救世主の名を持つ悪魔殺しの物語

4-3 アルジェの宿屋「亜麻色亭」の女将オルダが語る話









「お前は今日も働き者だな。」

パンをかまどに入れ終わった頃に起きてきたうちの人の言葉に、わたしは頷きます。


「まあ、宿屋のおかみなんて、働き者でないとやってられませんよ。ふう、でもいつもよりたくさんパンを捏ねたので、疲れたこと。」

わたしが椅子に腰かけて肩を軽く叩くと、うちの人は肩を揉んでくれました。

まったく、気の利く人なんだから。


「また赤髭の旦那のアジトへの食事運びか?最近多いなあ。先週もだったじゃないか。」

うちの人の肩揉みの腕は、そりゃあいいものです。宿屋の亭主より、こっちを本業にした方が良いんじゃないかと思うくらいです。


「ふふふ、あの時は儲けものでしたねえ。可愛らしい絹のリボンを頂いちゃって。」

わたしは、先週、アジトへ食事を運びに行った時のことを思い出します。




なぜかとても急いでいたトレボールの旦那にぶつかられて、わたしは食事を取り落としてしまったのです。

そりゃあ、わたしがもっと若かったら素早くかわせたのかもしれませんけど、だからって、食事持ってやって来た女にわざわざぶつからなくてもいいだろうに、なあんて思いながらも、トレボールの旦那にひたすら謝ったわたしを、トーゴの旦那が手をひいて起こしてくれたのです。


「大丈夫か、オルダ。あーあー、ひどい事になっちまったな。ま、トレボールの奴は良い獲物が目の前にあるんでちょいと急いでてな、勘弁してやってくれ。食事はまだ残りはあるかい?ああ、ある。じゃ、そっちを急いで持ってきてくれ。なあに、ここは若いのに片付けさせるさ。」

わたしが大急ぎで食事をもう一度用意して戻ると、入口はきれいに掃除されていました。

つまらなさそうな顔でパンを齧っていたジョカさんが、(わたしが落したものじゃないかしら、将来有望な海賊だって聞くのに)


