朧な春の月の一つのお話
元拍手話。
あえて「番外編」にしておきます。
「ねえ、お姉ちゃん。ロザリンドお姉ちゃんてば。」
10ほどの、濃い赤毛をした少年が、姉の銀色の髪をひっぱりました。
「なあによサーベルト、言っとくけど、このケーキは二つともあたしのだからね。」
小さな女神のような美少女の割には、意地汚い台詞です。
「…いいよ、お姉ちゃん、ケーキはあげるよ。どうせ欲しいって言っても『早い者勝ちじゃん』とか言うし。」
「ほふははっへんはん。」
銀色の髪をした、ロザリンドと呼ばれた美少女は、その外見に似つかわしくなくケーキを丸ごと頬ばりながら答えます。
「へ、何?」
青い宝石のような瞳をようやく弟に向けたロザリンドに、赤毛の少年は小声で「やれやれ、こんな姿おばあさまに見られたら…」と呟いた後で、表情を改めました。
「おばあさまのことなんだけど…」
「おばあちゃまが、どうしたの?」
「最近、ずっとご病気だけどさ…」
祖母の名が出ると、ロザリンドは二つ目のケーキを頬張ろうとするのを止めました。
「お風邪だとおっしゃってるけど…」
「うん、分かるわ、サーベルト。お風邪なのは本当だろうけど、なんてゆーか…元気がないのよね。」
「うん、それだけじゃなくて、僕、聞いたんだ。おばあさまがベッドで空を眺めていらっしゃる時に、鳥が飛ぶのをご覧になるたびに、
『ああ、また青い鳥ではありませんね。』
っておっしゃっているの。」
「青い鳥?」
ロザリンドが不思議そうに問い返しました。
「おばあさまはおっしゃるんだ。
『青い鳥が来たら、その時は…』
って。」
サーベルトは、濃い赤毛を軽く揺らすほどの、深い溜息をつきました。
ロザリンドも弟の顔を見て、心配そうな顔になりました。
「ん?オレの愛するリトルハニー、そしてチビ助、どうしたんだ、二人して暗い顔で。」
「パパっ!!」
ロザリンドは父に駆け寄ります。
父は、自分と同じ色の髪の毛を撫でながら言いました。
「今日も本当に愛らしいね、オレのリトルハニー。さっすが世紀の美青年たるオレの愛娘。そんな君にそんな顔は似合わないよ。何でもパパに言いなさい。」
一生懸命事情説明をするロザリンドの後ろで、サーベルトは小さく「お父さんはいつまで『美青年』を自称するんだろう」とツッコミましたが、幸い、父親には聞こえなかったようです。
「そっか、お姑さまが、ね…やっぱ、今でも兄貴のコト…」
「あにき?」
ロザリンドが不思議そうに小首を傾げます。
父親は、しばらく俯いて考えます。
サーベルトは聡い子でしたから、父親の謎の台詞を考え、そして控えめに、
「もしかしておばあさまには、会いたい人がいるの?」
と父親に問い掛けました。
「…利口だな、チビ助。」
父親は驚いた顔をして、サーベルトの濃い赤毛を二、三度叩きます。
「会いたい人がいるなら連れてきてあげればいいのよ。パパ、その人はどこにいるの?」
父親は、少しさびしそうに微笑んで答えました。
「『女神さまのお膝元』さ。」
「…」
「…」
ロザリンドとサーベルトの姉弟は、顔を見合わせて一様に落胆しました。
「…おばあちゃま、このままずっと元気がなくなってったらどうしよう…」
ロザリンドが弱気な言葉を発します。
お行儀が悪いだの、それでもレイディですかはしたないだの、いつもさんざお小言を食らってはいますが、ロザリンドは祖母が大好きなのです。
「お父さん、もう亡くなっている人だったらそりゃあ会えないけれど、何とか、少しでもその人のことを思い出せるものはないの?」
