Esteban
ものすごく久々にエストマ話。
入団して間もない頃の二人。
なんでこんなに俺は人が良いものか。
我ながら、呆れるを通り越しておかしくなる。
「エステバン、今日の分はこれな。」
俺が言うと、彼はペンを持つ手を止めもせず
「おう。」
と、当然のように言う。
一応、俺、お前の上司なんだがな。
思うが、言わない。
覗きこむ。
必死で書きとる彼の字を。
俺が書いた手本どおりに、何回も何回も同じ単語を書き取る。
それは、俺のたいして上手くもない字をそっくりそのまま真似ていて、微笑を誘われる。
きっと、子どもに字を教える母親とは、こんな気持ちで子どもを見守るに違いない。
「もう寝るぞ。お前もたいがいにしろよ。」
「おう。」
返事は生返事。
彼はまだ、手を止めない。
最初にパルミドからマルチェロ団長に連れられて来た彼を見、そして聖堂騎士にすると聞いた時は反対したものだ。
だのにマルチェロ団長は…まあ、人の話を聞きいれないのは昔からだが…
「お前に迷惑をかける問題でもなかろう」
と冷たく一蹴した。
一蹴したくせに、その舌の根も乾かぬうちに
「お前に教育を任せる」
ときたものだ。
まあ、あの人が身勝手なのもまた、今に始まったことではないが。
なんとなく「ぼくが世話するから」と拾った子猫の世話を、結局、引き受けざるを得なくなった母親のような気がした。
粗野で我儘で口が悪く礼儀もなっていなかったが、彼は危惧したほど悪人でもなかった。
何を言っても素直に「はい」と言った試しもないが、何とはなしの愛嬌があって憎めず、何より能力は確かに高い。
だから、聖堂騎士としての武術の習得にはさほどの時間はかからなかった。
問題は、教養面だ。
なにせ礼儀作法というものをまるで身につけていないのだ。
敬語すらまともに使えない。
仕方がないので、フレーズごと丸暗記させるという荒技でなんとか乗り切ったが、世にも機械的な違和感のある言い回しになってしまったのは、まあ仕方があるまい。
一番の問題は、彼は読み書きが出来ないという事だ。
いくら今の聖堂騎士が戦力重視と言っても、文字も読めないでは任務に関わる。
しかし、成人してから読み書きを習得することは、非常に困難なことでもある。
無理だ無理だとぶーぶー言っては面倒くさがった彼を持て余し、最終手段としてマルチェロ団長に訓戒を垂れてもらった。
団長は、ちらりと彼を見て、
「無理だという言葉は、怠惰な者の言い訳に過ぎん。」
と一言だけ言い捨てて、あっという間に去った。
今少し、懇々と諭してくれるものだと期待していた俺だったが、彼は至極大真面目な顔で、
「トマーゾ、字を教えてくれ。」
とすぐさま俺に申し出た。
幸い、彼は記憶力が良かった。
なんでも盗賊というものは、文字が読めずとも文字の形自体を記憶し、再現することが出来るのだという。
だから彼は、俺が書いた手本の単語をそのまま丸暗記するというやり方で、読み書きを習得しようとしていた。
こんな学習をしているからといって、聖堂騎士としての任務が軽減されるわけでもなく、しかし彼は夜遅くまでその作業に没頭した。
彼が少しずつ文字を習得し、そしてその文字がひどく俺の字にそっくりだということは、なんとなく俺の喜びとなった。
ふと目覚めた時、エステバンはまだ書き取りをしていた。
「まだ起きて…」
「おうトマーゾ、聞けよ。もう手紙くれーならヨユーで書けるぜ。」
彼は子どものように嬉しそうに笑った。
「試してみろよ。」
彼の言葉に促され、俺は手紙の文面を口にする。
「拝啓、初夏の候…」
得意げな表情のまま、単語を綴る彼の姿。
「…エステバン。」
「出来た、見ろよ見ろよ。」
「…はいはい。」
俺は、俺の字にひどく似ていて、でもまだまだたどたどしいその手紙を読んだ。
僅かなスペルミスはあったものの、習い始めた時間を考えてみれば、全体的にとてもよく書けていた。
「良く出来ました。」
「だろ?」
俺は頷き、そして最後の彼の署名に目をやった。
「…何だよ?」
彼は問う。
「いや、別に。大したことじゃない。」
「何だよ、気になンだろ?言えよ。」
「いや本当にたいしたことじゃない。ただ、『エステバン』ってお前の名前が何と言うか…」
