純潔論




毎度おなじみ、兄貴と同期の聖堂騎士トマーゾのお話。
トマーゾって誰?という方は、アホモの「戯曲」シリーズと、「Imitation Gold」をご覧になって下さい。
平団員時代の兄貴はひっじょーに書きにくいため、他人の目から見た兄ばっか書いてます。
相変わらず、浮きまくってる人です。






















「汝、姦淫する勿れ。」

低く、艶のあるバリトンの声が、辺りを威圧する荘厳さでもって、礼拝堂内に響く。






「無垢の上に無垢たる我等をこそ女神は望まれる。未婚者には純潔を、既婚者には貞節たる事を望まれる。汝、穢れたる肉欲に塗れる事なかれ!!」

説教を行っているのは、一介の聖堂騎士でしかないのだが、堂内はあたかも、聖者の説教を拝聴するような雰囲気に包まれている。






いや、少し大げさな物言いだったかもしれない。

ご婦人方…特に、既婚の貴婦人方は、食い入りそうな目つきで、説教者を見ている。


歓喜を叫び出しそうな口元の方もいる。




俺は、説教壇上の、聖堂騎士の青い制服を糸一筋の乱れもなく着こなしながら、息一つの乱れもない説教をする男を見上げる。


神学的で衒学的な用語をフル活用し、かつ、尾篭な言い方をすればご婦人方を“言葉責め”で息も絶え絶えに出来てしまうような、やたらと肉感的な説法をする男を見上げる。






俺とあいつは同じ聖堂騎士なのに、俺はどうしてもあいつを見上げる事しか出来ない。








聖堂騎士団員マルチェロ

神の剣たる、マイエラ修道院聖堂騎士に、なんの後ろ盾もないのに年齢制限をパスすると同時に入団を許され、

院内で一番の剣の腕を誇り、

院内で一番の博学で、

院内で一番の寄付金集めの成績を誇り


そして、院内で一番、女にモテる男。




更に、院内で一番、信仰心と精神力が堅固で、

院内で一番、品行方正な男でもある。






色んな意味で敵の多い男ではあるが、俺はこの男が嫌いではない。

むしろ、“ともだち”と言ったっていい…向こうが認めてくれるならば…という激しくむつかしい条件さえクリア出来れば、の話だが。


嫉妬する訳でもない。

自分より優れた者に“優れているから”という理由だけで嫉妬をするのは、女神がどうこうとか言う前に、人として情けない事だと思うから。


それに俺は、こいつが人より優れている為に、人の何十倍も努力している事も知っている。




ただ、なんだろう。

マルチェロを見上げながら

可愛げがないくらい端正な作りの面立ちと、神秘的な黒髪と、生命を宿した翡翠のような瞳を眺めながら、


俺はいつも思うのだ。








女神さまは慈愛深く、公平な方の筈なのに、かなり不公平なんじゃなかろうか。













説教が終わり俺たちが外に出ると、毎度恒例の行事として、マルチェロはご婦人方にとりまかれた。



「今日のお説法も素晴らしかったこと。わたくし、肉欲のなんたるかが、とてもよく分かりましたわ。」

「マルチェロ様、今度はわたくしの屋敷に礼拝にお越し下さいませんこと?」

「ああマルチェロさま、わたくしはあなたの説教で、自分の罪を知りましたわ。ぜひ、懺悔を聞いて頂きたいの…」




マルチェロが、礼儀正しくも機械的に応対している横で、オレはご婦人方の交通整理をする。


いいんだ、これが俺の仕事だから。

そう思いつつも、なんかこう…




…ちょっと切ない…




いいんだ、別にいいんだ。

俺の面相は、女神さまと俺の両親が俺に与えてくれたものなんだから。

それが、色黒だろうが、タラコ唇だろうが別に…




ご婦人の集団に取り巻かれるようにマルチェロが去って行っても、俺の仕事は終らない。


「あの…これ…」
金髪の人形のような美貌の令嬢が、俺になにやら可愛らしくラッピングしたものを俺に差し出す。

「はいはい、プレゼントな。でも、返事は期待するだけ無駄だよ。」
俺は、もういい加減言い飽きた返答を返すと、彼女は必死の表情で叫んだ。

「それでもいいんです。だから、ぜったい、マルチェロ様に渡して下さいねっ!!」


令嬢がプレゼントを差し出すのを合図に、女の子達がそれぞれ、手紙やらプレゼントやらを俺に差し出し、口々に伝言を頼んでくる。

やっぱりマルチェロへのが多いけど、他の騎士団員へのものも結構多い。



ま、聖堂騎士は“女の子の憧れ”だからな。




俺は、

俺も聖堂騎士なんだけど…?