落胆する姉の姿を見て、サーベルトが父に問いかけます。
おやつを取られたりだの、パシられたりだのと、いつもさんざ遊ばれてはいますが、サーベルトは姉思いの良い弟なのでした。
「…」
とんとんとん
父親は、形の良い指で小さくテーブルを叩き、そして暦を眺めました。
「満月か…おお。」
父親の顔に笑みが浮かびました。
「オレの大事なリトルハニーとチビ助、喜べ。もしかしたら何とかなるかもしれねーぜ?」
「本当?パパ、大すきっ!!」
「はっはっは、パパも君のことが大好きさ。じゃ、支度をしよう。動きやすい服に着替えておいで。」
「どこかに行くの、お父さん?」
「ああ、ちょいとしたピクニックさ。おっと、ママが帰って来ても、ママにはナイショだよ。」
父親はそう言って、唇に指を当てました。
「どうして?悪いことするの?」
「いや、ちいとも悪いことじゃねーけど…バレたら
『あんた、何、子どもに危ないことさせてんのっ!!』
って、ママの顔が、ママの髪の毛とおんなじ真っ赤になっちまうからな。まったく、自分だって元は相当、ムボーなコトしたお転婆娘なのによ。」
父親のルーラで、ロザリンドとサーベルトは一瞬でどこかに飛びました。
「パパ、ここどこ?」
「ここはな、アスカンタのお城の近くさ。」
「パヴァン王さまのお城の?」
「ああ、そうさ。まったく…懐かしいなあ、あの時以来か…」
サーベルトは、その言葉にピンと来たようでした。
「お父さん、もしかしてここって『願いの丘』?登り切ったら願いがかなうっていう…」
「えっ?じゃあ、あたしたちもここを登ったら、おばあちゃまの会いたい人に会えるの?」
父親は、微笑みます。
「あいつが引っ越しでもしてなきゃ、な。」
余裕でいるようで、どこか疑わしげな瞳をしていますが、子どもたちはそれに気付かないようです。
「やったー!!じゃあがんばって登るぞーっ!!」
「おーっ!!」
二人して、願いの丘を駆けあがり始めました。
「つ、着いたー。」
「そりゃそうよ、そんなに荷物持ってくるんだもん。でもあたしももうダメ、あたし、足が棒になりそう、てかなった…」
そう言いながらも満足そうな二人に引き換え、父親は軽く舌打ちしました。
「クソ、こういうオチかよ…」
「どうしたの、パパ?」
父親は答えずに、ボロボロに崩れている、おそらく元は壁であったろう残骸を手に取りました。
空には月。
大きな大きな月が空に昇り、窓枠が地面に影を投げかけています。
「…この影が、壁に映ったなら、その時にゃあ月の世界への扉が開かれたはずなんだが…」
父親が悔しそうに言うのを聞いて、サーベルトはピンと閃きました。
「待ってよ、お父さん。壁はないけど、これならっ!!」
ごそごそ。
サーベルトはザックから何かを取り出しました。
「休憩する時に使おうと思ってたシートだよ。もしかして、これ、壁の代わりにならないかな?」
「そいつは面白いアイディアだ、さすがだなサーベルト。伯父の名前をもらっただけのことはあるぜ。あの人も賢い人だったって言うしな。よし、物は試しだ。」
父親はその長身を生かして、サーベルトの持ってきたシートを広げました。
しばらく辛抱強く待ち。
月影が、シートの上に映り込むや否や、窓枠の作った影が、扉の形に光り輝きました。
「パパ、光ってるっ!!光ってるわっ!!」
「よし、それでいいんだ。さ、行け。」
「で、でも、中に入ったら何が…」
「そりゃあまあ…中のアイツが教えてくれるさ。いいからさっさと行くんだ。そろそろ腕痺れそうだぜ。」