ここだけ、俺の字じゃない。
と言おうとして、なんだか独占的な言い方になりそうで、俺は止める。
「意匠的というか、特徴的というか、なんか…こう…看板に書かれているみたいな字体だなと思って。」
彼は不審な顔をした。
「いや、サインの字は特徴的なものだから…」
「カンバン、だぜ?」
俺は彼の顔を見つめた。
「看板?」
「看板の字だ。」
俺の目を受けて、彼はひどく真面目な顔になる。
「ちなみに酒場のカンバンだ。」
「…」
俺の表情が、よっぼど問いたげだったんだろう。
「ま、教えてやるよ。」
彼はそう言って、子どものように生意気に笑った。
「オレはパルミドじゃ珍しくもねェ親ナシっコだ。気付いたら浮浪児の一団の中にいた。そこじゃみんな、オレのことを好きなように呼んでた。ネコとか野良猫とかが多かったかな。でもよ、一団のリーダーみてえな奴だけ、オレのことを
『エステバン』
って呼んでたんだ。オレはその偉そうな響きが好きでな。その呼ばれ方が好きで、ついでにそいつも好きだった。」
「…」
「ある時オレは聞いた。どっから出てきた名前なんだって。そいつは言ったよ。
『お前はその時、そこで泣いてた。“エステバン“ってカンバンの酒場の前で、ひたすら大泣きしてた』
って。オレは…大体想像はしてたが、捨てられたんだ。“エステバン“って酒場の前でな。それを拾って連れて来たのがそいつだったらしい。」
「…」
「オレはそこに行きたいと言った。そいつもいつかオレをそこへ連れて行く気だったらしい。ガキの足じゃ遠かったが…辿り着いた先には、確かにあった。
“エステバン”
ってカンバンが…みんなに踏みつけられたらしいボコボコで、地面に転がって、な。」
エステバンは言う。
「とうに潰れてたんだ。」
「…」
何と言っていいやら分からない。
明りに照らされた彼の顔は、陰影が微妙で表情が読み取れなかったから。
「しばらくして、浮浪児のリーダーだったそいつは死んだ。オレを
『エステバン』
と呼ぶ奴はいなくなったんだ。それからオレはずっとパルミドの野良猫で…ああ、違うな。カジノで働いてた時だきゃ、名前が必要だったからエステバンを名乗ってたが、まあ、そんだけだ。それからずっと野良猫で…」
彼は、しかし、続けた。
「でも、マルチェロ団長に拾われた時、オレはもう一度
『エステバン』
と呼ばれたいと思ったんだ。」
俺は、手紙文の最後に記された「エステバン」という綴りを見る。
直線の途中で僅かに曲がった文字は、もしかして踏みつけられ、折れ曲がった看板のもの、そのままだったのかもしれない。
彼の脳裏にその看板の文字が焼きついた、そのままの形で、彼は自らの名として署名したのだろう。
エステバンは、皮肉に笑う。
「偉そうで、なんか重厚そうで、騎士サマらしいだろ?」
「パルミド訛りには詳しくないが…エステバンとは、“王冠”を意味するのだそうだ。」
エステバンは、嬉しそうな表情になった。
「そりゃいい。オレにゃ似合わねェだろうが…マルチェロ団長にゃピッタリだ。」
「…」
「オレがあの人に王冠を被せる。」
不敬だ。
その発言は、多分不敬だ。
女神の僕が王冠を…
俺はだがそう指摘せず、微笑んでみせた。
「聖堂騎士エステバン。」
でも、言葉をどう続けていいのか俺には思いつかなかったから、名前だけ呼ぶ。
「やっぱいいだろ、オレの名。」
「ああ、良い名だよ。」
エステバンは、俺の肩を強く叩いた。
「聖堂騎士エステバン。」
多分、彼は笑顔のつもりだったんだろう。
そう言った彼の顔は、だから俺も、笑顔だと理解することにした。
2009/6/11
一時期狂ったようにエストマばっか書いてた熱情よもう一度、というか、そろそろエステバンとマルチェロの出会いを書きたいな、と思ったので習作。
でも、トマママが更にますますママになっている…不思議だ。
昨日、映画にもなっている『朗読者』(映画のタイトルは「愛を読む人」)で、かなりいい年になってから読み書きを習得していくところを読んで、ひどく感心したので書いてみたお話。
ところで、聖堂騎士幹部たちの中で、他にカルロも読み書きは習ったことがなさそうなんですが…