救世主の名を持つ悪魔殺しの物語

14-3 トレボール・エスティブラが語る話









アルジェの宿屋「亜麻色亭」のテーブルの上には、ドス茶色い液体がなみなみと注がれたカップが二つ、置いてあった。

「待ってたぜ、トレボール、ゴス。」

そして、満面の笑みを浮かべたトーゴに、少しばかり呆れ顔のジョカ。


「ま、話は後だ、飲め。」

おれとゴスが座るなり、トーゴは満面の笑みのまま、そのドス茶色い液体入りのカップを押し出した。


「飲め、って…トーゴ、まさか『これ』のことか?」

ドロ水より濃い色の液体は、どう見ても酒にゃあ見えねえ。


「ああ。何かって聞きたいんだろ?それは、ショコラトル。新大陸産の『カカオ』の煮出し汁だ。」

「…かかお?」

「心配するな、飲んでも死なん。何せ、俺もジョカも生きてる。」

ジョカが苦笑する。


「いいか、これは滋養強壮に効くんだぞ?」

「…」

俺は、目を凝らして表面を見る。

ほんのり油らしきものが浮いてる気がする。

ついでににおいも嗅いでみるが、今までかいだことのねえにおいがうっすらとするばかりだ。

とりあえず結論として、食欲はまったくそそられねえ。


「…飲むのか?」

おれは、心から飲みたくなかったんだが、トーゴが期待の目で見つめてくる。


と、ゴスが俺より先にカップをとりあげると、


ぐっ

と一気に飲み干した。


「…」

「おお、いい飲みっぷりだ。」

トーゴの感嘆の後で、ジョカの信じられねえと言いたげな視線が飛ぶ。


「ゴス、美味いか?」

ゴスが表情を変えねえので、俺もとりあえず口に入れてみた。


「苦っ!!」

俺は思わず叫んじまった。


「有り得ねえよ、薬か、これっ!!」

ジョカが、やっぱりなって表情になる。


「トーゴ、やっぱり俺だけじゃなく、不味いみてえだぜ。」

「ジョカ、分かってるなら先に言えよっ!!」

トーゴは、残念そうな顔になる。


「ところでゴス、何も言わんが、感想は?」

「苦い。」

ゴスは顔色を変えずに、一言そう言った。


「そうか苦いか…実は俺もそう思ったんだ。ガキの頃にばあ様に飲まされた虫下しを思い出した。」

「そう思うなら人に飲ませるなよ、トーゴっ。」

「新大陸のインディオの奴らは、こんな苦いモン飲んでんのか?信じられねえ。」

ジョカが言うと、トーゴは思い直したような表情になる。


「実はだな、新大陸ではこれにこいつを入れてるらしい。」

そしてトーゴは、近くに置いていた器を開けた。

中には、真っ赤な粉が入ってた。


「これも見たことねえシロモノだな。」

「だろうな、これはピメントって言うんだ。」

「また新大陸の何かか?」

「そうだ。新大陸の奴らは、さっきのにこれを入れて飲むらしい。」

トーゴはそう言うと、景気良く匙で3杯、その赤い粉をドス茶色い液体に入れて、ぐるぐるかき回した。

ドス茶色に鮮やかな赤が加わって、ますます得体のしれない色になった。

とりあえず、おれなら絶対に口に入れたくないシロモノだ。


「さ、誰から飲む?」

トーゴは楽しげだが、ジョカの顔色は露骨に嫌そうな色になってる。もちろん、おれだって嫌だ。


「…コイントスで決めねえか?負けた奴が飲む、と。」

ジョカの提案に、俺たちは頷いた。

とりあえずこれなら、犠牲者は一人で済む。


「なんだ、なんだ、負けた奴って。いいか、このカカオは新大陸のインディオたちの間じゃ神の飲み物ってなぁ…」

ジョカは取り出したコインの裏表を示すと、軽く指で弾いた。


「表。」

俺が言うと、ゴスとジョカが同時に


「裏。」

と言った。


コインは、

「裏だ。残念だったな、トレボール。」

ジョカがうすら笑うと、ドス茶色赤い液体がなみなみと入ったカップをおれに押してよこした。


「ホントにおれが飲むのか!?」

「男らしくねえぜ、トレボール。負けたんなら覚悟決めろよ。それでも誇り高きバリエンテかよ。」

「…クソっ!!」

おれはカップを手に取った。


「ああ、もちろん飲み干せよ。」

「分かってるっ!!」




「ぎゃああああああああああーっ!!」