「うん。」
「分かった。」
二人が中に入ると、そこには不思議な世界が広がっていました。
「これ、なに?あたしたち、丘の上にいたのに…。あたしたち、夢見てるのかな?ね、サーベルト、ほっぺたつねっていい?」
「よくないよお姉ちゃん、つねるなら自分のをつねってよ。でも、確かに現実じゃないみたいだ。なんだか…絵本の中みたいだね。」
二人は、宙に浮いた丸い円盤の上を進みます。
進んでいった先には、人の姿をした、しかし人とは纏う雰囲気が違う「何か」が立っていました。
「私はイシュマウリ。」
その「何か」はそう名乗ります。
ロザリンドとサーベルトの訪れに、驚く様子も見せません。
「ここに人間が来るのは、久しぶりだ。月の世界へようこそ、お客人。」
「って言うことは、あなたは人間じゃないの、イシュマウリさん?」
イシュマウリは答えません。
「さて、ここにやって来たということは、君たちには望みがあるらしい。」
「そ、そうです、僕たちは…」
「いや、語らずとも構わない。それは君たちの靴に聞いてみよう…」
イシュマウリが腕を一振りすると、ロザリンドとサーベルトの靴が光り輝きます。
驚く二人を、イシュマウリは驚いた顔もなく見つめます。
「おや驚いた顔をしているね。昼の光のもとに生きる子よ。記憶は人だけのものとお思いか?その服も、家々も、家具も、この空も大地もみな、過ぎてゆく日々を覚えている。物言わぬ彼等は、じっと抱えた思い出を夢見ながらまどろんでいるのだ。その夢、そしてその記憶を、月の光は形にすることが出来る。」
ロザリンドとサーベルトは、イシュマウリの言葉をただただ唖然として聞いていました。
「死んだ人間を生き返らせることはできない。特に『彼』はなおさらだ。」
「イシュマウリさん、『彼』って、おばあさまが会いたい人のことを知っているんですか!?」
イシュマウリの言葉に、サーベルトが目ざとく反応します。
「知っているとも言えるし、そうでないとも言える。だが、それはどちらでも良いことだ。」
イシュマウリは、手にしたハープをかき鳴らします。
「どちらにしろ、君たちのチカラにはなれるだろう。」
その言葉と同時に、目の前の風景がかき消えました。
「誰ですっ!?」
気付けば、アルバート邸の、しかも祖母の部屋に二人はいました。
「おばあちゃま、ロザリンドよ。」
「サーベルトです、おばあさま、ノックもせずに入ってすいません。というか、僕らも急に飛んできて…」
「まあ、あなた方、ピクニックに行ったと聞いていましたが、こんな遅くに帰って来たのですか?あなた方のお父さまはどうしたのです?」
祖母は相も変わらず厳しい顔で、二人を叱責します。
「まったくあの人もいつまでも結婚前みたいにフラフラして、わたくしが死んだらこのアルバート家は…」
祖母は気弱に溜息をつきます。
「でも、そろそろあの方が迎えに来て下さっても良いかもしれませんわね。」
祖母のため息に、ロザリンドとサーベルトが何か言おうとした時です。
「嘆きに沈む者よ。」
イシュマウリが口を開きました。
「どなた…」
イシュマウリは答えずに、ハープを響かせます。
「この邸には、多くの記憶が刻まれているようだ。この邸に刻まれた面影を、月の光のもと再び、甦らせよう……」
ハープの音が、次々と宝石を投げるように続きます。
そして音は、記憶を引き出しました。
「お初にお目にかかります、マダム。」
黒髪の男が、完璧なアクセントと、完璧な礼儀作法で言ってのけました。
「お姉ちゃん、この人、見おぼえある?」
