ククール&マルチェロの 不思議のダンジョン!




ソノゴノセカイ のもんどさまから、クリスマスプレゼント交換で頂いてしまいました♪

もんどさま、べにいものワガママを聞いて下さってありがとうございます♪





不思議のダンジョンについての大体

● Lv1の状態からスタートだ!ダンジョン内で死んでしまうとスタート地点に戻され、Lvも元に戻ってしまうので要注意だ!

● ダンジョン内では腹が減る!パンを拾って食べよう!空腹状態になるとHPが減少し、死んでしまうこともあるので要注意だ!

● ダンジョン内で得られるアイテム、覚えられる呪文はその都度変化する!罠も仕掛けられているので要注意だ!

● ダンジョン内でのセーブはできない!冒険とは常に真剣勝負なのだ!





 今の今まで、マルチェロは自分が住み慣れた部屋の中に居ると思っていたが、気がつけばそこはうすら寒い洞窟のなかであった。決して比喩的表現などではない。実際に、マルチェロはどこかの洞窟の中に居た。そして傍らには彼の弟、ククールも居る。

「あっ、兄貴! 今、オレ達家の中に居たよな……? どこだよ、ココ」

「私の知ったことか。それより手を離せ」

 どさくさに紛れて握られていた手を、マルチェロは忌々しげに振り払った。辺りを見回すと、そこは確かに洞窟の中である。ひんやりと冷たくて、不愉快に湿っている。天井には石のつららが奇妙な造形を成し、ぽたりぽたりと水滴を垂らしている。

 岩場の奥で、何かが蠢いた。マルチェロは咄嗟に腰に手をやった。しかし愛用の剣は無い。舌打ちをして、注意深く一歩を踏み出した。

「兄貴、無闇に動くと危ない」

「このままここに突っ立っている訳にもいくまい。それに、この洞窟には僅かだが魔物の気配がある」

 制止しようとククールが肩に置いた手を軽く払って、マルチェロはさらに一歩踏み込んだ。岩場の影で、何か青く透明なものが震えている。マルチェロは右手に魔力を込めた。大気中の火気を集め、解き放つ……!

「ピィ〜ッ! 待って!ボクは悪いスライムじゃないよう!」

「悪くない魔物などいるものか! 死ね」

「おい、兄貴っ!」

 マルチェロはそのまま魔力を放った。火球がスライム目がけ飛んでいく!

 しかし、その火の玉はスライムに命中する前にへろへろと失速して、地面に落ちる。炎は、ぶすぶすとか細く燻って消えた。

「くっ、小癪な!こうなれば素手で……!」

「ピキィ〜〜〜!! やめてよう!ボクほんとに悪い魔物じゃないんだよぅ〜〜!」

 スライムはその瞳からぽろぽろと涙を零し始めた。それにも構わず、マルチェロはスライムを乱暴に掴むと持ち上げる。それを、ククールが横から奪い取った。

「やめろよ兄貴。かわいそうじゃねぇか……。なぁ、お前。ここは一体どこなんだ? オレ達さっきまで、家の中にいたはずなんだけどさ」

 ククールの手のひらで、スライムはぷるんと震えた。

「ひっく……ここは、不思議のダンジョンだよ。あなたはあっちのヒトと違って優しいから、このダンジョンの秘密を教えてあげる!」

 スライムはマルチェロを一睨みすると、ククールの後ろに落ちている一冊の本を見て言った。

「あの本のチカラで、あなた達はこのダンジョンに呼び寄せられたんだよ!この、不思議のダンジョンにね!」




*    *    *    *    *







 時は半刻ほど前に戻る。マルチェロはその日やるべき諸々の細かい仕事を終え、自宅で書物を読みながら茶を飲んでいた。

 自宅というのは、彼がオークニス西部に発見した山小屋である。手入れもされず放置されていたのを整えて、勝手に彼の住まいとしていた。この山小屋に住み始めてから一年近くが経つが誰にも文句を言われないので、マルチェロはこのままここで世間から身を隠すように暮らし続けるつもりであった。だがその平穏な日々が、数ヶ月前から脅かされ始めていた。マルチェロの異母弟・ククールが、どのような手段によってかこの場所をつきとめたのである。マルチェロの拒絶にも関わらず、ククールはつまらない用事を作っては度々押しかけて来た。そしてそのままなし崩し的に、ククールはマルチェロの家に居ついてしまったのだ。



 豪雪の中にあるオークニスには、娯楽はほとんど無い。家の中に居てすることと言えば、書を読むぐらいである。ククール的には兄と二人きりで、本など読むよりもしたいことがまぁ色々とあったのだが、とにかく他にすることが無かった。マルチェロが読んでいる大量の本は、この山小屋の前の持ち主の蔵書である。山小屋には食料を貯蓄するための地下室があり、そこにはマイエラ修道院の蔵書量にも匹敵するほどの書物が眠っていた。ククールはその中から、ある一冊の本を見つけた。その本には幾重にも鎖が巻かれており、鍵まで付けられていた。ククールはそれを、居間で茶を飲む兄の所へ持って行ったのだ。



「……こうも厳重に鍵を掛けているのだから、おそらく日記や何かの類ではないのか? そっとしておけばよかろう」

「でも、気にならねぇ? きっと凄い秘密が隠されてるに違いない! 開けてみようぜ」

(ひょっとしたらすげぇエロい内容かもしれねぇな……。兄貴の目の前で開けてやれ)