という気持ちを堪えて、持参の袋にプレゼントを放り込む。


いいんだよ、これが俺の仕事なんだから。







プレゼント攻勢がひと段落すると、俺の周りから人はいなくなった。


俺はプレゼントだの、手紙だのが、華やかに賑やかにいっぱい入った袋を担ぎ上げると、立ち去ろうとした。







「…あの…」
控えめな声がした。







「…あの…」
もう一度、小さな声を出す女の子の手には、可愛い封筒に入れられた手紙らしきものがあった。


きっと、あの集団攻勢の中、勢いに押されて差し出せなかったもんだろう。

俺は思い、彼女に声をかける。

「誰へ?マルチェロ?」

「…違います。」
緊張しながら短く答える彼女に、俺は心当たりのある名前を次々と挙げてみたが、彼女は首を振るばかりだった。



「…他にいたかなあ…ごめんな、俺、記憶力には自信がなくてなあ…」

彼女は泣きそうな顔をして、俺をじっと見上げる。


小柄な娘だ。俺は背ばっか高いし、ゴツいから、怖いのかもしれない。

俺はできるだけ、怖くない笑顔を作ろうと努力してみた…が、巧くいったとは言いがたかった。







「あの…!!」
彼女は、思いがけない大声をだして、目いっぱい上を向いて、腕を全力でつっぱって俺に手紙を差し出した。



「受け取って下さいッ!!」
そして、押し付けるように手紙を差し出すと、思いがけない速さで立ち去ってしまった。




「…」
俺は呆気に取られたが、一応、宛名を確認する。






トマーゾさんへ。

封筒には、確かに、そう書いてあった。














「…何をぼけっと突っ立っている、トマーゾ。帰るぞ。」

マルチェロが声をかけてきてようやく、俺は正気に返った。



「あ、ああ…」
俺は慌てて手紙をしまい込むと、女の子達から言付かっていた手紙その他をマルチェロに渡そうとした。



「不要だ。」
マルチェロはそっけなく答える。



「…読むだけ読んでやれよ…」
俺が言うと、マルチェロは不快そうな緑の瞳を俺に向けて答えた。


「読んで、どうなるというのだ、トマーゾ。」

「いや…」

マルチェロは短く笑い、結論を吐き捨てた。






「我々は、女神に身を捧げた聖堂騎士だぞ?」
















マイエラ修道院に戻ると、俺は人目がないのを確かめ、こっそりと、そしてドキドキしながら手紙を開く。


一瞬、

これで、いたずらや嫌がらせだったら、俺はマジ泣きしてしまうかもしれない。


と思ったから、ハンカチまで完備して、だ。



上手くはないが、女の子らしい、そしてちまっとした字で、手紙は書かれていた。






トマーゾさんへ。


うちの町によく礼拝に来られる貴方を、毎回見ていました。

