救世主の名を持つ悪魔殺しの物語

17-4 ホーレス・デスタルデが語る話









長い凪は終わった。

船員たちは人が変わったように、氷の海のド真ん中の船の甲板で踊り狂う。


「提督、そら、そろそろバイーアに着けるぜ。」

オレンジ頭が話しかけると、さっきまで仏頂面で俺に八つ当たりしてた若は、そんなこと忘れたように


にっこり

と微笑んだ。


「提督、進路はバイーアでいいですか。」

俺は問う。

若は、

オレが手塩にかけたオレの若は、当然だという表情で、うなずきすらしなかった。




俺は舵をとりながら、俺がアルジェ海賊に拾われた時のことを思い出していた。

地獄の色したガレー船の船倉に、光が差し込む。

あのお方は、その名前通り、アッラーの啓示を光に変えて俺にさしかけてくれたように見えた。


鎖から解かれた俺は、手をさすりながら船端を歩いていた。

他の奴隷たちは、広い空を見上げていたんだが、何故か俺は、あのお方の衣服の縫いとりになんて目がとまっちまった。


俺は、その縫い取りを小さな声で読み上げた。

久々に「文字」なんて文化的なものに触れられたのが、嬉しかったのだろうと思う。


あのお方は、


ぴくり

と反応した。


なぜ自分の名を知っているのかと問われ、俺はさっき読んだのがあのお方の名前だと気付き、正直に縫い取りを読み上げただけだと答えた。

文字が読めるのか君は、というトルコ語の問いが丁寧すぎて、それが俺に向けられたものだと、しばらく気付かなかった。

読めるとトルコ語で返した俺に、あのお方は俺の手を取った。


あのお方は俺の体を叩き、いくつかの問いを発した。

そして、奴隷にしておくには惜しいと、俺に言って下さった。


「君は立派な船長にだってなれる。」

あのお方のその声が、まだ俺の耳に残っている。


「私について来給え。」

俺はそうして、あのお方が差し出してくれた食料を腹いっぱい食べた。

ガレー船漕ぎ奴隷になってから、腹いっぱい食べたことなんてなかった俺は、食いながら泣いた。

あのお方が、光り輝いて見えた。


「旦那はさすが、預言者のお名前を持つお方だけのことはあります。なんて慈悲深いお方…」

俺が涙ながらに言うと、あのお方は苦笑した。


「残念ながら、預言者ムハンマドの名を辱める一介の海賊に過ぎんよ。」

「滅相もありません。旦那。マホメ…」




「!」

「オッサン。こんなクソ寒い中で延々と舵取ってたら死んじまうぜ。」

オレンジ頭が、へらへら笑いながら言う。


「トシなんだから、中でぬくもっときなよ。」

言い草はかわい気がないが、どうやら俺を気遣ってはいるらしい。


「誰がオッサンだ。」

俺は、このオレンジ頭との定番会話になったその台詞は言いながら、こいつの好意には甘えることにした。




船長室では、若がありったけの布をひっかぶって眠っていた。

まったく、人にさんざワガママ言っておいて、自分は暇があるとすぐに寝てるんだから。

若も昔は…思いかけて、やめる。

若は昔から手がかかった


夜泣きばかりして、俺はいつも徹夜で抱き続ける羽目になったし、たいそうな人見知りで、知らない人間に会うといつも俺を盾にして隠れた。

好き嫌いは多いし、すぐにダダはこねるし、負けず嫌いで意地っ張りでプライドが高いくせに、


「いつまでもオネショが治りやせんでしたね、若。」

俺は、若の顔にかかった髪をそっと払った。

そういや、困った性格は何も変わっていないが、寝顔もちいとも変わってない。

昔から、寝てる時だけは天使みたいに愛らしいのだ、オレの若は。

「お風邪をひかねえで下せえよ。」

俺は、若の黒髪を、若が赤ん坊の時と同じようにゆっくりと撫でた。




母親のいない、父親からは見捨てられたも同然の小さな赤ん坊。

俺が育てた、俺の若。

ああ、俺の人生は若に捧げられたんだ、それを悔やみなんて…