 性に関し異常に潔癖な兄に、卑猥な内容の書を突きつける所を想像する。ククールは暗い笑みを浮かべ、手にした細い針金で鍵穴をいじった。ほどなくして、鍵穴からカチリという気味の良い手応えが返ってきた。

「……ククール。どうでもいいが、貴様なぜそのような特技を持っている……?」

「知りたい? 嬉しいね、兄貴がオレに興味を持ってくれて」

 聞いて損した、という風にマルチェロはそっぽを向いた。その仕草がやけに可愛く見えて、ククールの心に火が灯る。ククールはいきなりマルチェロの手を掴むと、その手を己の唇に引き寄せた。その指に柔らかく口づけを落とし、じっと兄の瞳を見る。

「兄貴……。……やっぱりダメか?」

「手を離せ。性欲の処理ならば、然るべき所で然るべき相手とするがいい。でなければ自分一人で処理しろ。私を性の対象にするなと何度も言っているだろう」

「相手はあんたがいいんだ。それに、自分一人で処理するんだって限界がある。知ってる?オレは毎晩毎晩……」

 あんたを想像して抜いている。いつの間にか耳元に寄せられた唇が、擦れた声で囁く。一瞬で頭に血が昇った。マルチェロはそばにあった本を掴むと、ククールに向かって投げつけた。ククールはひょいと頭を屈めてそれをよける。本はそのまま宙を飛んだ。

 その瞬間であった。

 部屋の中に眩い光が満ち、気付けば二人とも洞窟の中に居た。まさに瞬きをする間のことであった。





*    *    *    *    *







「この不思議のダンジョンから出るには、地下50階にある『さいごの宝』を取らないとダメなんだ!君たちの強さはLv1に戻ってるから、気をつけてね!このダンジョンのモンスターは、ボク以外はみんな敵だからね!あと、ダンジョンの中には罠とかもたっくさんあるから気を付けてね!もしあなた達のどっちかでも死んじゃったら、またこの階からやり直しで、レベルも1に戻っちゃうからね!」

「おい、そもそも我々はなぜこのような場所に閉じ込められているのだ? 不思議のダンジョンとは何だ!?」

「ピィ〜。あんたには教えてあげないよ!ピィ〜ッだっ!」

 スライムは器用にあっかんべーをすると、ぴょんぴょんと跳ねて行ってしまう。だが、最後に振り返るとククールにこう言った。

「あ、そうそう。その本は持っていった方がいいかもよ? じゃ、がんばってね〜!ピィ〜ッ」

 そうしてスライムはどこかへ行ってしまった。取り残された二人は、とりあえず足下に落ちていた本を見てみることにした。ククールが地下室で見つけた件の本である。だがしかし、どのページを繰って見ても白紙である。本には何も書かれていなかった。

「何にも書いてないけど……持ってけって言われたからとりあえず持ってくか? しっかしLv1って言われたってなぁ……Lv1じゃオレ、ホイミも使えないぜ?」

「レベルを、上げるしかないのであろう。幸いこのダンジョンには魔物がいるようだ。……ん?何だアレは」

 マルチェロは遠くに何かを発見した。一目見て宝箱と判る箱が置いてある。マルチェロは近づいてその箱の周りを眺めると、言った。

「ククール、あの箱を開けろ」

「なっ! 何でオレにやらせるんだよ!」

「私にやらせるつもりか?」

 マルチェロは、ククールが自分に逆らえないことを知った上で命じている。ククールはしぶしぶそれに従った。おっかなびっくり宝箱の蓋を開ける。ミミックは、出てこなかった。ほっと安堵の息をついて中を覗くと、こんぼうが一本あった。ククールがそれを手に取ろうとすると、上から長い手が伸びてひょいと取り上げてしまった。

「こんぼうか。こんなものでも無いよりはマシだな」

「…え? オレが装備するんじゃないの?オレの方が攻撃力低いのに……」

「このような状況下で兵力を分散させるのは愚の骨頂だ。攻撃力を集中させて敵を一撃で屠ることができれば、余計なダメージも得ずに済むというものだ。少しは頭を使え」

「兄貴……」

(……戦ってくれる、ってことなのかな。兄貴が。…それに、それってオレを守ってくれるってコト?)

 この状況にも冷静な判断力を失わず、そして自分を守ってくれようとしているような兄の発言に、ククールは感動していた。

「それに、魔物を素手で攻撃すれば手が汚れるからな。ああ、お前の手は汚れても構わなかろう?」

 ククールは感動したことを後悔した。





 武器を得た二人は、ダンジョン内を歩き始めた。先程のスライムは、地下50階にある宝を取れと言っていた。ならば階段を探して、下の階へと進まねばならない。ダンジョンは洞窟の姿をしていたが、幾つかの部屋が細い通路で繋がっている構造をしていた。部屋から部屋へと慎重に歩を進める。時折モンスターと遭遇し、戦闘が行われた。当初の作戦通り、攻撃力の高いマルチェロがまず敵に大ダメージを与え、ククールがとどめを刺す。幾度か戦闘をこなすとレベルも上がり、初歩的な魔法も使えるようになった。装備もこんぼうからどうのつるぎ、かわのたてと多少マシなものを得ることが出来た。

  そして、二人は地下4階へと辿り着いた。





「なぁ、兄貴……腹へった…」

「うるさい。それを言ったところで腹が膨れるわけではなかろう。黙れ」

 強烈な空腹が二人を苛んでいた。先程からククールは「腹へった」を連呼し、マルチェロはマルチェロで不機嫌に押し黙っている。すると、目の前に唐突にパンが落ちているのを見つけた。ククールはダッシュでそのパンを掴んだ。