お話した事はないけれど、礼拝堂での礼拝の時に、そっと貴方を見ていました。

一度でいいから、貴方とお話がしたいと思って、勇気を出してこの手紙を書いてみました。


もし、貴方もそう思って下さるなら、次の礼拝の後、教会の裏の大きな木の下で待っていますので、来てください。



アンジェリカ







その夜、俺は彼女からの手紙を大事に抱きしめて眠った。



きっと、寝言で何度もぶつぶつと

「アンジェリカ」

って呟いていたはずだ


…まあ、俺は歯軋りがうるさいらしいから、それにかき消されて誰も気付かなかったと思うけど。










次のあの町での礼拝を楽しみにしながら、俺がうきうきと過ごしていた、ある日だった。


「トマーゾ、来客だ。」
マルチェロが、俺に来客があると知らせてくれたので出て行くと、



「トマーゾ兄さまー♪」
応接室でひらひらと手を振って出迎えたのは、弟のパオロだった。








俺のウチは微妙に家族関係がややこしいので、弟のパオロとは異母兄弟だったりするが、それはそれとして一緒に兄弟として育ってきたので、久方ぶりに兄弟として接する事にぎこちなさはなかった。


「兄さまも元気そうで何よりだね。あ、父さまもアドロ兄さまも…つーかみんな元気だよー。ああ、そう。今度ジュディッタが結婚するからさ、この修道院からお坊様を出して頂こうとぼくが来たワケ。だったら、近くの教会から出してもらえばいいと思うだろ?それがさー、ジュディッタが、さっきのあの…マルチェロつったっけ?あの聖堂騎士に一目惚れして、絶対、自分の式にはあの人を警護に入れてくんなきゃヤダってダダこねて、そんでもって、父さまもジュディッタに甘いじゃん?うん、つって、で、ぼくが使いッパ…かわいそーなぼく…ま、可愛い妹の式の為だから仕方ないけどー…」

相変わらず弟の、軽薄というか、かるーい性格と口は変わっていない。




「そうか、ジュディッタもとうとう嫁に行くのか…あのミーハーな娘がなあ…相手はどこだ?」

「ん?ファグンデス子爵家。ジュディッダのくせに、子爵夫人だよー?間違ってるよな、けっこー。ま、相手オッサンだけどな。」

「そーか。ま、何でもいいけど、花婿が霞むから、マルチェロを呼ぶのはやめた方がいいぞ?」

「だって、ジュディッタが、言い出したら引かない奴なのは、トマーゾ兄さまも知ってんじゃん?」








家族の近況報告などで弟と楽しく談笑していた俺だが、パオロはふと思いついたように俺に言った。


「しっかし、質素な修道院だね。聖堂騎士っつーから、もっと華やかだと思ってたのに。兄さまは、こんな質素な生活に耐えられるんだ、エラいねー。」
俺はちょっと苦笑して、答える。

