乙女の祭典

バレンタインといえば乙女の祭典。

乙女といえばアローザ奥様

という訳で、バレンタイン外伝です。









ドキドキドキドキ…

奥様は、外に響き渡らんばかりの心臓の鼓動の音を、 豊かな胸の奥になんとか押し隠し、 すぐ目の前にあるマルチェロの顔を見つめました。





「今月の損益の概要ですが、貿易部門の収支がやや赤字な転落しましたのは、これはトラペッタの業者との…」

目の前の 奥様の黒髪のナイトは、そんな奥様の気持ちには気付かず、小難しそうな顔で、小難しそうな単語を述べ、小難しそうな数字を並べ立てています。




奥様は、マルチェロには気付かれないように、テーブルの下で、 激しく乙女模様にラッピングされた 包みを、ぎゅっ、と握り締めました。





「…ここまでの説明で、なにか御懸念はございましょうか、マダム。」

「え…ええっ!?」

奥様は不意を突かれて、ちょっと動揺なさいましたが、すぐに平静を装うと、

「いえ、ございませんわ、マルチェロさま。お続けになって下さい。」

と、お答えになりました。



「左様ですか。では、次にポルトリンクの現在の情勢について…」

奥様は、動揺を悟られなかった安堵に、ほっ、と一息をつかれました。











なにせ奥様は、 筋金入りのお嬢様育ち でいらっしゃるので、 恋人たちの祭典、バレンタイン をエンターテイメントとして楽しむなどといった、 ふしだらな経験一度たりともありません。

奥様がその半生でチョコを贈ったことがあるのは、 今は亡き旦那様と、さらに今は亡きご愛息サーベルトだけ なのでした。




ですが、そんな奥様の寡婦暮らしももう十年近くにもなります。

だとしたら、そんな奥様が、 淡い恋心をチョコに秘めて、今は亡き旦那様以外の殿方に贈りたくなった としても、 一体、誰が責められましょうか(いえ、決して責める事は出来ないでしょう。)






ですが。

チョコ(もちろん、 乙女の基本、手作りです)を作成したまでは良かったものの、贈る機会を掴めずに、奥様はこうして、ドキドキしていらっしゃるのでした。









「では、以上で今月の報告を終了致します。」

マルチェロは事務的な報告を終え、一礼して部屋を出ようとします。

このままでは、チョコを渡すことかできません。

奥様は慌てておっしゃいます。




「マルチェロさま、今日は良いお天気ですわ。わたくし、少しお散歩したいのですけれど、エスコートして頂けませんか?」

「…良い天気ですか…」

外は、 今にも雨が降り出しそうなどんよりとした雲が立ち込めて いましたが、マルチェロは特に異論を差し挟まずに


「お供いたしましょう、マダム。」

と、言ってくれました。










「ゼシカー、チョコちょーだい、チョコ!!チョコー!!」

「んもー、しつこいわね!!」

「愛するオレに、チョコーっ!!」

「しつこいっつってるでしょっ!!メラミ

「へぶしっ!!」

お屋敷のバルコニーでは、見られているとも知らず、若い恋人たちが戯れていました。



「まったく… あの赤い生物 は、人目も憚らず…」

マルチェロは、 心底忌まわしげに その秀でた額の下の眉間に皺を寄せますが、奥様は、 これはチャンス とお思いになり、さりげなーく、話題をチョコにシフトさせました。





「まあっ、そういえば きょう わ ばれんたいんでー でしたわね?」

激しく棒読みの口調 でしたが、マルチェロはその不自然さには気付かないようでした。



「そのようですな、マダム。」

「ばれんたいんでー と いえば まるちぇろさま わ まいとし ちょこ は ぷれぜんと されました の?」

「ご冗談を、マダム。あれは世の娘たちが、その恋人に贈る物。男の…まして聖堂騎士であった私が贈るものではありますまい。」

緊張のあまり、 妙な事を口走ってしまう 奥様でしたが、マルチェロは特に気にしません。



「まあ まるちぇろさま ちょこ わ けっして こいびとたち だけ が おくりあう もの では ありません わ」

奥様のお言葉に、マルチェロは不審そうに返答します。


「そうなのですか、マダム?」

「ええ だって わたくし も おっと だけ では なく さーべると に も おくって いました もの」

「家族にも贈るものなのですか?」

「ええ かぞく だけでなく したしかったり おせわになったり した とのがた に おくる もの なのです わ。」

マルチェロは、激しく納得した、という面持ちで頷きました。



「ああ、それで長年の懸念が解けました。私がかつてマイエラ聖堂騎士団にいたみぎり、 なぜにバレンタインデーには、団員たちからチョコが段ボール箱単位で贈られるのか 長年疑問に思ってきましたが、そういうことだったのですな。 中元や歳暮のようなものだと理解 すれば良かったとは…いや、寡聞でした。さすがはマダム、博識でいらっしゃる。」




それは多分、大分と違う意味だと思いますわ

なーんてツッコミをしている余裕は、もちろん奥様にはありません。



とゆーか、奥様は話の流れ的に、 これがチャンス だとお思いになり、勢い込まれました。






「まあっ、わたくしったら、うっかりしていたことっ!!」

奥様は、 不自然なまでに大仰 に驚かれると、先ほどから 力いっぱい握り締め ておられたチョコを、マルチェロの目の前に差出しなさいました。




「マルチェロさまには大変お世話になって おりますから、チョコを差し上げねばならないと思って用意しておりますのに、 多忙にかまけてすっかり失念 いたしておりましたわ…申し訳ございません。」

「…はあ…」




失念していたのなら、どうして今、お持ちなのですか?

と、さしものマルチェロでも思いましたが、奥様の とびきり麗しい微笑み の勢いに押され、彼はチョコを受け取りました。





「本当につまらないもの ですから、 お返しとかなんにもお気になさらないで宜しいのですよっ!? ええ、本当につまらないものですもの。 本当に、すぐに忘れて下さいませねっ!?」


奥様はチョコを押しつけると、 ついに羞恥に耐えられなくなって 逃げるように身を翻しておしまいになりました。








「…マダム?」

精神攻撃無効のマルチェロをすら混乱 させた当のチョコは、 愛の力てろってろに柔らかくなっていた そうでした、よ。




終わり




2007/2/10




せっかく世は 乙女イベント なので、これは書かねばなるまいと書き下ろした代物。
拙サイトにお越しの皆様のご要望からすれば、 バレンタインはククマルでアホモだろ ということかもしれませんが、冒頭に記した理由により、外伝になりました。

ちなみに、三月十四日までに書き下ろす(予定)のホワイトデー話とワンセットなので、これ以上のコメントは差し控えさせて頂きます。

希望の展開がありましたら、どうぞ拍手でコメント下さい。




おうじさまも祭典(当然、ホワイトデーに書き下ろします)


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