「兄貴!パンがあった!パン!」

「見れば判る」

 パンは大アルゴンハート並みの大きさで、それ以上の輝きをもってククールの手の上に鎮座している。マルチェロは内心、地べたに落ちていたパンを食べるのはどうかと思ったが、あえてそれを口には出さなかった。圧倒的な空腹を前にして、人としてのプライドや衛生観念などは瑣末な事に過ぎない。

「助かった〜。腹へり過ぎて死ぬかと思ったぜ。ホラ兄貴」

 ククールは手にしたパンを真ん中から割ると、半分をマルチェロに手渡した。だが、マルチェロは怪訝な表情でククールを見ている。

「どうした兄貴? いくらあんたでも落ちてるパンは嫌だってワガママは……」

「おい、どうして私と貴様の取り分が5:5なのだ。これまでの働きと能力を鑑みれば、7:3辺りが妥当であろう」

 パンを手にしたまま、ククールは笑顔で固まった。確かに…確かに攻撃力も体力も魔力も素早さも敵を倒した割合も、全てにおいて兄が自分を上回っているが、だからと言って……。

(そっ、それをここで言うのか!? そしてその取り分を要求する!? この状況で!?)

 ククールは兄の鉄面皮をまじまじと見た。その表情には純粋に疑問しか浮かんでいない。パンを余分に寄越せという発言に対する、恥じらいや後ろめたさといったものが一切無いのである。兄は、全くナチュラルに「己の働きに対しての正当な見返り」を要求している。助け合いの精神やら見栄やら道徳やら調和やら協調など一切存在しない、完全な合理的成果主義の前に、ククールはただただ圧倒されていた。そして思わず「あ、ハイそうでよすね」と自分の半分のパンをさらに千切って、兄に手渡していた。そしてそのパンを受け取ってもくもくと食べ始めた兄の姿に、より一層の強い愛情と、やはりこの兄と共に居られるのは自分しかいないという決意を抱き、そしてそう思ってしまうあたり自分もいい加減終わってるなとククールは自嘲するのであった。



 パンを食べて気力を取り戻した二人は、その後地下7階へと歩を進めた。互いにLv15。マルチェロがメラミを、ククールがベホイミを覚え、装備もそれなりに整っている。襲い来るモンスターにも、それほど苦戦をしなくなった。ククールはふと気になって、手にしていた例の本をぱらぱらと捲ってみた。

「……確かに最初は白紙だったよな……? 兄貴、ホラ」

「これは、我々がこれまでに通ったダンジョンの地図だな。……どうやら通過した部分のみが地図となって、この本に表示されるようだ」

 本の見開きごとに、一つのフロアの地図が描かれている。七枚目の地図以降は、白紙のままであった。そして本の最後のページには二人の現在のレベルとステータス、覚えた呪文が記されていた。

「あれっ? オレ、ヒャダルコ使えるようになってら。おっかしいな……オレには使えないハズの呪文なのに」

「どうやらこのダンジョン内では、魔法習得の適性も変化するようだな」

 マルチェロの使用可能な魔法の欄には、勇者の呪文ライデインがあった。兄とライデイン。似合うような似合わないようなその組み合わせに、ククールは苦笑した。

 そこへモンスターが現れた。都合よくというか何というか、現れたのは全身に甲冑を纏ったスライムナイトであった。

「ほう、スライムナイトか。ククール、覚えておくがよい。最小の力で最大のダメージを与えるためには、敵の属性を見抜きそれに適した戦法を取ることが肝要だ」

(ライデイン使いたいなら、素直にそう言えばいいのに………!)

 だが素直にそう言わないのが、ククールの愛する兄・マルチェロなのである。ククールはもう、何も言わなかった。

「来たな、愚かな魔物め! 喰らえ、ライデイン!!」

 ドォオン! どこからか下された天罰の雷が、スライムナイトを貫いた。憐れな魔物は、黒焦げになって息絶えていた。



「ライデイン!」

「ライデイン!!」

「ライデイーン!!!」

 青き稲妻が、ダンジョン内を走り抜ける。敵に与えるダメージは実はメラミの方が上なのであるが、マルチェロは殺戮の天使の如く、裁きの雷(いかづち)を降らせ続けた。マルチェロに勇者願望があったかどうかは定かではないが、彼が神罰の光を放つ度に翠の瞳が愉しそうに輝くのを、ククールは見逃さなかった。ククールはそんな兄をただ見守り、雑魚モンスターをさくさくと地味に剣で切り倒す作業に従事した。

(知っていたけど再認識。オレの兄貴は……なんて可愛い人なんだ……!!)