「ううん全然…悪人ヅラだけど…この人がおばあちゃまの会いたい人?」
孫たちのヒソヒソ話も何のその、祖母はベッドの上で凍りつきました。
黒髪に緑の瞳をした、明らかに悪人ヅラの男はしばらく、財政再建だの、愚弟だの、「王とは何か!?」だのといろいろとむつかしそう、かつ傲慢な台詞を吐いていましたが、しばらくすると二人にも、男の表情が和らいでいったことが分かりました。
「恐縮です、マダム…あなたの優しさを、女神が祝福して下さいますように…」
その言葉に、祖母か微笑みます。
どうやら「マダム」というのは、祖母のことのようです。
「ご謙遜を、マダム。貴女は、私の知る限り、最も高貴な魂と魅力を兼ね備えられた、聡明な淑女です。」
「これほど美しい薔薇の花でも、貴女の前では…このように鮮やかさが失せよう。この薔薇より…いや、この薔薇だけでなく、そこに咲くカスミソウでも、夾竹桃でも同じ事…どんな美しい花よりも貴女が…マダム、 貴女が一番お美しい…」
その言葉には、祖母は乙女のように顔を赤らめました。
「マダム…今度こそ、貴女に
『はい』
と、仰って欲しい…」
男がそう言った時には、祖母はかなり狼狽しました。
「ちょ、ちょっと待って下さい、孫が、孫がいますから…」
もちろん、黒髪の男の台詞は止まりません。何せ、これはこの邸に刻まれた「記憶」なのですから。
「キスしても、良いですか?」
「…。」
顔を真っ赤にしてうつむく祖母。
いつも聡明で上品で厳格な祖母のそんな顔を、二人は初めてみました。
男の姿が変わりました。
地味だった恰好から、青い制服になりました。
二人は、マイエラの聖堂騎士と似ているなと思いましたが、金字で刺しゅうされた帯がひらひらと舞うようにその身を飾っているところが違いました。
「踊りませんか?」
男は、祖母に向かって手を差し伸べました。
「踊りましょ、踊りましょ♪」
「私と一緒に踊りましょう♪
「さあ踊りましょう、夜の色のキャンパスに、ダンスで文字を描くように♪」
「さあ踊りましょう、踊る軌跡が輝く文字となるように♪」
「踊りましょ、踊りましょ♪」
「私と一緒に踊りましょう♪」
男の声と、祖母の、今よりも若々しい声が、月の光に照らされた室内に、ハーブの音をかき消すばかりに響きました。
「あなたはわたしの騎士さま♪」
その言葉が、二重に聞こえました。
記憶の中の祖母と、そして現実の祖母と、同じ人間の声が重なったのです。
「貴女は私の御姫様♪」
男の声が、それに唱和しました。
「さあ踊りましょう、夜のただ中で踊りましょう♪」
「さあ踊りましょう、夜がすり減るまで踊りましょう♪
「夜が明ければ、全ては夢♪」
「夜が明ければ、全ては幻♪」
「夜の魔法の中♪」
「鮮やかな夜の中♪」
いつの間にか、月の光の中、男の姿は消え、ただ男の身に纏った光の帯と、そしてドレスの光沢のような、身に纏った装飾品のような光だけがキラキラと光っています。
でも、声だけは唱和します。
「この夜だけは、あなたはわたしだけの騎士さま♪」
「この夜だけは、貴女は私だけのお姫様♪」
「踊りましょ、踊りましょ♪」
「私と一緒に踊りましょう♪」
声と共に、光が舞います。
「夜の魔法の中♪」
「鮮やかな夜の中♪」
「魔法が解けるまで♪」
「全てが夢幻と消えるまで♪」
「踊りましょ、踊りましょ♪」
「私と一緒に踊りましょう♪」
イシュマウリのハープの音が途切れました。
さあ
と差し込んだ月の光の中、二人は、祖母が涙を流しているのに気付きました。
