救世主の名を持つ悪魔殺しの物語

1-4 アルジェの宿屋「亜麻色亭」の女将オルダが語る話









「ようやく静かになったな、オルダ。」

うちの人の言葉に、わたしも頷きます。

もう朝と昼の間くらいにはなったでしょうか。


「ほんとうねえ、昨日からえらく騒がしかったものねえ。」

ふぁーあ。

うちの人は大きなあくびをします。


「まったく、サルヴァドルの若さまも困ったもんだな。無断で船を奪って出撃するなんて話、冗談だと思ってたら…本気だったとは。」

「あの子は昔から、やると言ったことはやってきましたよ。ふふ、若いってのはいいものねえ。」


わたしのことばに、うちの人は困った顔をするのです。

「『若い』の一言で何でも片付けるな、お前は。昨晩は、船が無断で出撃したってんで、アジトの海賊さんたちが大騒ぎしてて、お客は落ち着かないわ、おれたちも眠れないわ、さんざだったじゃないか。」

「本当ねえ。困ったサルヴァドルさんだこと。」

「オルダ、お前はのんき者だなあ。」

うちの人は、天井を仰いで、もう一つ、あくびをしました。


「さっきも出港所に行ったらな、今朝まだ暗いうちにさ、黒髭の旦那が血相変えて飛び込んできたんで、びっくりしてたよ。」

「アイディンの旦那が血相変えて。そりゃあ怖かったでしょうねえ。」

「生きた心地がしなかったってえ話だ。」

「うふふ、サルヴァドルさんも今ごろ大目玉でしょうね。」


わたしは、さっき顔を出したサルヴァドルさんを思い返します。


「叔父貴に見つかっちまって、今、説教くらいに行くところさ。」

憮然とした顔をしていたくせに、


「でもよ、オルダ、オレ、勝ったんだからなっ!初陣で大勝利だぜ!」

それだけは力いっぱい言った、あの子。


「さすがですね、サルヴァドルさん。」

わたしがそう言うと、満面の笑顔で笑ったあの子は、もう17か。


「…あんなに小さかったのに、大きくなりましたねえ、サルヴァドルさんも。」

わたしが言うと、うちの人は小さなあくびをして続けました。


「赤髭の旦那のお考えか、ホーレスさんのせいか知らないが、いつまでもこのアルジェで箱入りの王子さまってワケでもないだろう。今回のをきっかけに、若さまも海賊デビューって運びになるかもしれないなあ…」