 ククールの愛するルシファーは、絶好調に敵を蹴散らし進んでいく。普通であれば魔法力の消費が気になるところであるが、このダンジョンの中では、魔法力は歩いているだけで自然に回復されていくのだ。二人は調子よく歩を進め、地下20階へと辿り着いた。



 そのフロアは闇であった。目を凝らしても、殆ど何も見えない。マルチェロがメラを唱えると、辛うじて自分達のいる部屋ぐらいは見渡せるようになった。だが、メラの炎は長くは持たない。それに、二人とも光の呪文レミーラを取得してはいなかった。新しい部屋に入る度メラを唱えて地形を記憶し、暗闇の中を手探りで進むしかない。壁伝いに二人は歩き始めた。ククールは、少し先を歩くマルチェロの手を捕まえた。マルチェロはその手を振り払おうとしたが、ククールはその手をしっかりと握り続けていた。

「……邪魔だ。手を離せ」

「だって、こうしてないとはぐれちまうだろ?……それと、ここからはオレが先に歩くよ。罠とかがあっても見えづらいし」

「体力のない者を先頭にしてどうする。あのスライムが言っていたことを忘れたのか? 貴様が死んだら、私も共に1階までもどされるのだぞ? そのような徒労は御免だな。わかったらつべこべ言わず、私の後について来い。それと手を離せ」

「オレと兄貴の体力は、もうそんなに差が無いよ。さっき確認した」

 この時ククールとマルチェロは共にLv35。初期レベルの頃は全てのステータスが兄を下回っていたククールであったが、ここに来て体力値と防御力が急激な伸びを見せ始めていた。

「防御力だったらオレの方が高いぐらいだ。だから兄貴。オレが兄貴の盾になるよ」

 守りたいんだ。ククールは握った手に力を込めた。この闇の中、想いが触れた手から伝わるように。だが、マルチェロは弟の提案を是としなかった。

「貴様の後に付いて歩けと言うのか…? 思い違いも甚だしいな、ククール。良いか、今貴様は私より強くなった気でいるのだろうが、それは一時的なものに過ぎない。貴様が私を超えることなどありはしないのだ!断じてな!」

 そう言ってマルチェロは勢い良く一歩踏み出した。



 カチッ。



 ドオォッン!!



 二人の立っていた床が、凄まじい勢いで爆発した。マルチェロが床に仕掛けられた地雷を踏んだのだ。二人は吹っ飛ばされて壁に叩きつけられる。しっかり握っていたはずの兄の手を、ククールは離してしまっていた。

「兄貴……マルチェロ!どこだ!」

「くっ、不覚……!地雷を踏むとはな……!」

 爆発のダメージで、二人の体力は半減してしまっていた。ククールは兄に回復呪文を掛けなければと、声のする方向へ駆け出した。



  カチッ。



「……おい、ククール。貴様、今、何か踏まなかったか……?」

「……踏んだ…かも…」



 ジリリリリリリン!!



 ベルの音がけたたましく鳴り響く。そして十秒もしないうちに、そこらじゅうからモンスターが集まってきた。ククールは「まものよび」の罠を踏んでしまったのだ。二人はあっという間にモンスターの群れに囲まれた。そしてこのベルはフロア中に鳴り響いたらしく、モンスターは次々と大挙して押し寄せてくる。

 戦闘が始まる。だが、まずは体力を回復せねばならない。



「兄貴! 今ベホイミかけるからっ……」

 だが、背後から襲い来るモンスターがそれを阻んだ。



 キラースコップのこうげき!ククールは28のダメージをくらった!



「ぐっ……!」

「ククール!……ッ、メラゾーマ!!」



 マルチェロはメラゾーマを唱えた。紅蓮の炎が前方にいたモンスターを5,6匹まとめてなぎ倒す。だが、焼け石に水だった。今や30匹近くのモンスターがこの部屋に集結しているのだ。前方の敵を倒しても、すぐさま左右、後方から攻撃を喰らってしまう。せめて全体攻撃のできるイオ系の呪文を覚えていれば良かったのだが、あいにく二人とも習得していなかった。次々とモンスターからの攻撃を喰らって、体力が減っていく。回復呪文を唱えている間に次々と攻撃を喰らい、やがて魔法力も底を尽き始めた。二人はダンジョン内で獲得した薬草などで体力を回復させながら戦ったが、モンスターの数は一向に減らなかった。マルチェロ、ククール共に絶体絶命、瀕死状態であった。

 時折炸裂する敵の攻撃呪文の光の中に、ククールはなおも戦い続ける兄の姿を見た。兄はもう回復の手立てを持たず、絶望的な状況の中剣を振っていた。

(……例え…死んでも最初に戻るだけだって分かっててもよ……あんたが死ぬところだけは見たくねぇんだ……)

 意味が無いと分かっていても。ククールはこのダンジョン内で覚えた、今まで使いどころの分からなかった呪文を兄に向かって唱えた。



「アストロン!!」

「なっ……ククール!?」

 マルチェロの身体が、足から徐々に鋼鉄に覆われていく。守りの呪文・アストロン。その呪を掛けた相手の身体を鋼鉄へと変化させ、一定時間であるが敵からのダメージを無効化させる効果を持つ。マルチェロは驚愕の表情のまま、ククールの方を見て固まっていた。ククールの名を叫んだまま、固まっていた。

(……そんな顔、見せるなよ…。仮にとはいえ、死にづらいじゃねぇか…)

 ククールがアストロンを唱えると同時に、モンスターの攻撃がククールに直撃していた。




 ククールのHPが0になった。





*    *    *    *    *






 目が覚めると、またどこかのダンジョンの中であった。先程まで居た洞窟風のものではなく、今度は壁を煉瓦に覆われた人工的なダンジョンであるようだ。



「やっと起きたか厄病神め。貴様のヘマの所為で、また最初からやり直しではないか!お前はどこまで私の足を引っ張る気だ、ククール」

「あ、兄貴……。そうか、オレさっき死んじまったんだな。……兄貴は大丈夫だったのか?」

「……貴様が死んだ時点で、気付けばこの場に移されていた。あのような無意味な呪文を唱えるより、もっと有益な手段は無かったのか?……私を生き残らせたところで、状況は何も変わらなかったではないか」