「お、おばあちゃまっ!!」
ロザリンドが駆け寄りました。
「どうしたの?痛いの?苦しいの?メイドを呼ぶ?」
姉の声に、サーベルトが扉を開けようとしますが、祖母がそれを制しました。
「いいのですよ、サーベルト、ロザリンド…痛くはありません、苦しくもありません、ただ…嬉しかったのです。」
「嬉しい?」
どうして嬉しいのに泣くのか、二人には分かりませんでした。
祖母は、枕元に置いたハンカチで、そっと涙を拭います。
「ふふふ、いつ間にか気持ちまで老けこんでしまっていたこと。」
祖母は、白髪交じりとはいえまだまだ美しい赤毛をそっと撫でました。
「いけませんね、あの方と共にいた時から何十年も経ったわけではありませんもの。」
祖母は、ベッドから立ち上がりました。
「おばあちゃま、立っても大丈夫なの?」
ロザリンドが心配そうに言うのを、祖母は厳しい口調で返します。
「まあロザリンド、わたくしがもうそんなに老いぼれてしまっているとでも言うのですか?」
そして祖母は、優しく微笑みます。
「大丈夫です、わたくしは大丈夫。まだまだ若いし、まだまだ元気です。ロザリンド、あなたが嫁ぎ、そしてサーベルト、あなたが立派なアルバート家の後継ぎになり…そうですね、ひ孫の顔を見るまでは、まだまだ死ねませんとも。」
「おばあちゃま…」
「おばあさま…」
二人の孫に、もう一度優しく微笑み、祖母は窓の外を眺め上げます。
「ええ、まだお迎えに来て下さるには及びませんわ。わたくし、まだまだこの世に未練も、そしてしなければならないこともございますもの。そちらへは、たくさんのおみやげ話を持ってから伺いますから、もう少し、女神さまのお膝元でお待ち下さいませね…」
祖母は、誰かの名前を呟きましたが、二人には聞こえませんでした。
そしてサーベルトは、イシュマウリはどこに行ったのかと見回しましたが、とうにどこかへ消え去っていました。
部屋から出ると、父が立っていました。
「やあ、我が勇敢なリトルハニーとチビ助、おばあさまはお元気になったかな?」
「パパ!!」
ロザリンドは父親に抱きつきました。
「うん、黒髪の男の人が出てきたらね、なんでかとおっても喜んでくれたのよ。ねえパパ、あの人はいったい、誰なの?」
父は、皮肉な微笑みを浮かべました。
サーベルトはそれに気付いたので、しつこく答えをせがむ姉を制止しました。
「…でも、覚えておいてくれよ。」
父はぽつりと呟きました。
「いつか…お前たちのおばあさまがこの世での全てのことを終えられたときに、きっと、青い鳥が飛んで来るから、さ。」
そして、二人の子どもたちにかわるがわる、お休みのキスをしたのでした。
終わり
2011/4/5
設定
ロザリンド(欧米版でのアローザ奥さまのお名前)…12歳くらい。長女。父譲りの銀髪に青い目。父からは「リトルハニー」と呼ばれている。女神さまのような美少女だが、おてんば、わんぱく、よく食う、弟をパシる、お行儀は悪い。いつも祖母にお小言を食らうが、おばあちゃん子。
サーベルト(言わずと知れたゼシカの兄の名)…10歳くらい。長男。濃い赤毛(キャプテンクロウくらいの色を想像して下さい)。父からは「チビ助」と呼ばれているが、そこまでチビっ子でもない。気配り上手で非常に聡明…なのに、いつも姉にこき使われている。でも姉好き。
アロマルはククールとゼシカの結婚式以降は続きません。続きませんので、これは「番外編」です。だから、アロマルで登場した人名は出て来てませんでしょう?
