こんな現代版兄貴は…ちょっとイイ
現代版パラレル兄弟話。
常勤講師大学立志編
『童貞聖者』でもラブアタックを熱烈にかけてきたニノさまは、もちろん現代世界でも…
お兄さま、出世と自分、どちらが大事ですか?
です。
私の名はマルチェロ、某マンモス私大に勤める、しがない常勤講師だ。
いや、こんな言い方をしてはバチが当たるな。昨今の少子化、大学改組その他の影響もあり、アカデミズムの世界に身を置く者の就職の門は狭くなる一方だ。
それを、三十で常勤講師の口をわが恩師のお陰で頂けているのだ、心から有り難いと思わねばならん。
いくら最近の学生が、“大学生”の名に恥じまくるバカばかりであろうと、大学受験システムの改悪によって、入試が量産され、正直雑務に追われて研究どころではなかろうと、そんな革新期にあるのに、教授陣は旧弊に浸る無能者ばかりであろうと…
「ああっ!!大学とはなんだっ!!!!」
いかんいかん、ここでアツくなってはいかん。私もそろそろ良い年なのだ。世間というものとは、それなりの折り合いをつけねばならん。
という訳で私は、ニノ学部長に呼ばれて、学部長室へと向かう所なのだ。
しかし、ニノ学部長のことは、正直、苦手だ。
それに、一介の常勤講師の私に、学部長直々に、一体、なんの用件があるというのだろうか…
「単刀直入に言う、マルチェロ、儂の“いい人”にならんか!?」
入室してから、限りなくとりとめのない話を二十分も聞かされた挙句の、突然の台詞に、私は硬直した。
だが、そのまま硬直していても仕方がないので、私は口を開いた。
「仰る意味が、よく分かりかねますが…」
だが、私はニノ学部長の言葉の意味など、分かりすぎるくらい分かっていたのだ。
ニノ学部長。
ルネサンス期文芸の日本でも有数の研究者としてこの大学に招聘され、学才より更に上回る政治力によって、次期学長の最有力候補との呼び声も高い人物。
独身…というより、結婚歴無し。
そして
「儂のinnamorataになって欲しいのだ、我が永遠の可愛いfata!!」
恐ろしくクリアな発音のイタリア語交じりの求愛も、当たり前だが、私の心には嫌悪感しか沸き起さなかった。
そうだ、ニノ学部長は、真性のゲイとして、校内では有名な存在なのだった。
「失礼ですが、私にそのような趣味はございません。」
嫌悪感を礼儀作法で取り繕い、さっそくその場を離れようとする私に、ニノ学部長はそれでもしつこく食い下がる。
半ば脅迫めいた言辞もあったが、今はアカハラなりセクハラなりが大手を振ってまかり通る時代ではない。
いざとなったら、裁判に訴えてでも身の貞節は守ってやる!!
という気迫が通じたのか、学部長の脅迫じみた言辞は影を顰めていった。
「最初はお友だちのような付き合いで良いから。」
なんで私が、学部長と友だちのような付き合い“から”はじめねばならんのか、まったくもって理解に苦しむ。
そして学部長室の扉の前まで逃れた私に、学部長は最後にこう叫んだのだった。
「儂のinnamorataになってくれたら、五年後に…いや、三年後…三年後に、助教授にしてやるっ!!」
ぴく
私はドアにかけた手を止め、思わずニノ学部長を振り向いた。
学部長は、その肉のつきすぎた頬に、心から嬉しそうな笑みを浮かべ、媚びる様な口調で言った。
「儂はウソはつかんぞ、マルチェロ。なにせ儂は次期学長だからの。不可能事ではない。…なに、今すぐ結論を出せとは言わん。じっくり考えてからで良いぞ。」
「33で助教授…」
「ねーねー兄貴ー、オレ、今日店休みだから暇なんだよー。一緒にメシ食いに行こうよ。オレが奢るからさー。」
「35でも十分だ…破格すぎる条件だ…昨今、40で助教授ならば、十分に出世街道を驀進していると言える、このご時世に…」
「ねー、兄貴ー、ねーねー」
「うるさいっ!!人の部屋に勝手に入ってきて、まとわりつくなっ!!」