「海賊、ね。何も、あんな若い子が、あんな可愛い子が、海賊になんてならなくてもねえ…」

「おいおいオルダ、ウチはアジトの海賊さんたちにごひいきになってるだろうがよ。」

「でもねえ…」




故郷を追われたわたしたちを受け入れてくれたこのアルジェの港にも、お膝元には寛大な海賊王ハイレディンの旦那たちにも感謝しています。

けれど…




「おかみのオルダはいるかい?」

宿屋の扉を開けて入ってきたのは、アルジェ海賊でした。


「はい、おりますよ。」

「旦那方の食事を頼む。」

「ああ、今までお食事がのびていたんですね。はいはい、ただ今お持ちします。」


アルジェ海賊が出て行くと、わたしはあくびばかりしているうちの人を寝室へ追いやり、手早く食事を用意しました。




食事を奥へ運んで戻ってくると、海賊アジトの入り口で、サルヴァドルさんとホーレスさんが会話をしていました。


「良かったですね、若。」

「ホーレス、これからもよろしく頼むぜ。」

何があったのだろうと、わたしは聞き耳を立てます。


「若、こちらこそお願いしやす。」

「…ホーレス、オレはもう正真正銘の海賊なんだぜ。若はやめてくれよ、若は。」

わたしはその言葉で、どうやらハイレディンの旦那から海に出る許可が出たのだと推測しました。

なぜって、サルヴァドルさんの顔が、嬉しさに輝いていたからです。


「それもそうですね、若。…っと、いけねえ。呼び慣れてるもんはなかなか抜けやせんね。きちんと若様って呼ばないと。」

ホーレスさん、それは違うわ。

とわたしが思うと同時に、サルヴァドルさんも、みるみる怒った顔になりました。


「ちがーう!そんな海賊いるか!頼むからほかの呼び名にしてくれよ。」

この子は本当に。クールぶるくせに、感情がすぐに顔に出るのだから仕方がありませんね。




「わかりやした。そうですね。」

ホーレスさんは真剣にしばらく悩み、


「提督なんてのはどうでやしょう?」

と提案しました。


サルヴァドルさんが、まんざらでもなさそうな顔になり、返事をしようとした時でした。




「よう、提督。」

サルヴァドルさんが振り向いた瞬間、とてもとても嫌そうな顔になりました。

あの顔は、昔、あの子が風邪をひいた時に、苦い薬を呑ませた時の顔です。




「聞いたぜ、サルヴァドル。おまえも俺たちの仲間入りらしいな。まあ、お手柔らかに頼むぜ。」

ジョカさんは、サルヴァドルさんより頭一つ高い位置から手をのばし、馴れ馴れしげにサルヴァドルさんの背中を叩きます。

そういえば、この人もサルヴァドルと同じ年のはず。

まったくそう見えないのは、サルヴァドルさんが年よりも幼く見えるからか、それともジョカさんが年よりもはるかに大人びているからなのか。


「…ジョカ、お前には絶対負けないからなっ!!」

サルヴァドルさんは子どもみたいに言い捨てると、長い黒髪をひるがえして、外に出て行きました。

慌ててホーレスさんが後を追います。




「ふん、『王子さま」が。」

ジョカさんが冷たく鼻を鳴らしました。


そういえば、サルヴァドルさんがうちの宿屋に遊びに来るたびに、このジョカさんの話をしていた。

「ライバル視」と言えば、十代の男の子としては微笑ましいものだろうけれど、なんというか、ジョカさんのサルヴァドルさんに向ける態度には、そんな温かなものが感じられないのです。

憎しみというか、憎悪というか、そんなものが感じられてしまうのは、わたしの気のせいだと良いのだけれど。




「誰だっ!?」

ジョカさんに急に怒鳴られ、わたしはすくみ上がってしまいました。


大股で歩み寄るジョカさんに、わたしは、小さな声で弁解を試みます。


「ふん、なんだ、宿屋のばあさんか。」

ジョカさんの一言に、わたしは面白くない気持ちになります。

だって、うちの宿屋「亜麻色亭」由来になったわたしの亜麻色の髪には、そりゃあ、だいぶと白いものが混じってきていますけれど、まだまだ「ばあさん」呼ばわりされるような年じゃありません。