 相変わらずのキツい物言いでククールを責めるマルチェロだったが、語尾に若干力が篭っていない。兄の僅かな語調の変化を、ククールは聞き逃さなかった。ククールがどうしてあの場でアストロンを唱えたのか。その理由をマルチェロは解っているのだろう。そして少し困惑している。ククールの行動に対して、感謝などは決してしないマルチェロではあるが、それでも弟がその行動に至った訳を理解している。ククールには、それで十分だった。

「……何をニヤニヤしている。気色の悪い奴だ。さっさと行くぞ。このような場所からは、一刻も早く脱出したいものだ」

 ダンジョン攻略は振り出しに戻り、強さは共にLv1。手持ちのアイテムも無く、使える呪文も無い。全く最初からのやり直しである。だがなぜか、ククールはこの状況をそれほど絶望視していなかった。マルチェロがいる。それだけでどんな場所でも天国だ、とまではさすがに思わなかったものの、絶望は感じなかった。兄と一緒なら、何度だって挑んでいける。口に出すにはさすがにクサ過ぎるので言わなかったが、ククールは真実そう思っていた。





 冒険は全く一からのやりなおしで、本に記されていたはずの地図も、きれいに跡形も無く消えていた。不思議のダンジョンはその名の通り不思議なダンジョンで、元に戻される度にその姿を変えてしまう。手に入るアイテムも覚える呪文も、その都度変化していくのだ。ククールとマルチェロはその後、幾度もダンジョンに挑んでは全滅を繰り返した。だが、挑むほどにダンジョン攻略のコツを掴み、より深い層へと辿り着いた。

 そして、ついに地下48階へと辿り着いた。『さいごの宝』があるという地下50階まで、あと僅かである。



「兄貴、危ない!」

 ククールはマルチェロに向かって飛んできた矢をメタルキングの剣で払い落とし、矢を射ったモンスターをベギラゴンで焼き尽くした。敵の全滅を確認すると、兄が怪我をしなかったかどうか確かめる。掠り傷であるが、ダメージを負ってしまっているようだ。ククールは急いでホイミを唱えようとした。だが傷口に翳されたククールの手を、マルチェロは忌々しげに振り払った。

「……ただの掠り傷だ。それにホイミぐらい自分で掛けられる」

「オレが掛けたいんだ。ホラ、兄貴」

 ククールは逃げる兄の腕をグッと掴んで、ホイミを唱えた。癒しの光がみるみる傷を塞いでいく。マルチェロはそれを忸怩たる思いで見ていた。

(……屈辱だ! 私が、まさか私がククールなどに引けをとるとは……!)

現在、ククールとマルチェロの強さは共にLv57。初期レベルの頃はマルチェロが全ての面においてククールを上回っていたが、Lv20を超えた辺りからククールの成長の幅が大きくなり、Lv50を迎える頃には体力・魔力・攻撃力・防御力・素早さ、すべての面でククールのステータスがマルチェロのそれを上回っていた。どうやらククールは大器晩成型であったようだ。最初はマルチェロの後ろで雑魚モンスターの片付けをしていたククールであったが、今や兄の前に立ち果敢に敵をなぎ倒している。

 戦いの場においては強さが全てである。それはマルチェロも理解しすぎるほど理解していたし、事実マルチェロ本人がそれを主張していたのだ。パーティのイニシアチブは、今や完全にククールが握っていた。マルチェロは憤懣やるかたない思いを抱きながら、弟に従う他なかったのだ。



「治ったぜ、兄貴。もうすぐ地下50階だけど、余裕のある今のうちに態勢を整えておいた方がいいと思うんだ。下に行く階段はさっき発見したけど、このフロアをもう少し歩いてレベルを上げたほうがいいと思う。せめてどっちかがベホマを覚えるぐらいまで。パンも余分に余ってるし。兄貴はどう思う?」

「……お前がそう判断したなら、そうすればいいだろう。いちいち私の意見を聞かなくても良い」

 ククールは自分の力が完全に兄を上回っていることを知りながら、それでも行動を決める際にはマルチェロに相談をした。だが、それがマルチェロのプライドを余計に傷つけていることに、ククールは気付いていなかった。

「なんでだよ兄貴。こういう事は一人で決めるより二人で考えた方がいいだろ?」

「それで意見が対立したらどうする? 結局は力のあるものの判断に従う他ないのだ。だから無駄な相談などする必要は無い」

「……それはちょっと違うんじゃねぇの、兄貴。どっちが強いからとか、そんなくだらないことで……」

「ほう!くだらない!お前にとってはくだらないだろうな!ククール。お前は私に従う振りをして、そうやって昔からずっと私を……」

 心の内で見下してきたのだろう。それを言いかけて、マルチェロは口を閉ざした。こんな所で己のコンプレックスを弟に晒してやる必要などない。それに気付いて、言葉を飲み込んだのだった。そう、これはマルチェロが弟に対して長年抱いてきたコンプレックスである。力を求めそれに拘泥し、またそうするしかなかった自分を、弟は内心で憐れんでいるのではないか。ククールが己に向ける眼差しを、マルチェロは心の奥でずっと恐れていたのだ。そして今、この不思議のダンジョンで互いの力関係が逆転してしまった。マルチェロは己のプライドをぎりぎりで保っている状態だったのだ。それを、露呈してしまいそうになって、マルチェロは無表情の仮面を被る。だが兄の動揺に勘付いたククールは、青い瞳をすっと細めた。