私は、邪魔な生物(忌々しいことに、生物学的にはこの生物と私とは、兄弟ということになっている)に蹴りをくれた。
「せっかく、心優しい、しかもカリスマホストだから稼ぎの良い、しかも絶世の美青年のオレが、兄貴のことを心配したげてんのにー。」
ぶーぶー
幼稚園児のように文句をたれるこの生物は、一体どこでこんな破廉恥な…と苦言を呈したくなるような、淫猥かつド派手な赤い衣服を身につけていた。
自室でこんなものを身につける、この生物の気が知れん。
とりあえず私は赤い生物を蹴り出すと、再び沈思黙考した。
ニノ学部長に、なにやら、どれやらされるなど、想像しただけで怖気が立つが…立つが…
三十代で助教授になれるなら、我慢しても良いかも知れん…
「わかったー、仕事面白くないんだろー!!心配すんなってー!!いつでもオレが“永久就職”させてやっからさー、ねー、兄貴ってばー」
外ではまだ、赤い生物がグダグダと愚にもつかぬ事を言い散らしていた。
「マルチェロくーん。」
最近、学内でやたらと親しげ(というより馴れ馴れしく)ニノ学部長が話しかけてくる。
「いやあ、この間の論文は本当に素晴らしかったよ、さすが我が大学きっての新鋭研究者だ。」
「はあ…恐縮です。」
自分の論文が素晴らしくなかったとは思わないが、私の専門は日本中世説話(しかも室町)で、ニノ学部長の専門はルネサンス期イタリア文学…はっきり言って、理解の通じ合うところが些少なりともあるとも思えんのだが。
そして、事あるごとに、付け届けで届くまんじゅうだの、イタリアンジェラートだのを私の研究室に届けてくれるのだが、はっきり言って、私は甘いものはあまり好かん。
かと言って、可食物をゴミにするのは天地神妙に誓って為さざるところなので
「マルチェロ先生、どうして最近、先生のゼミではこんな豪華なおやつが出るんですか?」
「…欲しければ、もって帰っても構わんぞ。」
しかし、あまりに悪名高いニノ学部長に公然と馴れ馴れしくされると、まだ何もされていないのに、妙な噂が立ち兼ねん。
いや、もしかしたら向うは、もう私が「応」と言ったつもりなのか?
「どうしたね、マルチェロや。」
その人の、穏やかな言葉に、私は頭を上げる。
「いえ…なんでもございません、オディロ教授。」
「そうかね、なんだかワシには、お前がとても疲れているように見えてね。最近の大学はせわしないからねえ。」
「確かにせわしなくはありますが、私は元々体だけは丈夫なのです。何ほどのこともありません。」
オディロ教授は、私の顔をその優しい瞳で見つめて、続けられた。
「身体の疲労はゆっくり休めば治る。けれどね、マルチェロや。心の疲労はそうもいかないよ。」
どき
私は、何かとても悪いことをオディロ教授に見つかってしまったような気がして、慌てて話題を変えた。
「時にオディロ教授、教授の学会での御威名は未だに衰えを知りません。先日も、とある高名な大学の教授とお話をした際に、月に二コマでも良いから講義をして頂きたいものだという事もございました。教授は、もう大学の方にはお戻りにはなられないのですか?」
「もう、ワシは年をとったでのう。お前のような若い者に後は任せて、それで充分じゃと思っとるよ。それに、肩書きの重々しいオッサンたちの顔を見ているよりは、子どもたちと喋っていた方が楽しくてのう。幸か不幸か、ワシは独り身じゃ。老い先短い身が餓死しないくらの蓄えはある。好きな事をして暮らせるのじゃ、ありがたいことじゃのう。」
オディロ教授は、美味しそうに酒を干した。
私は慌てて次を注ぐ。
「ですが教授、やはり私はそれは知の世界の損失であると思います。教授のような希代の研究者は、その能力に見合うだけの地位を得、仕事をなさるべきです。だいたい、この大学の学長の座とて、本来ならば教授が得られる筈だったと…」
「マルチェロや。」
オディロ教授は、柔らかいが、はっきりとした口調で、私の言葉を止めた。