「トーゴからの預かりモンだ。」

と、きれいな絹のリボンを私にくれたのです。


「伝言伝えるぜ。

『手間かけた詫び料だ。また美味い食事を頼むぜ。』

だとよ。」

ジョカさんはそうとだけ言うと、

「なんで俺がわざわざ伝言しなきゃなんねえんだ。」

と呟きながら、アジトの奥へと入って行きました。




「トーゴの旦那は太っ腹ですねえ。」

わたしが言うと、うちの人は微妙そうな顔をしました。

あらあら、確かに、どっちの「太っ腹」だか分からないですねとわたしは笑い、


「気前が良くて、気づかいの上手な方ねえ。」

と言い直しました。


「昔もいい男だったけれど。」

そこまで言うと、うちの人の肩をもむ手のリズムが狂いました。


「おいおいオルダ…」

あらあら、妬いてくれてるのでしょうか。わたしももうこんな年だって言うのに、可愛い人ですこと。


「心配しなくてもいいんですよ、わたしがこの海でいっちばん愛してるのは、あなたなんですから。」

「まったく…」

うちの人は、後ろからそっとキスします。

子どもがいないのも、たまには悪くないですね。いつまでも二人きり気分でいれますから。




そうこうおしゃべりをしているうちに、パンが焼き上がりました。

「さあ、働かないといけませんね。」

わたしは焼きたてのパンをバスケットに詰めます。


「おっとそうだ、で結局、そのパンはどこに持っていくんだ?」

「マンサナのおかみさんの所ですよ。久々にわたしの焼いたパンが食べたいとおっしゃってくれたんです。」

「黄金の双つ林檎楼か…」

うちの人は少し渋い顔をします。


「自分の女房が妓楼に出入りするのは、あんまりいい気分じゃあないなあ…」

「まあ何を言ってるんです。わたしたちがお店を出す時に、お金を貸して下さったのはあの方じゃないですか。さあさ、そんな不景気な顔してないで、留守番を頼みますよ。」

わたしはうちの人をフロントに押しやると、黄金の双つ林檎楼へと向かいました。




裏口に回ると、若い女の子が出て来ました。

「おばさん、何か用?」

見たことのない顔です。


「わたしはオルダ、亜麻色亭という宿屋の女房ですよ。女将さんにパンをお届けに来たんです。」

「ああ、ママさんに、ちょっと待ってね。」

女の子は、身をひるがえして中へと入って行きました。

金色の髪と深い海の色をした目の、とてもきれいな子です。


「新しい女の子かしら…このお店でお客をとるには、若すぎる気もしますけれど。」




「ああオルダ、いらっしゃい。久々にあんたのパンが食べたくなったのさ。丁度いい、今から朝食だからお相伴していきな。なあに、遠慮はいらないよ。」

いつもながら迫力のある女将さんの声に負けて、わたしはここの朝食(娼家の朝ごはんなんて、昼ごはんみたいなものですけれど)を頂くことになりました。


「ああ美味しい。やっぱりあんたのパンは絶品だね、オルダ。あたしの舌は確かだったよ。」

おかみさんは、若い海賊みたいな食欲で、朝ごはんを平らげていきました。

本当にこの人は、食欲も行動力も若いです。まあ、面と向かって言ったら「当り前だよ、まだ39なんだから」と答えるでしょう。

わたしがこのアルジェに店を出してから、ずっと「まだ39」でいらっしゃるんですけれど。


「オルダ、宿の景気はどうだい?」

「何とかうちの人と二人食べるには困らない程度には。これも、おかみさんがわたしたちの店を出す時にいろいろお力添え下さったおかげです。」

「なあに、あんたの料理が気に入っただけさね。」

おかみさんは、ほとんど一人でわたしがバスケットいっぱいに詰めてきたパンの最期の一切れを口に入れると、


「まあ腹八分目って言うしねえ。」

と呟いた。

このおかみさんの「腹十分目」は、地中海より大きいんじゃないでしょうか。


「ママさん、マンダリナ姉さんが指環がないって騒いでるよー。」

さっきの金色の髪の女の子が飛び込んできました。


「またかい。エリーゼ、マンダリナに、片付けくらいてめえでしなって怒鳴っといておくれ。」

「はーい。」

軽やかに身をひるがえした女の子は、エリーゼと言うらしいです。

このお店では、「黄金の双つ林檎楼」と言う名前からか、お店の女の子、つまり抱えの娼婦はみんな、果物の名の源氏名を持っています。


マンサナ(林檎)おかみさん、マンタリナ(オレンジ)、ウーバ(ぶどう)、リモン(レモン)、メロン、グラナーダ(ざくろ)、メロコトン(桃)、シルエーラ(さくらんぼ)、フランブエサ(ラズベリー)、ペラ(洋ナシ)、フレッサ(いちご)、イーゴ(いちじく)、シルエラ(すもも)、サンディア(西瓜) などなど。