まあ、それはそれとして、下にズズっとクリックすると、毎度おなじみの
ない方がないアマケ(アホなオマケ)話
がついています。
アローザと元法王さま 一覧へ
ロザリンドは言いました。
「ねえサーベルト、あの悪人ヅラの男の人と会えておばあさまは嬉しそうだったけれど、ママのお父さまに会えても、おばあちゃまは嬉しいんじゃないかしら?」
ロザリンドは思い立った通り、弟のサーベルトをひきずって、再び願いの丘に登ります。
そして、糸瓜売りとか名乗る人が「願いは一生に一度」と渋るのを、「こないだはサーベルトの分で、今回はあたしの分なのっ!!」と強引に言いくるめて、もう一つ願いごとを聞かせることに成功しました。
「あら、あなたはこの間の…」
「悲しみに沈ん…ではいないようだな。この間のこの間だしなあ…」
「もうっ!!いいからさっさと願いを叶えてよ!!」
「この邸には、多くの記憶を…以下略っ!!」
糸瓜売りは、割と投げやり気味な言葉と、ハープの音を響かせました。
が、さすが糸瓜売りは常人ではないと言うべきか(そうなんですけど、てか、そもそも人の子ではないですけど)その投げやりな言葉と音でも、邸に刻まれた記憶が現れました。
意外と「邸に刻まれた記憶」は、動きたがってうずうずしているのかもしれませんね。
「…初めまして、我が花嫁。」
優しげな面持ちをした青年が、にっこり微笑んで言いました。
「今回は悪人ヅラじゃないわね。」
「だって、ママのお父さまでしょ?」
「まあ…あなた…」
祖母が、ぽ、と顔を赤らめます。
前回出現した黒髪に緑の瞳の男より、はるかに善良で、はるかに理解しやすい二人の祖父は、まだ思春期前の二人にすら、かなりこっぱずかしい会話を、祖母と交わしていきました。
「まあ本当に…孫の前ですのに、あなたったら、ぽ。」
彼らの祖母が、何十度目かに顔を赤らめた時でした。
「もう我慢ならんっ!!」
荘重でありながらも、火のような怒りをこめたバリトンが邸内に響きました。
「…どっかで聞いたような…」
「お、お姉ちゃんっ!!あの人、この間の…」
サーベルトが指さした先には、素人目にも禍々しい漆黒のサーベル(これが「地獄のサーベル」という、見たまんまの禍々しい名前だとは、二人は知りませんが)を持った黒髪の、そして緑の目からビンビンに殺気を放った男が立っていました。
「ま…マルチェロさまっ!?えっと…こんな光景、ありましたっけ?」
奥さまが凍りつく中、邸に刻まれた通りに奥さまに愛を囁く二人の祖父に、黒髪の悪人ヅラはなんと斬りつけました。
「あっ、あぶないっ!!」
「でもお姉ちゃん、あの人も記憶なんじゃ…」
いいかけて、サーベルトは止めます。
天蓋布は、リアルにしっかりと切り裂かれていたからです。
「…」
邸に刻まれた記憶…のはずの二人の祖父は、思いっきり黒髪の悪人ヅラに向き直ります。
「『邸に刻まれた記憶』に斬りつけるとは、非常識な男だね、君は。」
非常識な黒髪の悪人ヅラは、不敵に笑います。
「非常識だろうが何だろうか、我がマダムに我が面前でいちゃつくのは許せぬだけです、ムッシュウっ!!」
言葉こそ丁寧ですが、かなり傲慢な台詞です。
「いちゃついたっていいだろう?今、再現されてるのは、僕と彼女の『愛の記憶』なんだから。」
「認めませんな。」
「うっわー、なんか分からないけど過去を全否定したわ、あの人。さすが、悪人ヅラ。」
「言い草が大魔王みたい…」
二人は、相当正確に「黒髪の悪人ヅラ」の性格と性質を把握しました。
がともかく、二人と、そして二人の祖母には止められない勢いで、黒髪の悪人ヅラと二人の祖父は、斬り合いを始めてしまいました。
「あああ…この邸に、そんな記憶、刻まれていましたかしら?」
まだ状況を理解しきれていない祖母がハラハラと見守る中、
「まったく、人の子は度し難い…」
どっかの糸瓜売りは、呑気にそんな感想を吐いて、さっさと星屑のように消え去ってしまいました。
で。
「兄貴だ…『邸に刻まれた記憶』なのに、邪魔者は排除しようとするあのアグレッシブなバイタリティ、間違いなくオレの兄貴だ…」
二人の父親は、柱の陰で、
感涙に咽んで
おりましたと、さ。
めでたくもあり、めでたくもなし。