチェロはマダムに問いました。
しかし、シュークリームを一緒に食べようと誘ったのは、マダムのはずなのですが。
マダムは、
マルチェロの顔を見上げると、その瞳を覗き込みながら
仰いました。
「マルチェロさま、実はわたくし、生まれてこの方、シュークリームを口にしたことがございませんの。」
「…それはまた…どうしてですかな?」
マルチェロの、至極当然な問いに、マダムは返答なさいました。
「わたくしが実家におりました時分に、レイディとしての嗜みを教育されました。もちろん、テーブルマナーも厳しく躾を受けましたけれど、その際に、わたくしの母は申したのです。
『レイディはシュークリームなど召し上がってはなりません。』
と。ですからわたくし、こちらに嫁いでからも、一度もシュークリームを口にした事がないのです。」
「ほう、そのようなテーブルマナーがあったとは…寡聞ながら、初めて耳にいたしました。」
「博学なマルチェロさまも、やはり初耳ですか。実はわたくしも、この年になって今更ながら思いましたの。
小さい頃受けた教育だからといって、なにも、全てが正しいとは限らないのではないか
と。シュークリームを食べたからといって、その方が全て、淑女でないとは思いませんもの。ですからわたくし、
一念奮起
して、とりあえず
シュークリームを食べてみようと決意しました!!」
マダムのお顔には、
強いつよーい決意
がございましたので、マルチェロも紳士的に頷きました。
「素晴らしいお考えと存じます、マダム。」
「まあ、マルチェロさまもそうお考えになって下さいますか?」
マダムは、
とても嬉しそうに
仰いました。
「はい、マダム。私も今更になって、
自分を変えねばならない
と思うことが多々あります。幼少の時分に教わったことは、確かに自らの根本ではあるとは思いますが、それでもその後、
積み上げてきた自己の理性や見識
というものに照らし合わせて、
不合理、不見識、非常識と判断したものは、変更していくべきかと
愚考いたします。ですから、
マダムがシュークリームをお召しになろうとお考えになったのは、まことに喜ばしい変化かと!!」
たかがシュークリームを食べることに、そこまで
強烈な理由
をつけなければならないのが、マダムとマルチェロの愉快なところですが、もちろん
二人とも超大真面目
です。
「さて、マダム。ではまず最初に
何故にシュークリームを食すことが、レイディに相応しくないと考えられたのか
について、二人で考えてみましょう。」
「ええ、マルチェロさま♪」
マダムのお声の弾みっぷりは、
少々レイディには相応しくないお振る舞い
だったかもしれませんが、マルチェロもマダムも、それには気付きませんでした。
とりあえず二人は、
仲良くシュークリームを、じいっと見つめ
ました。
「マルチェロさま、わたくし思いますに、シュークリームはナイフとフォークで食すのが、とても難しいから、母はああ申したと思います。柔らかい上に、中にクリームがたっぷり入っておりますでしょう?レイディに相応しい一口の大きさに切るのは、とても困難だと思います。」
確かに。
シュークリームというのは、
一口で大口であむっと食べる
か、
半分かぶりついて、指についたクリームを嘗める
といった、
どう見てもレイディに相応しくないお行儀の悪い食べ方になる
お菓子です。
「ふむ…ではマダム、横からナイフを入れて、一旦、横に切断してから、一口サイズに切り分けるというのは如何ですかな?」
「いけませんわ、マルチェロさま。そんなことをなさっては、お皿にクリームがついてしまい、食べ終わった後のお皿が汚れます。
それはレイディの食後のお皿ではありません。」
レイディというものは、
見苦しいことをしてはならない
のです。だから、お皿をクリームで汚すなど、
まっことレイディに相応しくない
所業なのでした。
「では、上からナイフを入れるしかありませんな。」
ぷに
もちろん、シュー皮はへこんで、うまいこと切れそうにありません。
無理にそのまま押せば、やっぱりクリームが横から出て、見苦しいことになってしまうでしょう。
「やはりわたくしは、シュークリームを食べてはいけないのでしょうか。」
ちょっぴり悲しそうに仰る
マダムのお顔を見たからか、マルチェロは
昂然と言い放ち
ました。
「マダム、御気の弱いことを仰せになられますな。ゆっくりと切ろうとするから、シュー皮がへこむのです。
へこむ間もなく、瞬断すれば、それで済む事っ!!!!!」
ナイフを握るマルチェロから発される気迫が
殺気を帯びました。
どうして、
たかがシュークリームを食べるだけのことに殺気を放たねばならないのか
というツッコミをいれてくれる人間は、誰もいません。
2007/10/8
二人でティータイムという
フツーにほのぼのする以外にどうしようもなさそうな場面ですら、緊迫した雰囲気に染める
それがマルチェロアイデンティティーだと思います。
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