おれは、喉と胃の中で火でも燃えてるんじゃないかって刺激に思わず絶叫した。


「いったい何なんです…きゃー!!トレボールの旦那、どうなさったんです?毒でも飲んだんですか!?」

「オルダっ!!水っ!!いいから水持ってこい!!」

「はいっ、ただ今!!」




腹がちゃぷちゃぷしちまうくらい水を飲んで、ようやくおれのヒリヒリは治まった。


「インディオたちゃ、これを戦闘前に飲んで景気づけにしてるって言うがなあ…」

残念そうなトーゴ。


「冗談じゃねえよっ!!こんなもん戦闘前に飲んだら、絶叫してる間に斬り殺されちまうわ!!あー、苦いわ辛いわ…とりあえず最悪だぜ!!」

おれは口の中を舌でこそげ取った。


「旦那方、口直しに酒でもいかがですか?アテもありますよ。」

女将のオルダが、ビールと一緒に運んできたシロモノもまた、見たことのねえシロモノだった。しかも、さっきの「ぴめんと」と同じ、赤さ…


「また新大陸じゃねえだろうなっ!?」

「え?ええ、新大陸のものだそうですよ。」

「そんなにおれを殺してえのか!!」

「え、ええ!?」

おれは、女とは言え胸倉くらい掴みてえ気分だったが、トーゴが割って入った。


「やめろ、トレボール。こいつは『じゃがいも』って言ってな、辛くないし、苦くもない。むしろ、油で揚げたら絶品だ。食った俺が保証する。」

「ありがとうございます、トーゴの旦那。酒場のご主人がお勧めだと言っていたので、少し頂いたんです。で、旦那が見せて下さったそのピメントで味付けしてみました。ちょっと辛いですけど、ビールに合うと思うんですが。」

「おお、ピメントとじゃがいもを合わせたのか。確かにそいつは美味そうだな。よし、じゃあショコラトルは置いといて、とりあえずオルダの手料理を頂くとするか。」


トーゴ以外の奴は、オルダの料理には手をつけようとしなかった。

もちろんおれもだ。あの粘膜が焼けつきそうな思いをした後で、あんな赤い食いものを口に入れる気なんてするわけねえ。


「なんだお前ら、喰わないのか?美味くてビールが進むぞ。」

だが、トーゴがあんまり美味そうに食ってるのを見ると、そこはそれ、気もそそられるってもんだ。


「そんなに美味いのか?」

ジョカが言って、その「じゃがいも」とかいう新大陸のシロモノに、「ぴめんと」を振りかけたとかいうシロモノを口に入れた。


「辛っ…」

ジョカは小さく呟いて、しばらく不審そうな面持ちでもぐもぐと口を動かしてから、ビールを飲みほした。

2、3度、それを繰り返してから、感慨深そうに


「確かに、酒が進むな、これは。」

と、公然とパクつき始めた。


気づけば、ゴスも料理を口にいれている。

ゴスは無感情に口をモゴモゴと動かし、ビールを飲み、そしてまた口をモゴモゴと動かした。

表情じゃ分からねえが、手を伸ばしてるとこ見ると、そう捨てたもんじゃないんだろう。


「トレボール、食わねえんなら俺が食い切っちまうぞ。」

「ちょっと待て。」

俺も慌てて口に入れた。

辛い…が、確かにこれはそんなに悪くない。

刺激的でなかなかいい感じだ。


「こいつなら食ってやってもいいな。」

「だろ?さすがオルダ、料理上手だ。」

「しかしトーゴ、なんでまた急に新大陸の食いものになんて興味持ち始めたんだ?」

「俺と襲ったオスマン船からブン捕った本に、新大陸の食いモンの話が載ってたんだとさ。」

ジョカが口を挟む。


「そうだ。せっかく美味いもんがあるなら、食っとかないとな。」

ゴスが黙ったまま、頷いた。


「美味いもんなら食うがよ、さっきみてえのはゴメンだぜ。苦いは辛いは…だいたい、なんで俺たちに飲ませようと思ったんだ?」

「何でも、新大陸のインディオたちは、戦闘前にあの飲み物を飲んでたらしい。疲労回復に効く上に、神経が高ぶって士気が上がるんだとさ。」

「士気を上げたきゃ、ラムでも振舞っておきゃいいだろ。」

「だがな、お前たちも経験があるだろ?ここぞって戦闘の時に、水夫どもが酒でアチャラカになっちまってるってのが。酒以外で士気上げる方法があるなら、試しておきたいと思ってな。」