「……昔から、何? 兄貴、何だよ。言いたいことがあるならハッキリ言えよ。あんたらしくもない」

「貴様になど言うものか。……先を急ぐぞ」

「……嫌だね。先には進まない。オレが、今決めた。……強い奴の言う事が全てなんだろ?」

 唇の端に人の悪い笑みを浮かべて、ククールが言った。マルチェロの心の揺れを、ククールの目は見逃さなかった。「そうやって昔からずっと私を」。その後兄が何と続けようとしたのかは、なんとなく察しがついていた。兄は内心で自分を恐れているのかも知れないと、ククールは密かに分析していた。そしてこのダンジョンで力が逆転してしまった結果、兄が恐れていたことが現実のものとなり始めている。そんな気がする。

 今ならマルチェロの本心を知ることが出来るのではないか。ククールは兄を挑発した。

「オレに見下されるのが怖いの?兄貴。……いや、違うな。あんたが本当に恐れているのは、オレがあんたより優位に立って、そしてあんたへの興味を無くしちまうことだ」

「なっ……!……思いあがるなククール!誰が貴様なんぞを」

「図星だろ。……まぁ、いいよ。それよりさ……」

 薄い唇が三日月のように弧を描く。ククールはそのままマルチェロに近づくと、その両手を捕まえた。そして兄の背中をそのまま壁に押し付ける。手首を掴み、壁に縫いとめるように押さえつけた。

「ああ、やっぱりオレ強くなってんだな。あんたをこうやって屈服させるなんて夢みたいだ。無事にここから出られたら、鍛錬を積むことにするよ。さて、兄貴。あんたの理屈だと、力のある奴ってのは何をしてもいい訳だが、それはあんたに対しても例外はないんだよな?」

「………こんな事をしている場合ではなかろう」

「“こんなこと”って兄貴、オレがこれから何するつもりか、ちゃんと分かってる?」

 そう言いながら、ククールは兄の両腕を片手で一本に纏め上げると、もう一方の手で器用にアイテムを取り出した。途中の階で入手した「まものよけの巻物」である。口で巻物の封を切って、床に転がす。これでこの部屋にはモンスターは入ってこない。無粋な魔物にこの時を邪魔されてはかなわない。

「……抵抗、しないのか。兄貴」

「……………………」

 マルチェロはククールから顔を背け、押し黙っていた。抵抗しないのは無駄だと悟っているからか、未だ己の理屈に拘泥しているからなのか。ククールは眼前に晒された兄の首筋に唇を寄せた。そのまま強く吸い付くと、兄の身体が僅かに反応した。掴んだままの手首が、屈辱に震えている。耳朶を軽く噛んでやる。意外に柔らかなその感触に、ククールの胸が締め付けられた。

「……兄貴…ホントに…するぞ? これ以上進むと…自分でも止められない」

 唇で兄の首筋を辿りながら、それでもククールは内心躊躇していた。マルチェロを挑発したのは、彼の心の奥底にあるコンプレックスや葛藤を刺激して、本心を開放させてみたかったからだ。だが、プライドを守ろうとする兄の張り詰めた姿が、ククールの嗜虐心を刺激した。そして、状況が背中を押した。今この空間の中でククールは兄を容易く押さえつける力を持ち、そして兄は兄で抵抗をしないのだ。マルチェロはこの期に及んで、まだ己の考えを曲げないつもりなのか。力を拠り所に生きてきたこの男は、己の貞操が、しかも実の弟の手によって奪われようとしているこの状況でも、その考えを捨てないつもりなのか。一言、やめてくれと言えばいいだけなのに。ククールが無理強いをするような男ではないと知っているはずなのに、マルチェロはそれを言わない。

 首筋から頬へと兄の肌を辿る。ククールは自分でもどうしていいのか分からなくなっていた。欲望のまま、このまま兄を抱けるものなら抱いてしまいたい。だが……。

 ククールは兄の肌から一度唇を離し、兄の顔を見た。背けられた頬に手を添え、ゆっくりとこちらを向かせる。兄は瞳を閉じてはいなかった。苛烈な翠の眼差しが、ククールを見据えている。ククールはその視線に気圧された。

「……私に不埒な真似をしたいのなら、思う存分するがいい。今この場では、貴様の力が上だっただけのことだ。そして私にとっては、それが全てだ。やるならさっさとやれ」

 視線を揺るがせる事もなく、マルチェロは言い放った。翠の瞳がククールを睨みつける。ククールは再びマルチェロの首筋に覆いかぶさり、そして――



 ごつん。と壁に額をぶつけた。



「………? 何をしている?」

「ごめん、兄貴。オレが悪かった。……あのな、兄貴。あんたはオレについて、一つ分かってないことがある。いくらオレがあんたより大きな力を持ったって、いくら強くなったって、オレはあんたには絶対に勝てない」