いくら17の子にだって。




「おう、オルダ。」

太鼓腹を揺らしながら、トーゴの旦那が入ってきた。


「相変わらずいい女だな。」

「まあまあ、お上手。」

トーゴの旦那は、ジョカさんに視線を向ける。


「ジョカ、オルダは若い頃は、亜麻色のつやつやした髪をした、そりゃあべっぴんだったんだぜ。」

「へえ、そうなのかい、トーゴ。」

ジョカさんから、険が消えた。


「ま、あの時ぁ俺も細身の美男子だったからな。オルダが亭主持ちじゃなきゃ、似合いだったんだがよ。」

「ふふ、それは大分と昔の話ですね。」

「はっはっは、そりゃ手厳しいな、オルダ。」

トーゴの旦那は空気を和らげると、その二重あごをつまみました。


「ところでジョカ、サルヴァドルはどうした?」

「さあ、お頭にもらったフランダース・ガレーを造船所に取りに行ったのか、はたまた酒場で船員でも集めてるのか、どっちかじゃないか?」

「ふうむ…」

トーゴの旦那は、手入れのいい巻き毛を揺らしました。


「オルダ、宿に戻るか?」

「ええ、もう食事の差し入れは済みましたから。」

「そうか。じゃあ、サルヴァドルに会ったら、ここに寄るように伝えてくれないか?」

「はい、旦那。でも…」

「何だ?」

「サルヴァドルさんにお説教をなさるんなら、ほどほどにしてあげて下さいね。」

わたしが言うと、トーゴの旦那は大きなお腹を揺らして笑った。


「あら違うんですか。てっきり、またサルヴァドルさんがホーレスさんの目を盗んで何かしたのかと…」

「はっはっは、あいつがホーレスの目を盗んで何をしたのか知らねえが、説教じゃあないさ。」

トーゴの旦那は、一振りの刀をわたしに示しました。半月のような反りを持った、切れ味の鋭そうな刀です。

「シミター…ですか?」

わたしが言うと、トーゴの旦那は少し驚きます。


「博学だな、オルダ。」

「オスマン海軍を見たこともありますし、それに、アルジェにもう長いこと住んでますからねえ。」

「フン、オスマン海軍か。」

ジョカさんが低く鼻を鳴らしました。

その声に、何かとても暗くて重いものがこもっていたような気がしました。


「これをサルヴァドルにやろうと思ってな。あいつ、カトラスなんぞ使ってるが、下っ端じゃないんだ、もっとマシな得物使わないと。」

「カトラスより大きいですけど、使いやすいんですか?」

わたしは、サルヴァドルの細い肩を思い起こす。

まだまだ少年の体型をしたあの子に、こんな刀が使いこなせるのでしょうか。


「カトラスみたいに叩きつける武器じゃないからな。それに、いい鉄使ってるから切れ味がいい。」

「ああ、あいつ非力だからな。蛮刀よりゃ、シミターみてえな曲刀の方がいいだろうよ。」

やはり、どこか険のあるジョカさんの物言いです。


「ま、サルヴァドルは17だ。まだまだ背も伸びりゃ、腕力だってこれからついていくさ。というわけで、頼んだぜ、オルダ。」

「承知です。」

「すまないな。」

わたしは、アジトを出て宿へと戻りました。

お客が少ないうちに掃除や片付けを済まそうとバタバタしているうちに、もう昼になってしまっていました。


「そろそろ、うちの人を起こさないと。」

わたしが奥へ入りかけると、サルヴァドルさんが宿に入って来ました。


「いらっしゃい、聞きましたよ、サルヴァドルさん。赤髭の旦那から航海のお許しが出たそうですね。おめでとうございます。」

「…もう知ってるのか、オルダ。」

サルヴァドルさんは、嬉しさを押し隠すようにして、少し仏頂面を作りました。


「もう船は手に入れたんですか?名前は何と?」

わたしがいくつか質問すると、すぐにその仏頂面も消えた。


「船はフランダース・ガレーだ。ホントはガレアスが使いたいけど…まあ少しは我慢だな。で名前は『ガナドール』ってつけたんだ。」

「まあ『勝利者』号ですね、幸先のいい名前です。」

「だろ?ホーレスも意外とセンスがいいよな。で、だな。さっそく船員に…」

サルヴァドルさんは、とても嬉しそうに喋り続けました。

おかげでわたしは、息子が旅立つのを見るような気持ちになり、目頭が熱くなりました。


「そうだ、せんべつでもお渡ししないと…」

わたしは、思わずそう言ってしまった後で、はたと困りました。

サルヴァドルさんに渡せるようなせんべつなんて…


ふと見ると、サルヴァドルさんが困ったような顔でわたしを見ています。


「いいよ、オルダ、別にそんなつもりで寄ったわけじゃ…」

そうしたうつむいた時に、サルヴァドルさんのさらさらした黒い髪が揺れるのを見て、わたしは、少し待って下さいと言い置いて、中へ入ります。


「ん…オルダ、なんだいきなり、タンスなんか探して…」

寝ていたうちの人を起こしてしまいましたが、わたしはタンスの奥から、自分がこの人と結婚する時に記念に買った、セリカ渡りの絹のスカーフを探し当てました。抑えた赤い色が気に入って買ったものの、高価なものでなかなか使えなかったこれなら。


