「あら、アル・ベイ(アル君候)、お疲れのご様子だけど、どうなさったの?」
わたしが言うと、アルは頭を上げる。
「お前までやめてくれよな、ラディア。アル・ベイ呼ばわりも、妙な敬語使われるのも、他の奴らで十分だっての。」
「あら。最初にアスケリ(士族)の称号を大帝に頂いた時は得意そうだったクセに。」
「飽きたよ、もう。」
アルはターバンをわずかに直す。
「で、なんで疲れてるわけ?」
わたしが聞くと、アルでなくて、サリムが冷やかすような笑みを浮かべる。
「こいつってばな、なんと、口先三寸で騙くらかされて、ヤバい話に投資しちまったんだぜ。笑うだろラディア?」
「騙されてねーっての!」
こいつ、とばかりに、アルはサリムのひげをひっぱった。
幼なじみだから、怒り方も昔のままってかんじ?
「痛い痛いってば、アル!ひっぱんなよ、」
サリムはアルの手をはねのけると、手でなでつけて黒いあごひげを整えた。
「せっかく整えながら伸ばしてんだからさ。」
サリムとアルは同い年なんだけど、ひげのおかげでサリムの方がぐっと年上に見える。
まあ、中身はそんなに変わらないんだけど。
「お前も伸ばしてみろよ、大変さが分かるから。」
「ほんとね、アルもひげ伸ばせばいいのに。」
「そうそう、せっかくベイの称号を持ってるんだからさ。」
アルはあごを撫でる。
「どーもムダに偉そうでな…でも、ラディアはそっちの方が好きかい?」
「あんまツルツルだと、サリムとの仲を疑われちゃうわよ。」
「やめてくれよっ!!」
アルとサリムが同時に叫んだ。
「ジョーダンジョーダン。」
「当り前だぜ。」
「だいたいお前が、ベイとか言いながら女っ気がないから悪いんだよ。」
サリムが言うと、アルは横目で私を見る。
「誰かさんがつれないからな。」
わたしは素知らぬ顔をする。
「で?ヤバい話ってなんなの?口先三寸であんたを負かすなんて、相当なサギ師ね。」
アルは、交易商人として身を立てる時に、無一文だった。けれど、口先三寸でこのイスタンブールの人たち…わたし含め…から投資を集めて、今みたいにベイ(君候)と呼ばれる程の財力と地位を築いた。
だから、このアル・ヴェザスを騙くらかすなんて、本当になかなかの手腕よ。
「だーかーら、騙されてねーし、負かされてもいねーっての…少し怪しげな話なのは確かだけどな。」
アルはそう言って、その「少し怪しげな話」を教えてくれた。
リューベックで銀鉱山を開発してるから、投資すれば大儲けだって話を、オスマン人の男が持ち込んできたって話を。
「どうしてリューベックなのに、オスマン人が投資話を持ち込んでくるの?」
「北欧のヤツが経営者なんだ。」
「と、そいつが言ってただけだけどな。」
「あらー、あんたにしちゃあやふやな根拠ね。」
「違うんだって。リューベック近くに銀鉱山があることも、開発途中で放棄されてたことも事実だ。オレも目はつけてたが、さすがにオレが直接投資するには人目を憚ってたんだ、オスマン帝国の領域から離れ過ぎてるからな。それに間接投資出来るって話は、美味い話であって、それほど怪しげじゃあない。」
「と、そいつが言ってたんだ。そいつもアルって名前でな『同じアルのよしみで』とか何とか言われて、まんまと大金をせしめられたってワケさ。」
サリムは楽しそうに続ける。
「しかし、オレもお前のことずっと見てきたけどな。お前を上回る舌先三寸っぷりだった。よっぽど有能な詐欺師に違いないさ。」
「何で嬉しそうなんだよ、サリム!」
「そう怒んなって。」
サリムは、少し苦笑いした。
「高い勉強代だと思えばガマンも出来るさ。」
「だから、まだ投資失敗だと決まったわけじゃないのに決めつけんなよ。」
「なに、どこかで損を出したら別の所で儲けるだけのことさ。」
サリムは、いつものアルのくちぐせを真似た。
「今度はどこに行くの?」
「ヴェネツィア。」
「シャイロック銀行のラディーノさんが、本店に栄転するんだってさ。で、俺たちの船に乗りたいそうだ。」
「あら、それはおめでたいわ。みんなでお祝いしなきゃね。」
「ああ、良ければそうしてあげてくれ。ラディーノさんにも世話になったしな。で、彼をヴェネツィアに送ったら、また中近東まで行く。」
「妹さん?」
わたしが聞くと、アルは照れたような笑みを浮かべた。
「ああ。サファに会いに行くんだ。そろそろオレを兄と認めてくれたらいいんだけどな。」
「ホントだよ!!早くアルを兄貴と認めて、このイスタンブールに来てくれりゃいいんだ。ああ、サファさん…」
サリムもうっとりした表情になった。
アルの生き別れの妹のサファ。
サリムを一目惚れさせるくらいの、とっても可愛くて、そしてなかなか気の強い女の子らしい。
「早くお兄さんと認めてくれることを、わたしも祈ってるわ。」
「ありがとう。そしたら必ず連れてくるよ。じゃ、オレは交易所に行くから…」
アルは代金をカウンターに置くと、立ちあがった。
「またな、ラディア。」
「ええ、少し早いけどサファによろしく。」
「伝えるよ、で、何て言う?」
「『あなたにアッラーのご加護がありますように。未来の姉より』って。」
「…」
わたしは、アルにとびっきりのウインクを贈ってやった。
2010/9/6
ひげのプチ話。
ムスリムはひげがあるのが標準。ないと、若造か、さもなかったら男色の相手だと思われてしまうとか。
そう思ってオスマンの航海士を見ると…みんな、けっこういい年をしてツルツルなんですけど?
まあアルは、意外とタッパもあるし(175pはかなりデカいぞ)、顔も男らしいので(パソコン版では)、きっと平気だよねっ?
今回の語り手:ラディア
…イスタンブールの酒場娘。黒髪に切れ長の黒い瞳(PC版イラより)。多分トルコ系かと。性格は無口で親切。何でも好き(首都の酒場娘は多くがそう)なため、割と気軽にちゅーしてくれる。
ストーリー上で、主人公の一人であるアル・ヴェザスとくっつく、唯一の酒場娘(PS版追加EDでは結婚している)。
金持ちが好きだが、自分で稼げる男でないとイヤ。つまり、立志伝中の男、アル・ヴェザスとはベストカップルである。
私的見解だが、アルは彼女にだけは敵わないといいと思う。
「アル」のよしみ
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アル・ヴェザスは、USA版では「アリ」・ヴェザス。なんで「アル」になったのかは不明(トルコ語読みなら「アル」なのかもしれない)。
その「アリ」は、ムハンマドの娘婿にして、第4代目カリフ
アリー・イブン・アビー・ターリブ
の名であり、シーア派では、預言者ムハンマドを越える大人気を博した。
おかげさまで?イスラム圏では、石を投げたらアリーさんに当たるくらいポピュラーな名前になった。
だから、「アルのよしみ」と言える人は、イスタンブールには何万といたんでしょう、というお話。
ちなみに語義は「高貴な人」らしいです。