 ククールは強く捕らえていたマルチェロの手首を離し、そのまま両手を兄の背中に回した。兄の首筋に顔を埋め、ぎゅっとしがみつく。

「オレがいくら強くなったって……惚れた相手には勝てねぇよ。オレ、自分で思ってた以上に、あんたに参っちまってるみたい」

「ふん、今さら怖気づいたという訳か」

「そりゃ怖気づくさ、何せあんたを頂こうってんだから。並大抵の度胸じゃ出来ないね。……それに、こんなロマンも情緒もない場所じゃちょっとね」

 マルチェロの肩口に鼻を押し付けたまま、ククールは深く息を吸った。胸の中を兄の匂いで満たすように、ゆっくり深呼吸する。そして名残惜しそうに、兄を解放した。

「さ、行こうぜ。続きはここを無事に出てからにしよう」

「続きなどあるものか。馬鹿げた茶番はこの場だけにしてもらおう」

「あー、それならここから出る前に、せめてキスぐらいさせて。兄貴」

「黙れ」





 パーティ決裂の危機(?)を回避して、ククールとマルチェロは地下49階へとたどり着いた。だが、そこは何枚もの壁が作り出した迷宮であった。

「ここに来て迷路かよ。仕方ねぇ、運良く階段が近くにあればいいんだが……」

「……待て。……何か、聞こえる」

 マルチェロに言われてククールが耳を澄ますと、壁の向こう側から悲鳴のような声が聞こえる。それに混じって肉を切り裂くような鈍い音。獰猛な笑い声が、けたけたと石の壁にこだましている。

「……まずいな。バーサーカーが居やがる。しかもめちゃめちゃレベルあがってるぞ、ありゃ」

 バーサーカー。不思議のダンジョン内に生息する人型モンスターの一種であるが、普通のモンスターとは異なる性質を持っている。ダンジョン内に居る他のモンスターを手当たり次第に殺戮し、レベルアップしていくのだ。レベルが低いうちはそれほど手こずる相手ではないが、高レベルのものになると一撃で即死させられることもある。ククールとマルチェロも、バーサーカーによってダンジョンの振り出しに幾度となく戻されている。

「音を頼りに回避するしかあるまい。早いところ階段を探すぞ」

「ああ。ここまできて最初からやり直しってのは、さすがに嫌だからな」

二人は慎重にルートを選択し、迷路を進んだ。その間も、凶暴な蛮人の笑い声が近くに遠くに響いていた。入り組んだ道に迷いながらも、二人はなんとか迷路を解き明かし、そしてゴールへと続く階段のある部屋へと近づいていた。



「残るはあと一部屋……。兄貴、おそらくこの部屋に階段があると思うんだが……」

「これまで辿った地形から察するに、この部屋は袋小路になっている。……ヤツが先刻からやけにおとなしいのが気になるな…」

 ククールとマルチェロは、最後の部屋の一歩手前で躊躇していた。ずっとフロア中に響いていたバーサーカーの笑い声が、先程から途端に聞こえなくなったのだ。もしこの先の部屋にバーサーカーがいるとしたら、相当に危険である。袋小路での遭遇は避けたい所だ。進むべきか、待つべきか。だが……。



 どこからか、風が吹いてきた。



「……やばいな、風が吹いてきやがった。迷路に時間喰っちまったからな」

「行くしか、あるまい。もう時間がない」



 不思議のダンジョンでは、同じフロアに長く留まることは出来ない。一定の時間を超えるとどこからともなく強い風が吹いてきて、ダンジョンの入り口まで吹き飛ばされてしまうのである。風は次第に強くなってきた。二人は、最後の部屋に足を踏み入れた。

 件のバーサーカーはその部屋の中に居た。だが、眠ってしまっている。先程からやけに静かであったのは、このためだったのだ。しかし、その眠っている場所が問題であった。

「……何だってまた、あんなところで寝てやがるんだ……!くそっ!」

 ククールは小声で悪態をついた。バーサーカーは口から涎を垂らしながら、階段の入り口に腰掛けてすやすやと眠っているのである。部屋の中にはバーサーカーの犠牲になったモンスターの死骸が転がっている。この部屋に来るまでにも、迷路のあちらこちらに累々と死体の山が築かれていた。レベルはかなり上がってしまっているものと考えてよいだろう。

「あれを起こさずに横を通過するのは無理だろう。ならばこちらへおびき寄せるしかない。…ククール、提案がある」

 マルチェロは低い声でククールに何事か呟いた。

「なっ……!ダメだ兄貴。危険すぎる。だったらオレが残る!」

「お前の方が素早い。それにこの先何もないとも言い切れぬ。どちらがマシかは分からんぞ。……時間がない。やるぞ」

 風はもう、かなり強く吹いていた。マルチェロは右手に魔力を込める。最大級の火球が空中に浮かび上がった。

「長くはもたん。急げ」

「兄貴!」

 炎が放たれた。紅蓮の炎が眠るモンスターに直撃する。だが、致命傷を与えるには至らなかった。目覚めた蛮人は血に濡れた斧を振り回し、呪文の主めがけて一直線に駆けてきた。それをマルチェロが迎え撃つ。振り下ろされた斧を剣で受け止めた。火花を散らして、猛攻を防ぐ。全ての力を防御に集中させる。斧の一振り一振りが、痛恨の一撃並みの破壊力だ。喰らえば死ぬ。気は一瞬たりとも抜けない。

 ククールは駆け出した。バーサーカーはそれには目もくれず、ただひたすらにマルチェロを攻撃し続けている。金属のぶつかり合う音を後ろに、ククールはひた走った。

(兄貴……!頼むから……死ぬんじゃねぇぞ……!)