「俺なら、アレ飲まなきゃならねえくらいなら、酒でアチャラカになっちまった水夫ども率いて戦う方を選ぶぜ。」

ジョカが言うと、ゴスがまた黙ったまま、頷いた。


「うーん…」

トーゴが腕を組んだまま悩んでいると、アイディン副首領が入って来るなり、おれたちを見て言った。


「アルジェのバリエンテが揃いもそろって、宿屋で食事会か?仲良しだな、おい。」

トーゴは組んだ腕を解くなり、カップにあのドス茶色い液体を満たすと、アイディン副首領に差し出す。


「ま、一つ。」

「…ああ?」

副首領は、雰囲気上、酒だとでも思ったんだろう、勢いよくのどに流し込んで、そして顔をしかめた。


「…何なんだ、この苦い液体は?」

「黒髭の旦那もダメか。」

さすがトーゴと言うべきか。いくらおれたちがバリエンテだからって、アイディン副首領にこんな得体のしれないものを飲ませる勇気のある奴は他にはいねえ。

トーゴは抜けぬけと、苦い液体の理由を説明したが、アイディン副首領は苦笑しただけだった。


「そんなもの俺に飲ませるなよ。」

「すいやせんね。しかし、うまくいかんな。ジュリアーノ教授は使えるって言ってたんだがなあ…」

「学者と知り合いなのか、オズワルドといい、このアルジェ海賊もインテリの香りがするってもんだな。ともかく、そいつに会うことがあったら伝えとけ。インディオどもがどう飲んでるのか知らねえが、苦いんなら甘みくらい付けておけってな。」

「おおっ!!それは思いつかなかった!!」

トーゴは大仰に驚くと、手を叩いた。


「そうか、甘みか。ハチミツ…いや、砂糖をたっぷり入れたら美味いかも知れん。」

アイディン副首領は、嬉しそうに備忘録に何やら書付け始めたトーゴを見やった。


「何なんだ、トーゴは。」

「お気になさらずに。それより副首領、俺たちバリエンテを探してらしたってことは、何か任務で?」

ジョカがソツのない態度で応対し始める。

アイディン副首領が口を開くたびに、ゴスがまたまた黙ったまま、うんうんと頷いていた。





2011/9/26



トーゴさんの新大陸クッキング。
アイディンじゃないですが、確かに、バリエンテが集まって何遊んでんだって感じですよね。

ちなみにオルダが作ったのは、唐辛子を振りかけた揚げじゃがです。飲み屋さんにもときたま見かける、ビールが進むアテですよ。




ショコラトル(ココア)のお話

   

目次









































アメリカ先住民族たちの間では、カカオは税の納付にも用いられるほどの貴重な作物であり、当然高価でした。これを用いる事が出来るのは王族や貴族たちで、彼らはカカオの粉末を磨り潰したものを入れた液体に、バニラや唐辛子、コーンミールなどを混ぜて飲んでいたそうです。これらは嗜好品として、また薬用や強壮用に用いられたそうですが…バニラやコーンミールはともかく、唐辛子は相当大量に入れて(暑さ寒さに効くそうな)いたそうで…そりゃ、トレボールも叫ぶわな。
カカオにはカフェインの他にも興奮作用のある成分が含まれている為(だから大量に食べると鼻血が出る)、戦闘前に口にしていたとも言われています。確かに、カカオにトウガラシが入ったら、戦闘前から体は熱くなりそうだ。

ヨーロッパに輸入されてからは、唐辛子は入れずに、苦味緩和に牛乳や砂糖を入れるようになり、つまりはショコラという飲み物が完成したそうな。
よって、アイディンはそうとう時代を先取りしているわけですが、それはなぜかって、このゲーム自体が時代を先取りしているからです。このゲーム、カカオが既に商品として西アフリカで取引されており、しかも北欧で高く売れますが、カカオをプランテーションで栽培するようになったのは16世紀も末、北欧でショコラを飲む習慣が出来たのは17世紀後半になってからなのでした。

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