「お待たせしましたね、サルヴァドルさん。向こうを向いて下さいな。」

「…ん?」

わたしは、サルヴァドルのしなやかな黒い髪を、その赤いスカーフでひとつにくくりました。


「これは、わたしからのせんべつ代わりです。」

わたしは小さな手鏡を、サルヴァドルさんに示しました。

サルヴァドルさんは鏡にうつった自分の黒い髪と、その色に思ったよりももっとよく似合う抑えた赤色のスカーフを見つめます。


「…気に入りませんか?」

わたしが問うと、サルヴァドルさんは、


そっ

と照れた笑いを浮かべました。


「ありがとう。」

サルヴァドルさんは、そのスカーフを触りました。


「ありがとう、オルダ。大事に使わせてもらうよ。」

その笑顔に、わたしは、心の奥がぎゅっと掴まれるように、心が痛くなりました。

何でなんでしょうね。

自分でも不思議です。

まだまだ小さかった頃から見ているから、我が子が旅立つ気分になってしまったのでしょう。


「でも、サルヴァドルさん、海に出るようになったら、寂しくなっちゃいますね。」

わたしは、出来るだけ涙声にならないように気をつけて、サルヴァドルさんに笑いかけます。


「寂しくなんかないさ。すぐに地中海一の海賊になって、オレの名前を轟かせてやるからなっ。」

サルヴァドルさんは、不敵な台詞に似合わない、まだ大人になりきっていない声でそう言いました。


「そうですか…戻ったときには、また遊びに来てくださいね。」

わたしは、それだけ言うのがやっとで、トーゴの旦那に頼まれていた用件も、思わず言い忘れそうになるところでした。









「…何かあったのか?」

しばらくしてのっそりと起きてきたうちの人がそう言ったことで、わたしは自分が思わず泣いていたことに気付きました。


「ううん、何でもないんですよ。ただ…サルヴァドルさんが海賊として旗揚げするのを見送ったら、なんだか…ねえ。」

「ああ、やっぱりそういうことになったか。」

うちの人は、しきりに頷きました。


「まだまだ子どもなのに…」

「なに、あの若さまは海賊王ハイレディンの息子さ。」

「そうは言うけれどねえ…」

「おいおい、お前の息子じゃないんだ。いつまでも泣くなよ。」

うちの人はそう言って、優しく肩を抱いてくれましたけれど、やっぱり、わたしの涙は止まりませんでした。




どうしてなんでしょうね、サルヴァドルさんの夢がようやく叶ったというのに。

ねえ、本当に不思議ですよ。





2010/2/27



この宿屋の女将オルダはオリキャラ(ゲームでは名前はない)なのですが、名前なしキャラのくせに、女が苦手でまともに喋れない設定のはずのサルヴァドルがフツーに会話できる、数少ない女性なので、キャラ化してみました。
そして次回は、トーゴの旦那のお話です。




ネタバレプレイ日記(感想)

   

目次









































改めてプレイした時に、「アジトへ戻れ」という伯父貴の言葉を無視してあちこち寄り道したら、いろんな台詞が聞けて面白かったです。特に印象に残ったのが、この宿屋のおばさん(おばさんかどうかも分かりませんが)の台詞。
何この人、なんでこんなにサルヴァドルを心配してるの?てかサルヴァドルもなついてんの?何この
「ありがとう」
とか、可愛く言っちゃってんの?
サルヴァドルが一番可愛い対応をしている人な気がします。ホントはくれるのは「聖なる香油(嵐が起きた時に鎮めてくれるアイテム)」×5なのですが、さすがにこんな非現実的なアイテム話に出せないので、こういう話にしてみました。
「遊びに来て下さいね」
と言うのに、その後はいくら遊びに行っても、フツーにしか対応してくれないのが悲しい…おばさん、オレのこと、忘れちゃったの?

アルジェの港の人(サルヴァドルが普段から知ってる人)のサルヴァドルへの対応
・一応敬語。
・サルヴァドル「さん」呼び。

さすが海賊王子、世界一の冒険家になろうが、公爵になろうが、いつまでも「ミランダちゃん」呼ばわりするジェノヴァのやつらとは扱いが違います。
とはいえ、さすがにリスボンのボンボン、ジョアンみたく「さま」は付けません。なんか微妙にヤンキー世界っぽいです。

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