黒衣の女

黒衣の女




元拍手話。
「アローザと元法王さま」のプレ話

…にはならないだろう、二人の出会いについて。






















「礼拝の婦人が…」

「私は多忙だ。余人に任せろ。」

私は反射的にそう言っていた。



事実、忙しい。


私は今、聖堂騎士団長と、マイエラ修道院「仮」院長を兼任している。

そして、その肩書きから「仮」をとるべく、サヴェッラに接近している。


接近する相手は、次期法王に最も近いと言われる、ニノ大司教。




かの男に近付くためには、金はいくらあってもたりない。

のし上がるために金が必要なのは、俗界も聖界も変わりない。

だから、女の一人などに今、時間を割いているわけには…




騎士が言う。

「ですが、いらしているのは、アルバート家の今の御当主で…」

「アルバート?」

私は反射的に聞き返したが、もちろくすぐに理解し、羊皮紙にペンを滑らす手を止めた。





部屋にいたのは、黒衣の女。

私に気づき、頭を上げると、黒いベールの中から鮮やかな赤毛が零れた。



女は、欠点のつけようがない完璧に優美な動作で立ち上がり


「聖堂騎士団長閣下でございますね。」

と、難癖のつけようのない完璧な上流階級のアクセントで挨拶した。




私は礼儀上、女の慇懃な礼を制した。


「今は、マイエラ修道院長も兼任しております。」

別に言い過ぎではなかろう。どうせそのうち、私の肩書になるのだ。


「お初にお目文字つかまつります。マルチェロと申します、マダム。」


女は、答えた。


「こちらこそお初に、閣下。わたくしはアローザ。今は、アルバート家の家長を勤めることとなってしまいました、哀れな寡婦です。」

「閣下はお止めください、マダム。マルチェロで結構です。」

「では、マルチェロさまと。」



私は女に席を勧めた。

女は言われるまま、腰を下ろした。




「しかしマダム。御連絡頂けましたら、船着き場までお迎えにあがりましたのに。」

「大した距離ではございません。あの連絡船はアルバート家のもので、ポルトリンクの者に送ってもらいましたから。」


さらりと言い放つ女の黒い喪服は、上品で素材も良い。


当たり前だ。

この女は、ポルトリンクを支配するアルバート家の現当主なのだから。

そして、アルバート家の連絡船の航路上、わがマイエラ修道院への巡礼者はそれに乗って来ることになっている。

更に、それだからこそアルバート家は、わがマイエラ修道院への大規模な寄付を欠かさない。


つまりは、上客だ。




「マダムは謙虚でいらっしゃる。」

ちょっとした追従に、だが、女は厳しい表情を崩さなかった。


「…オディロ大修道院長猊下の御不幸も聞き及んでおりましたので、お手を煩わせるのも恐縮と考えただけです。」

「…」

私は、思わず表情に出てしまいそうな感情を、必死で押し隠す。

オディロ院長を失ったという、そのすべての喪失感は、もはや誰にも悟られまいと自ら誓った。



「…オディロ大修道院長は聖者であられました。そして、既に御年を召していらっしゃいました…」

私は、心にもない言葉を必死で絞り出す。


「ですが、マダムの御子息のサーベルト殿はまだまだ…」

私は、いかにも沈痛そうな表情で、ゆっくりと女の表情をうかがった。



“期待どおり”女の表情がぴくりと動いた。




「私も、サーベルト殿が家督を継がれた際の御挨拶で一度御会いしましたが、まさに女神の愛し子と言うに相応しい青年で…」

私は、してやったりと言葉を続ける。



夫や子を失った女の心中など簡単なものだ。




泣きたいのだ、つまりは。




いわゆる「淑女」と

葬式の場でも、礼儀に外れた涙の一粒も零さぬ女ほど、人目もはばからず泣きたがっている。


私はもううんざりするほど、そんな「淑女」たちが、泣き叫ぶ為の場を提供してきた。

そして、その場所代は、まあ期待どおりに受け取ってきた。




この女だってそうだろう。

私は多忙な身で、この女一人に関わっている暇がない。

だから、さっさと泣き終えてくれれば、手間がかからずに良い。




なにせ上客だ、寄付金も期待出来る。

胸くらい貸してやっても良い。




「マダム、最愛の御子息が、余りに早く女神の御膝元へと旅立たれてしまわれたことに、このマルチェロも、哀惜を禁じ得ません。」

私はそう言って、女の肩に手を置いた。

女は、わずかに驚いたような瞳で、私を見上げる。


あとは定石通りだ。

単純な女は、その瞳に涙を浮かべ、そして、その涙は零れ、更に止まらなくなり…




「マルチェロさま。」

女はその瞳に、涙を浮かべなかった。




「サーベルトの死を悼んで頂けて、あの子も喜んでいることでしょう。」

女は言いながら、礼儀正しく、それでも愛想のない手の動きで、私が肩に置いた手を外した。


「あの子は、知勇兼備のあなたさまに憧れていましたから。」

そして女は、冷やかにさえ見えるほどの厳しい顔で、私を見上げた。



「この度お伺いしたのは、寡婦の身のわたくしが家督を継がざるを得なくなったというご報告と、サーベルトの魂の平安を祈って頂きたいというお願いです。」

その言葉は丁寧だったが、裏に可愛げのないほどの涙の拒絶を感じさせた。


「…失礼ですが、マダム。アルバートのお家には、確か、サーベルト殿の妹御がいらした…」

「娘は勘当しました。」

ぴしゃりと、女は言い放った。


「家風に合いませんので。」