 マルチェロを囮にするなど、したくはなかった。振り返って兄を助けたい。だがそれでは全てが水泡に帰す。二人で戦ってバーサーカーに勝てたとしても、時間切れになってしまう。だから、ククールは走った。後ろを振り返らず階段を駆け下りた。地下50階。部屋の中央に宝箱があった。感慨も感動も無く、ククールはその箱を急いで開けた。すると中から青くて透明なものが飛び出してきた。最初に出会ったあのスライムである。




「ぴぃ〜っ!ダンジョン攻略おめでとうっ!これが『さいごの」

「おいてめぇっ!早くオレ達をここから出せっ!兄貴が…!兄貴がっ!!」

 ククールは飛び出してきたスライムを掴んだ。ゼリー状の物体が乱暴に引き伸ばされる。

「ぴっ、ぴぃい〜〜〜っ!落ち着いて!…そっ、そこにあるオルゴールを開けばこのダンジョンは消えるよっ」

「コレか!?」

 ククールは宝箱の底に置いてあった銀色の小箱を取り出した。

「ぴっ!幸せのオルゴールだよ!みんなを幸せにする音色を奏でるのさっ!」

「開けばダンジョンは消えるんだな!? オレと兄貴は外に出られるんだなっ!?」

「うん。だけど待って。まだ説明が」

「んなもんどうでもいい!」

 ククールは話を続けようとするスライムを遮って、銀の箱を開けた。オルゴールは暖かい音色を奏で始める。同時にダンジョンの壁や床がキラキラと光って、うっすらと消え始めた。

「ぴぃ〜っ、せっかちなんだから!最後に聞いて。そのオルゴールを聴いて眠るとね……一番強く想っている人の夢を…………」

 スライムの声が遠ざかっていく。壁も、床も、天井も、何もかも。全てが白く輝いて見えなくなった。





*    *    *    *    *







 ククールは、見慣れた部屋の中に居た。テーブルの上に置かれたカップからは湯気が立ち昇り、暖炉の火が赤々と燃えている。ここは、いつもの部屋だ。オークニスにある、兄が暮らす山小屋の中だ。その山小屋の部屋に、突っ立っていた。ククールは隣を見た。マルチェロが、居た。

「兄貴っ!」

 ククールはマルチェロに飛びついた。いきなり、かなり勢いよく飛びつかれて、マルチェロはバランスを崩す。そのまま二人して床に倒れこんだ。振動で床が揺れる。派手な音を立てて、テーブルの上のカップが倒れた。

「兄貴っ!兄貴っ!よかった!間に合ったんだな!」

 倒れたカップからまだ暖かい茶が、テーブルの上からぼたぼたと垂れて絨毯に染みをつくる。それにも構わず、ククールは兄に抱きついていた。マルチェロは辺りを見回して、ようやく状況を理解したようだ。深いため息をついて、額に手を置いた。大型犬のようにじゃれついてくる弟を追い払う気力もない。そのままぼうっと天井を眺めていた。しばらくそうしていて、マルチェロはククールの手に何か銀色の物が握られているのに気付いた。

「……それが『さいごの宝』か?」

「ん?……ああ、オルゴールだ。ホラ」

 ククールはオルゴールの蓋を開けて見せた。銀の細工からポロン、ポロン、と途切れ途切れの旋律が奏でられる。ククールの手の中にある小さな箱を見て、マルチェロは鼻先で小さく笑った。

「ふん『さいごの宝』など大層な名前の割には……ちゃちな………………」

 翠の瞳がゆるゆると細められ、そして閉じられる。ダンジョンでの精神的疲労と部屋の適度な暖かさ、上に乗ったままの弟の体の重みがマルチェロを眠りの世界へと誘った。すうすうと寝息を立てて眠り始めた兄の顔を、ククールはなんとも言えない気分で見つめていた。全く無防備に兄が眠っているのだ。しかもこんなに身体が密着した状態で。ともすれば何かを致してしまいそうな状況であるが、か細く流れる銀の音色がククールの心に歯止めを掛けた。清らかなオルゴールの音色が、やましい心を掻き消してしまうようだ。それに……。

(この音色を聞いて眠ると、一番強く想っている人の夢を見れる…っつってたっけな、あのスライム。じゃぁ、兄貴はきっと今……)

 あの優しかった師父の夢を見ているのだろう。そう思うと兄に対して何も出来ないし、何も思ってはいけないような気がした。ククールは兄からそっと体を離した。せめてソファーまで運んでやろうと、横たわる兄の体の下に手を差し入れようとする。すると、マルチェロが何事かを呟いた。

「……だから貴様は…………。…この…やくびょう…がみ…」

「……え? …………兄貴?」

(いまのって寝言…?え?え? ひょっとして………………!?)



 オレは、何かを期待していいのでしょうか、兄貴。ククールは心中で問いかけたが、もちろん眠るマルチェロは答えない。






 床に転がったままの銀の箱からは、優しい旋律が零れていた。窓の外では雪が降っていた。すべての音を閉じ込めて、雪は降り続いていた。





― END ―


2007/12/31






べにいもの感想


兄貴カワイイ…
もんどさまから頂いたこの作品を読んで、まず最初に「ライデイーン」な兄貴にトキメキました。
マルチェロの可愛いところは「カワイイ」と言われると間違いなく激怒する、でもカワイイ行動にあると思います。

そして、そんな兄貴にメロリノンラブ(すごい表現だ)なククールがまた…アホでっ!!(失敬、でも褒めてます)
この二人は、共に苦難を乗り越えたら、こんな風に少しは分かり合えるのかもしれませんね…このように、強制的に苦難に放り込まないと無理そうではありますが。

もんどさま、本当にありがとうございました。そして、せっかく交換したのに、アップが遅くなってすんませんっしたっ!! inserted by FC2 system