翼を下さい
元ブログ話。
エルトリオ王子のお話。
「エルトリオには翼がある」
父王がそう言うと、周囲の人々は多かれ少なかれ、戸惑ったような表情を浮かべた。
なぜって、父がその言葉を言った相手は、トロデーン国王及び、その父君の大公だったからだ。
我がサザンビークと、トロデーンは長年、決して良好な関係であったとはいえない。
けれど、このまま西と東の大国同士がいがみ合うのは得策でないとの判断が双方に働いて、今、その関係は少しずつ修復されつつある。
今回も、「簡単な社交会」との私的な名目で、あえて双方のどちらでもないベルガラックで、双方の王族の顔合わせが行われていた。
が、もちろん誰もが、もっと政治的に重要な意味を持っていることは知っていた。
なのに、父王ときたら…
まあ、父王は少しばかり酒癖が悪くていらしたし、かつてはその両国の仲の悪さから、先代のトロデーン女王陛下との結婚をあきらめざるを得なかったという悲しい過去がある。
だから、その夫君を見て、少しばかり対抗心か何かが沸き起こったのかもしれない…と、好意的に解釈すれば良いのかな。
「いやあ、本当にこの子はいつか天駆ける程の子で…」
父王は、周囲の戸惑いの視線を余所に続けかけたが、さすがに周囲の人々の視線を感じたのか、はたまた国王としての自覚が蘇ったのか、口をつぐんだ。
トロデーン大公は、さすがに長年、妻の女王を助けてこられただけあって、微笑みを浮かべてこう続けられた。
「いや、本当にサザンビーク国王陛下が御褒めになりたい御気持ちもよく分かる。エルトリオ王子も、クラビウス王子も、まことに優秀な御子息たちだ。」
父王は、うろたえたのか少々どもりまながら、まだ若いトロデ王の将来を褒め、今度は自分の息子を謙遜してみせるつもりで、
「いや、うちの息子たちなど…クラビウスなぞ、王子だというのにしみったれた所がありまして…」
と言って、更に相手の返答をつまらせた。
小柄なトロデ王は、長身の弟の顔をひっくり返りそうなほど見上げて、何か言いたげな表情をした。
そして僕も、ばっちりで半公式の場で「しみったれた」と評された弟の顔を盗み見たが、さすが出来た彼は不快な顔も見せずに、きちんと場を取り成してみせた。
「確かに、兄上には翼があるかもしれんな。」
帰り道、弟はそう言った。
「それは、僕が地に足がついてないってことかい?」
僕の言葉に、クラビウスは深々と頷いた。
「兄上は天駆け過ぎる。」
僕が少しムッとすると、クラビウスは重々しい表情のまま…クラビウスは弟なのに、いつも僕よりよほど兄らしい…続けた。
「だから、自分は宰相になってきちんと支えてやろうと思うのだ。政治には『しみったれた』判断が必要な時も多いからな。」
クラビウスは、実際家だ。
みんな
そう父も母も、行動が派手な僕に注目するけれど、クラビウスは小さいころから、疎かにしてはならないことは、何一つ疎かにせずに物事を解決してきた。
父もそんな弟には、僕より先に実際的な政治の経験を積ませ始めている。
そして彼は、驚くほど巧みにそれをこなしていた。
でもみんな、クラビウスではなく、実際的には何もしていない僕を、王として期待するのだ。
「お前が王になればいいんだよ、クラビウス。」
僕は、まんざらでもなく口にする。
「いや、自分には人を惹きつける魅力が足りない。兄上の人気を見れば分かる。兄上を差し置いて王になったとしても、誰も付いて来んよ。」
クラビウスは、兄のぼくよりよっぽど思慮深い瞳で言う。
「兄上には翼がある。それは、望んで身につけられるものではないのだ。兄上は天駆ける偉大な王になればいい。自分は、地を固めよう。」
クラビウスの瞳に、何かの感情が宿った。
僕はそれを問いかけたが、クラビウスはちょっと笑って自分で続けた。
「兄弟で補い合うのだ。なんと美しくも素晴らしい兄弟愛だと思わんかね、兄上?」
僕はなぜだかその瞳を受けかねて、そっと目を逸らして答える。
「本当に、お前は良く出来た弟だよ。」
そして、クラビウスに聞こえないように口の中で続けた。
「僕なんか、及びもつかない。」
いつからだろう、みんなの期待が重くなり始めたのは。
小さい頃は良かった。
みんなの期待を、賞賛を、笑顔で受け入れられた。
そうだな、きっと王家の成人儀式でアルゴリザードを打倒した頃からだ。
手に入れたアルゴンハートは、僕が未来の妻に、未来のサザンビーク王妃に、贈るべきもの。
つまり僕が、「王になる」という事実と正面切って立ち向かう年齢になった時だ。
万事にソツのないクラビウスは、ちゃっかりと先に恋人を作っていた。
性格も
見た目も
丸くて円満な、でも芯が強くて、思いやりに溢れた、しかも思慮深い令嬢だった。
彼女はあまりに「よく出来た王家の嫁」になりそうな人柄だったので、僕は最初、クラビウスは彼女を「宰相妃」としてだけの基準で選んだのではないかと思ってしまったほどだ。
