「あんたにゃさっぱり分からない話をしていいかい?」
ホーレスは酒場のカウンターに座るなりそう言って、続けてキツい酒を注文した。
「マホメッド・シャルークを知っているか、クラウディア?」
「ええ。」
酒場女なんて商売をしていると、船の上の事情には耳年増になる。
マホメッド・シャルーク。
東地中海の王。
ニコシアの竜王と仇名される、最強の海賊の一人。
「俺達は、そいつと戦いに行った。」
「…」
海賊と戦うということは、この人はどこかの国の海軍にいるのだろうか?
それとも、同じ海賊同士の縄張り争い?
でも、そういう事には相手が口にしない限り、関わらないのが私のような女たちの処世術。
「ところが、シャルークにはオスマン艦隊が付いていた。いや、シャルークがオスマンと組もうとしているのは知ってたが、オスマン艦隊は何度も壊滅させられたらしいじゃないか。」
「何でもスレイマン大帝が、マッサワ征討に送りだした艦隊が壊滅させられたらしいという話は聞いたわ。どうやらそれがポルトガルのフェレロ家と、そして海賊カタリーナだって話も噂でなら聞いたけれど。」
「何?あの女海賊カタリーナが!?何でまた?ポルトガルを目の仇にしてるって話だが…あの姉ちゃんに何の心の変化があったのだか。女はわからんな。」
ホーレスがあんまりに感心するものだから、私は、そういえばアルジェ海賊にもオスマン艦隊は壊滅させられたことがあるという話をしそびれた。
でも、アルジェ海賊。
アルジェは北アフリカで、そしてこの人の肌の色も…
「おっと、話が外れたな。まあ、いたものは仕方がない。いや、それだけじゃなく、とんでもない大砲を積んでいた。あの威力は多分カノン砲、だが射程はカノン砲より更に長い…」
「それ、重カノン砲というのではない?」
「へえ、さすが海の男相手にしてると詳しいな。そうかもしれん。で、その重カノン砲について詳しく知ってるのかい?」
「オスマンでは、意外と火器の使用が進んでいるの。イェニチェリたちが火器を使うからかしらね。で、スレイマン大帝は海軍の拡充のために、大砲の開発に多額の資金を投資して、カノン砲を越える大砲の開発に成功した。それが重カノン砲。」
「クラウディア、お前さんはイスタンブールでスパイでもしてたのか?」
ホーレスがとても驚いてくれたので、私は吹き出してしまう。
「なんてね。全部、ウォルフ博士の受け売りよ。」
「ウォルフ博士…この街の、大砲の研究で名高いお人だな。」
「ええ、うちの常連さんなの。」
「お前さんのご贔屓かい?」
「ええ、あの博士、戦術家としてすごい人だけれど、話題はずっと大砲の話だから、他の女の子はうんざりしてしまうの。私なら、延々と話をされても平気だから。」
「で、その博士も重カノン砲を造れるのかい?」
「理論的には追いついたと言っていたわ。でも、素材が何とか…と言って、つまりはまだ完成はしていないようだけれど。」
「そうか、なら、あのオレンジ頭の提案は正しかったってことかい。」
ホーレスは小さく舌打ちした。
気にはなるけれど、深入りはしないのが酒場女の掟。
「でも、その重カノン砲が手に入ったら、シャルークと戦いに行くの?」
私が聞くと、ホーレスははっとした表情になった。
「…まあな。」
「相手は東地中海最強の海賊なのに?」
私は気付く。思ったより自分が悲壮な顔をしていることに。
「海賊なのに、いや、『海賊だから』だな。あのお人と決着をつけねえ訳にはいかねえのさ、お頭は。」
「あなたも、行くの?」
何でだろう、どうしてこんなに心配になるのだろう。
ホーレスは、寂しそうに微笑んだ。
「正直、俺はあの旦那にはもう会いたくない。」
ホーレスの息に、酒精が強くなっていた。
自分でも気付かないうちに、何度も何度も注ぎ足していたみたいだ。
「俺の若にも、会って欲しくない。ましてや、俺はあの旦那と戦いたくない。」
ホーレスは大きく溜息をついた。
「戦いたくないんだ。」
「…」
私は、気付くとホーレスの固く縮れた黒髪を撫でていた。
「クラウディア…あんたの手は、優しいな。」
「…」
大の男に対して失礼だとは思ったけれど、手が止まらなかった。
「ありがとよ。」
ホーレスは、私の手を柔らかく握ってから、そっとカウンターに下ろした。
「訳の分からねえ話を聞いてくれて、ありがとうな。」
ホーレスは金貨を、相当気前の良い枚数カウンターに置いた。
「…戦いたくないなら、戦わない訳にはいかないの?」
私は、私らしくもなく、とんでもない多弁だと、お節介だと思いながら、そう言わないではいられなかった。
「俺が、あんたみたいな女に相応しいカタギだったらな。」
「…」
ホーレスは、柔らかい微笑みを浮かべていた。
「なに、重カノン砲があれば、遠くから船を撃沈出来るんだろ?それこそ、顔すら見えねえ遠くからな。」
「…」
私は、余程心配顔をしていたんだろう。
「心配するな、とりあえず、勝つ算段がついてからだ。まずは大砲を手に入れてからの話だ。な。」
「無茶はしないでね。」
「俺はするつもりはないんだが、若がなあ…」
「約束して、くれない?」
「…分かった、約束するよ。」
ホーレスの言葉を聞いて、私はひどく安心してしまった。
「ありがとう。」
「俺が礼を言われる所なのか?」
「ええ。これはお礼よ。」
若い娘みたいに、とびついてキスしてしまった。
どうしてしまったんだろう、私。
私らしくない、こんな私。
2011/12/16
シャルークに挑もうとしたけど、挑まなくて正解だったというあの一連の事件の後です。
クラウディアはいい女ですが、ホーレスも負けじといい男です。
恋すると、無口な女もちょっと多弁になるそうです。
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目次
シャルークとの初お目見えイベントでは、なんの前振りもなくオスマン艦隊が重カノン砲をブッ放してきます。
「ウォルフ博士がまだ開発してないのに何で持ってんだよ!!」
というツッコミも何のその。その威力を体感したサルヴァドルたちは、重カノン砲を開発してもらうために高性能火薬を求めてさまようわけですが…
事実、火薬は中国の発明であり、大砲も中国で先に実戦に用いられていたようです。ですから、中国に近いオスマン帝国が先に火薬や火器の最新式のを持っているのは、まったくおかしくない訳です。ついでに、火薬の研究はドイツやイギリスで盛んだったようで、やはりウォルフ博士が大砲研究の戦術家なのもまったくおかしくないわけです。
だったら、高性能火薬くらい自分で開発してほしかったな、博士。