そして、愛想なく付け加えた。




「…左様ですか。」

私は返す言葉に詰まった。



この女は、世の常の女より扱いづらい。

そういえば、この女の息子が雑談のついでか何かに言っていた。


「母は、本当に万事に厳しい人で。たまに息子の僕でも、困る時があります。」

全くだ。




私はもう、供養料だけ受け取って、この女との対話を打ち切ろうかとも思ったが、思い直した。

今は、少しでも多く金が欲しい時だ。

追い返すのは、勿体ない。 仕方なしに会話を引き伸ばしてみたところ、女は近況の話には応じた。


もっとも、夫に死なれ、まだ若い息子も不慮の死を遂げ、娘を感動した寡婦の日常が楽しかろうはずもない。


日々が、アルバート家の家政と、財産管理に費やされるだけの日々。

寡婦一人の生活に、なにほどの金がかかるわけでもあるまい。

いっそ修道院に寄付でもしてくれれば、マイエラ修道院と私も、一挙に楽になるのだが…




そう考えて、私は思う。

最近、金の話ばかりしている。

いや、昔から金の話はしていたが、それでもつい先ごろまでは、わが父が…






「マダム、マイエラ修道院は初めてでいらっしゃるのです。中を御案内致しましょう。」

私は、オディロ院長の御顔を頭から追い払おうと、そう女に言っていた。




「こちらにこうして伺うのは、息子か娘の結婚の御相談でありたかったものですが…」

女は寂しげに言う。


こういう顔をすれば、世の常の女のようであるのに。

私は思いながら、礼を逸さぬように、もう何度話したか思い返すのも面倒な修道院の説明を行う。



「高徳のオディロ院長には、一度お会いしてみたかったものです。サーベルトが、しきりにお褒めしていましたものですから。」

「…御子息は、何と。」

「聖者としての気高さだけでなく、人間的魅力にも満ち溢れていて、そして非常に面白い方でもいらっしゃいました、と。」

「はい、気高い、万民を惹きつけて止まない方でした…」

私は、オディロ院長の話を、礼儀正しく行わなければならないことへの苦痛に、徐々に耐えきれなくなってきていた。



女は続ける。

「ですが、こうしてマルチェロさまにお会いできてよろしゅうございました。サーベルトは、マルチェロさまのこともしきりにお褒めしていましたから。」

「…御子息は、何と。」

「知勇を兼備されて、魅力あふれる方だったと。そして、オディロ大修道院長猊下は、心からマルチェロさまを大事になさり、そして誇りに思っていらしたと…」



私の中で、何かが弾けた。

もしかしたらそれは、私が封印すると誓った「良心」と「羞恥」の故であったかもしれない




そして私は、わずかに乱暴に女の手を取ると、こう言っていた。


「マダム、では御送り致しましょう。」








女が、供養料に置いて行った寄付金は、私が目論んだよりははるかに少なかったが、私が途中で覚悟したよりは多かった。




「失礼ですが、マルチェロさまには親近感を抱いてしまいました。」

女は言った。


「わたくしのサーベルトを奪った輩と、マルチェロさまのオディロ大修道院長を弑し奉った輩は、同じだと聞きました。」

どこの誰が口を滑らせたかは知らないが、私はもう表情の上に、透明だが分厚い鎧をかけることにしていた。



「邪悪な道化師には、もう追手を差し向けております。いずれ、討ち果たされることでしょう。」


女は、何か言いたげに唇を動かしかけたが、すぐに「淑女」としてふさわしく唇を結ぶと


「それは、宜しゅうございました。」

とだけ答えた。



私は挨拶を行うと、聖堂騎士に女を送るよう命じた。






「マルチェロさま、あなたが、女神と共にあるように。」

女は、私にそう言い残した。



そして私は思い出した。

女の息子、サーベルトと最後に交わした言葉も、そうであったと。

あの時、私が予感し、またひそかに期待したように、「女神の加護非ざれ」との秘かな祈りは聞き遂げられた。



そして、サーベルトは女神の愛し子にふさわしく、女神の膝元に若くして召された。

聖者たる、わが父と同じ場所に。




わが父が「愛し子」と慈しみ下さった「悪魔の子」が、決して行けぬ場所に、わが父と共に…







「マダム、貴女は私を呪ったか?貴女の息子を私が呪ったように…」

私はそして、あまりに稚拙なその考えを、自分で笑い飛ばしたのだ。






2008/10/20




一言要約「シューチシーン」

最初に構想していた通りに書けなかったので、一週間くらいで取り替えようと思っていたのに、なんだかんだ言って二ヶ月も拍手にあった話。
最初はもっと、奥様がマルチェロの痛いところを突きまくって、穴だらけにしていたのですが、「アローザと元法王さま」シリーズのラブラブオーラに邪魔されて、そこまで穴だらけに出来ませんでした。
恐るべし、ラブパワーっ!!

この頃のマルチェロは、自分で自分の気持ちの整理がついていないので、かなり露骨に嫌な人間だったと思います(まあ、元から嫌人間度は高い人なので、あまり気付いた人がいなかったかもしれませんが)
なのに、この時期のマルチェロに惚れ込んでしまった、可哀相な猫が一匹

金と権力しか頭にない、この可哀相な男を助けられるもの、それは愛っ!!!

ですが、こんな第一印象持ってしまったら、好きになれないでしょうね、マダムも。



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