ですから、源氏名がないということは、娼婦ではないはずです。


「新しく入ったお店の女の子じゃないんですね。おかみさんの小間使いが何かですか?」

「ああ、エリーゼね。」

ふ、ふ、ふ。

「ま、そのうち源氏名をやることになる可能性がないとは言えないけどね。」

おかみさんは楽しそうに笑う。


「まあ、ならないね。」

わたしは、おかみさんの含み笑いが気になったけれど、こういう事情にはあまり深く踏み込まない方が良いかもしれません。

何より、おかみさんは立派な方だけれど、さすが娼家のおかみさんだけあって、下がかった話になると際限がなくなりますから。


「ああでも、おかみさんの所もご繁盛で何よりです。」

「ウチは海の男が稼いでくる限り、潰れようがない稼業さね。女と酒は、海賊の主食だからね。」

おかみさんは豪快に笑った。

失礼な思いかもしれないけれど、こんなに笑うとお化粧が崩れて落ちないか、心配です。


「稼ぐと言えば、サルヴァドルさんも頑張っているみたいですね。」

わたしは何気なく呟いた。


「ああ、ハイレディンの…」

おかみさんは、事もなげにハイレディンの旦那を呼び捨てた。

このアルジェ広しとはいえ、あの赤髭の海賊王を呼び捨てにできるのはこのおかみさんくらいでしょう。

まあ、このおかみさんは赤髭の旦那の「昔のいい人」だそうだから、でしょうけれど。


「でも、あのサルヴァドルさんが海賊になるなんて…いえね、昔から海賊になりたがってましたし、何より、海賊王の息子なんだから、海賊になるのが当然なんでしょうけど。あの子がねえ…」

「おやおやオルダ、母親みたいな口をきくね。」

「ええ、小さい頃から知っていますから、危ない目に遭っていないか、心配で心配で。」

自分で言っておいてなんですが、おかしな言い方です。


「海賊だから、『危ない目に遭っていくら』のご商売なんですけれど。」

「違いないさね。しかももう17、あれから17年か…早いねえ。」

おかみさんは、金色がかった琥珀色の瞳で遠くを見詰めた。


「おかみさんは、サルヴァドルさんが赤ん坊だった頃をご存じなんですか?」

おかみさんは、微笑んだ。

少し、唇を歪めたような笑いで。


「ママさんっ!!マンダリナ姉さんが髪飾りもないって騒いで…」

エリーゼがまた駆けこんできた。


「あたい、ちゃんと『片付けはてめえでしな』って怒鳴ったよ。なのに、マンダリナ姉さんてば

『片付けを自分でする所帯臭さがイヤだから娼婦になったのよ』

ってヒス起こしてさ。」

「あああっ!!世話の焼ける売女さね、マンダリナめっ!!」

おかみさんは勢い良く立ち上がった。


「騒がしくしてすまないね、オルダ。もう少しゆっくりと話したかったけど、手間のかかるマンダリナをとっちめてやらなきゃならなくなったよ。」

「ええ、ではこれで失礼します。あと、お手柔らかにしてあげて下さいね。」

わたしへの挨拶もそこそこに、マンタナのおかみさんは階段を乱暴に駆け上がった。

裏口から宿へ帰る途中、わたしの頭に幾度かかすめた疑問がもう一度よぎりました。


「そういえば、サルヴァドルさんのお母さまって、誰なのかしら。」





2010/4/4



ここのアルジェ海賊は、割と地元密着型であるようです。
町内会の祭りとかあったら、幹部がたこ焼き焼いてくれそうなノリになってきました。




ネタバレプレイ日記&感想

   

目次









































外伝サルヴァドル編は、スペイン語が基本になっています。
まずサルヴァドルとか、ホーレスとか、リオーノとか、ジョカとか、エスメラルダとか、外伝のみ登場の主要人物がスペイン語名だし(アルジェ四人衆も基本スペイン語。トーゴだけイタリアという噂もある。「イギリス海軍士官崩れ」という設定のあるオズワルドは英語)、ゾルダードだの、バリエンテだの、ガナドールだの固有名詞もスペイン語です。
何で?
ハイレディンはイスラムなのに、なんで?

可能性として考えられるのは、「カーチャス・ディアブロ」がスペイン語(ラテン語かも)だからかと(サルヴァドルもキリスト教徒だし)。
あと、当時のアルジェはレコンキスタ完了後のイスラム勢力駆逐のため、イベリア半島(スペイン、ポルトガルのある半島)から追われて来た人々がたくさんいたから、という理由も考えられます。彼らは、そんな理由から非常に反イスパニア意識が高かったそうですが。

まあそういう訳で、話に出てくるオリキャラの名前や固有名詞も、特に理由がなければスペイン系で統一しています。
DQサイト閲覧者の方はご存じでしょうが、DQサイトのオリキャラ、聖堂騎士エステバン及び、彼の出身地パルミドの固有名詞・一般名詞もスペイン語設定です。ひっそりとガートとか出てきたら、笑って流して下さい。

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