「この世には、いろんな考えがあるとは思う。お前にはお前の考えがあることもワシは知っている。お前は賢い子じゃ、それは間違ってはいないだろう。でものう、学ぶことの行き着く先が、教授の座であり、学長の座である、ということは、ワシは違うと思うのじゃよ。」
オディロ教授の言葉は、あくまで柔らかい。
だが、不思議な重みがあり、それは私の心を圧迫した。
「ワシはの、マルチェロや。好きなことだけをして生きてきた。人として持つべき家族も持たず、未来を抱くべき子も作らなかった。…今更後悔はせんよ、だがワシは、今まで生きてきて、そして学んできたことを、未来の世代に伝えてゆきたい。いや、伝えてゆくことがワシの残された生涯の使命だと思うておる。」
「…」
オディロ教授は、心から穏やかな瞳で、私の瞳をじっと覗きこみなさった。
そして私は、心の中の全てを教授に見透かされたような気になった。
「マルチェロや、お前はどうしてこの世界に足を踏み入れたね?いや、今更語らずとも良い。お前は何度も何度もワシに語ってくれたもの。そしてワシは、あの時のお前の、心から澄んだ瞳を、心から信じている。」
「オディロ教授…」
「マルチェロや、進むべき道を見失いかけたら、まずは初心にお返り。いやいや、ワシのような世間知らずの年寄にも、世の中はそんなに甘いものではないことは分かっておるよ。でも、それでも自らの心を偽って、心にもっと酷い傷を負うよりは、ワシは良いのではないかと思う。それでも身体の空腹に耐えかねて、行き場に困ったなら…その時はワシの所においで、マルチェロや。なあに、こんな年寄りでも、お前一人くらい食べるに困らせないくらいの蓄えならあるよ。」
ほっほっほ…オディロ教授は、朗らかに笑いかけたが
「な…なんで泣くのだね、マルチェロや?」
私の涙腺は、良心の呵責に絶えかねて、子どものように堪える力を失っていた。
「こ、断る…真か、マルチェロっ!?」
ニノ学部長は、恫喝の眼差しで私を睨んだが、私も負けなかった。
「はい。お断りさせていただきます。」
そう言い放った私の心は、秋の空よりも澄み渡っていた。
そうだ、オディロ教授に憧れて進んだこの道ではないか。
あの人を悲しませ、そして自らの心を汚泥に沈めてまで、大学内での地位に拘泥する必要があろうか。
自らの心に偽りと虚飾を持たずにいれば、それに勝ることがあろうか。
一礼し、学部長室のドアを開け、立ち去ろうとした私の背中に、悔し紛れのニノ学部長の言葉が投げられた。
「くっ…儂は絶対、諦めんからな!!」
もしかしたら職を追われかねない選択をした私だが、心も足取りも晴れやかだった。
やはり、自らの原点に忠実ということは素晴らしいことだ。
そして、やはりオディロ教授のお話を伺って良かった。あの方はまことに、我が人生の師たるべき方なのだ!!
そんな澄み切った心でマンションに戻ると、アホみたいに色とりどりのエプロンが、部屋に散乱していた。
そしてテーブルの上には、今時、アホ女子高生でも使わないミルキーペンで記された手紙?が。
最愛のハニーへ
仕事が大変だったら、いつでも辞めていいんだぜ。つーか、むしろ今すぐ辞めてオレ専属の“花嫁さん”になって欲しいので、とりあえず花嫁さん必須アイテムのエプロンをプレゼント♪
オレってば稼ぎがいいから、実は結構貯金もあるんだぜ?だから、安心して嫁に来てくれよハニー。一生大切にすっぜ♪
P.S. だから、とりあえず今晩は、
裸エプロン
で出迎えてくれたら、オレすげえ嬉しかったりして☆
「…」
私が、私の出勤時間直前に戻ってきた銀色の生物に、エプロンならぬアイロンパンチで出迎えてやったことは、まあ、予想に難くはなかろう。
2007/12/16
どうしてもこの現代版は、ククマルにならずにオディマルになる、この不思議さよ。
結局、ククールとオディロ教授の言ってることは一緒なんですけどね…かたや感涙、かたやアイロンパンチ…この差は何?
嗚呼、愛にあって恋にない、そんな心の不思議さよ。