「でもそれはそれとして、自分の人生を歩もうって気はないのかい?」

オレンジ頭の言葉が、俺の頭によみがえった。


「俺の、俺だけの人生、か。」

俺の女房と、俺の子供がいたら、と思ったこともある。

女房は気立てのいいとびきりのいい女で、子どもは素直なんだ。

俺は酒場の親父なんかをして、船乗りたちの威勢のいい話に相槌なんか打つんだ。

俺の女房は黙ってそれを聞きながら、それでもしっかり酒を飲ませて商売繁盛とくるだろう。

ああ、俺の女房は無口だが頭のいい女なんだ。


「なあ、クラウディア。」

そう惚気たら、あいつだって気恥ずかしい顔で、何か言うかもしれないな…


「馬鹿か、俺は。」

俺は、いい年こいてつまんねえ妄想こいてる自分が恥ずかしくなった。

ハンブルグのクラウディアと俺の関係は、ただの酒場女と常連客であって、だな。

だが。


クラウディアが俺の女房で、俺は酒場の親父なんかをして、ちょいとやんちゃだけど素直な子どもなんかがいて、ちいっとばかしにぎやかだが、穏やかな日々が俺にあったって


「いいんじゃねえかな、俺にだって。」

「何がいいんだ?」

俺の目の前に、若の顔があった。


「若、起こしちまいやしたか?」

「何言ってる。オレは海賊だぞ。人の気配を感じたら目くらい覚ます。」

若は得意げに言ったが、間違いなく、起きたのは今で、さっきまでは熟睡していた。


「そうですか。いや、なんでもありやせんよ。若がちゃんと航海日誌をつけてるか気になりやしてね。」

「またホーレスはそれだ、オレはこの船の提督だぞっ。」

若は、ひっかぶった布を跳ね飛ばすと、身軽にハンモックから飛び降りた。


「ほら、見ろ!」

若が得意げに広げた航海日誌には、確かに正確に、航海の記録が綴られていた。


「はいはい、さすが俺の提督です。」

俺は手を伸ばし、若の頭を撫でた。


若は子犬のように気持ちよさそうに撫でられていたが、ふと気づいて、真顔で言った。


「ホーレス、いつまでもオレを子ども扱いするな!!」

だから俺は答えた。


「ええ、勿論でさ、若。ですから、アッシがいなくなってももう大丈夫ですね。」

若は、一瞬、何を言われたのかという表情になった。


俺は言いなおす。

「あのですね、若。アッシらはこんな危ねえ稼業ですし、何より、アッシは若より年寄りなんです。いつかは若のお傍からいなくなりやすよ。」

「そんなことはオレが許さん。」

若は続けた。


「オレより先に死ぬことはオレが許さない。」

若の濃紺の瞳は、あんまりにまっすぐだったんで、俺はついつい笑っちまった。





2012/1/17



ホーレスこないだ「若も成長した」とか言ってなかったっけ?

若の寝顔は天使です。
なぜなら、それが萌えだからです!!




サルヴァドルという名

   

目次









































Salvadorは、スペイン・ポルトガル語ではサールヴァゾー、イタリア語ではサルヴァトーレと発音します。
このゲームのサルヴァドルは、多分スペイン系でしょうけど。

ちなみにこの名前は、どうやらラテン系であるらしく、英語圏ではあまり聞きません。
英語圏の略称でsal(サルと発音)があるのは、多分、イタリアまたはラテン系の移民の名前をフルネームで呼ぶのがめんどくさいから 作られたものでしょう。

ちなみにこのsal、サリー(女性名)の短縮形でもあります。
かの有名なギャング
ラッキー・ルチアーノ も、本名は「サルヴァトーレ・ルカーニア」ですが、刑務所の中で名前のことで
「サリーちゃん
とからかわれたのがイヤで、チャールズと改名しています。

しかし、サルヴァドルをサリーちゃん…
ウチの若なら、相手はすぐさま二分割でしょうね。

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