でも、しばらく見ていると分かった。
クラビウスは、本当に彼女を愛しているのだ。
そして、実際家だからこそストレスを溜めやすいクラビウスには、彼女は他に代えがたい存在だと分かった。
まだ婚約は発表していないが、まあそれも近いうちだろう。
みな、そう思っていたし、何より母はだからこそしきりに彼に僕に縁談を勧めて来た。
僕はちっともその気にならなかったから、こう言った。
「母上、そんな、会いもしない女性との縁談を進めても、向こうが僕を気に入ってくれるか分からないじゃないですか。」
母は自信満々に答えた。
「エルトリオ、貴方を見て、貴方に恋しない令嬢など、一人もいません。」
僕が何と返答して良いのか困っていると、父が間に入った。
「そう急がずとも、未来のサザンビーク王妃だ。じっくり選べばよい。我が自慢の、いや、サザンビークの永遠の誉れとなるはずのエルトリオの妻だ。選んでも、選びすぎるということはないはずだ。」
僕はやはり、どう返答して良いのか分からなかった。
ただ僕は、どれだけ時間を与えられても、クラビウスのように全てに折り合いをつけることは出来ないだろうと感じた。
時を前後して、僕はサザンビークの皆から、同じような言葉をかけられるようになった。
「どれほど御立派な国王におなりになることだか。」
「国王になられるのが今から楽しみです。」
「エルトリオ王子、早く王様になってくださいね。」
みんな、僕に期待する。
けれど、みんな何か誤解している。
僕がどうして「素晴らしい国王」になれると、そんなに強く信じられるのだい!?
「それは、特大のアルゴリザードを見事一人で打ち破り、ここ百年はなかった程の大粒のアルゴンハートを得てきたのだ。皆が期待したとて不思議ではないだろう、兄上。」
クラビウスは、見事な手腕で税収の振り分けをしながら、事もなげに答えた。
「クラビウス、アルゴリザードを倒すのと、国を治めることは、まるで要求される能力が違うよ。」
僕の言葉に、クラビウスは手を止めた。
「…人は希望を持ちたいのだ。」
クラビウスは、息子をたしなめる父親のように言う。
「だから皆、兄上の中に大きな希望を見る。天駆けたい人の全てが、翼を持っているとは限らんが、それでも、翼を持つ人間が天駆ける姿を見守ることは出来る。」
「クラビウス、お前は僕に翼があると思うのかい?」
「ある。何度も言うが、それはいくら望んで身につけられるものではないのだ。自分は…焦がれ死んだとしても、そうはなれない。だから兄上は、天駆ける偉大な王になるのだ。」
クラビウスの瞳に、また、何かが揺らめいた。
けれど、クラビウスは本当に出来た弟だったから、それがどんな感情かということを僕に悟らせる前に、すぐにそれを消し去ってしまった。
そして、また窘めるような口調で言った。
「みなが兄上を無条件で信じるのだ、素晴らしいことではないか。王とは、そのようなものでなくてはいかん。」
僕は、ウィニアに恋した。
彼女は、僕に翼を期待しなかった。
僕は、ウィニアに恋した。
彼女は、本物の翼を持っていた。
彼女は、僕が彼女の龍としての姿を見ても驚かないことに、驚いた。
彼女は、龍の翼に乗りたいという僕の申し出を、受け入れてくれた。
彼女は、天を駆けた。
彼女は、本物の翼で、天を駆けた。
僕は心から、彼女と共に天を駆けたいと思った。
「人の子よ、もうウィニアは此処に来ぬよ。」
見たこともない老人はグルーノと名乗り、僕にそう告げた。
「まったく、人界に勝手に降りていくのみならず、龍の姿を人に晒すなど…我が娘ながら困ったものじゃ。」
老人がウィニアの父親であることは分かった。
ただ、どうしてウィニアが僕との仲を絶ったのかは分からなかった。
僕が問うと、
「翼を持つ龍神族は、翼も持たない人の子と関わりなど持たぬのじゃ、金輪際、二度とな。」
老人の答えは、ぶっきらぼうにこうとだけだった。
僕は旅立った。
けれど、やっぱり僕はただの「翼も持たない人の子」だった。
もう、一歩も動けない。
僕は、仰向けで天を仰いだ。
抜けるように、空が青い。
両親は、サザンビークはどうするのだろうと、ふと気になった。
「クラビウスがなんとかしてくれるよ…」
僕は無責任に呟いた。
地にしっかり足がついているクラビウスなら、間違いなく、良い王になってくれるだろう。
分かってる、やっぱり僕は地に足がついていないんだ。
けど
けど
「ウィニア…」
なぜか、ウィニアはとても近くにいる気がした。
あと少しで、ウィニアに会える気がした。
けど
けど
かすんだ瞳に、天駆ける何かが写った。
鳥かな
龍かな
どちらにしても、翼を持った何か。
僕は、もう腕も延ばせないほど衰弱していたけれど、でも、どんなに健康であったとしても、やっぱり僕は天駆ける何かには、手が届かない。
けど
けど
「僕には翼がないんだ、ウィニア」
だから僕は、君と天を駆けられない。
永遠に。
終
2008/11/25