「お坊様っていうのは、質素なものなんだよ、パオロ。」

「えー?ウチの教区の司祭さまはハデに過ごしてるけどねー。トマーゾ兄さまも、おとなしくウチの近くで司祭やりゃいいのに。父さまが聖職録買ってくれるよー?」


俺は、弟にはまるで悪意がないのを知っているから、複雑な心中を顔には出さないようにして、さり気なく話題を変える。



「人の事、心配してる場合か、パオロ。お前だって跡継ぎじゃないんだから、先の心配をしないと…」

「んー平気。ぼく、もう婿入り先が決まってるもん。」
そして、邪気のない笑顔で続けた。


「だから、今は結婚前ラストの女遊び中♪」





貴族というものは、そもそも倫理観念が破綻した奴が多いから、わが弟が格別人道に外れているわけでもなく、むしろ大人しい方だとは思うんだが。


「パオロ…婚約期間というのはな、神聖なる婚姻の秘蹟に…」


風紀に厳しいマイエラ修道院生活もそろそろ長いからか、はたまた、人の数倍は性的倫理にやかましい同僚がすぐ傍にいるからか、俺はうっかり説教を始めていた。



「…すごーい、トマーゾ兄さま、お坊様みたーい。」
弟は呑気な感想で俺の言葉の続きを封じると、


「で、トマーゾ兄さまのカノジョってどんな人?」
と、思いっきりタイムリーな話題を振ってきた。




そんでもって、すぐに赤面しちまった俺も、なかなか純情だとは思う。






結局、弟に洗いざらい話をさせられた俺は、


「すごーい、今ドキ、十歳の子どもだって、そんな純情なコトしてないよー。」
という、なんとも可哀想な返答を聞かされた。



「…いいだろ…」

「うん、よしっ!!ぼくがトマーゾ兄さまの恋路を応援してあげるよ♪」

「やめろー!!」


俺は必死になって止めたが、弟は聞かなかった。








「久方ぶりに会うこと叶いました兄の、聖堂騎士としての任務をぜひ、この目で見て、父にも知らせてやりとうございます。どうか、ジャンティエ騎士団長におかれましては、あと幾日かの滞在と、礼拝先への同行をお認めいただけましょうか?」


猫を三重くらいにかぶり、ついでに寄付金まで笑顔で差し出しての弟の申出に、騎士団長は


“応”


と、非情にも答えた。













いつもの町での礼拝。

好奇心を満面に浮かべた弟が聴衆席にいる。


俺の恋は見世物じゃないぞ!!


そう思いながら、聴衆席の中に彼女の姿を探してしまう俺がいる。





直立不動で立ち、視線も、さも、真面目に任務に励んでいるように辺りを見回しながら…俺は、少し落ち着きなく視線を動かす小柄な女の子の姿を捉える。






「…」
「…」


俺は、この日まで頑張って習得に努めた笑顔で、ぶつかった視線に笑いかけた。






ここで退かれたら、俺は女神に嫌われてるんだろう…

そう思って反応を窺うと、






にこっ。

笑みが返って来た。









礼拝が終ると、俺はさり気なく教会の裏に姿を消していた。


大丈夫だって、いくらマルチェロだって、あんだけご婦人に囲まれていたら、俺の一人や二人いなくたって気付くまいよ。






「…トマーゾ…さん…」
木の下には、夢にまで見た彼女の姿があった。











何を話したんだか、よく覚えていない。


ともかく、そんなに長い時間じゃなかった筈だけど、俺は天国を満喫したような気分になっていた。



ともかく、いつものようにマルチェロはご婦人方にひッさらわれてその場にはおらず、わが弟だけがにこにこ笑顔を浮かべて待っていて、俺の姿を見るなり言った。







「中の中…だけど、十段階評価で言ったら“四”かな?」


何のことか一瞬量り兼ねた俺は、それが“アンジェリカの評価”である事に気付き、本気でムカついた。

「何言うんだ、パオロ。すっごくカワイイ子じゃないか?」
俺の返答に、弟はへらへら笑うと、

「ま、おっぱいは大きいから、許容範囲かも。」
と、あっさりと言い放った。






「お…おお…胸…?」
そういえば、質素な…でも、礼拝に来るんだから目いっぱいおめかしはしてきたんだろう。いや、俺に会うからおめかししてきてくれたに違いない彼女の胸は、言われてみれば確かにいい膨らみをしていた。



いや、何をいかがわしい想像をしているんだ、俺!!








「ま、詳しい話は戻ってからね、トマーゾ兄さま♪」

見ると、マルチェロが戻ってきていた。


「素晴らしいお説教でした、マルチェロ殿。」

弟の猫かぶりの台詞に、マルチェロも礼儀正しく、かつ、機械的に返答した。


「恐縮です、パオロ殿。私のような若輩者が、おこがましくも説教壇に上がれるのも…」

マルチェロは、ちら、と俺を見る。


「パオロ殿の兄君のような、援助があってのことです。」

翡翠色の目が、冷たい。


「そうおっしゃって頂き、弟として嬉しく思います。」

サボってたの、バレたかなあ…











「さあー、トマーゾ兄さま、いつヤる?」
弟のあっさりとした爆弾発言が、俺の心臓をまたバクバクさせた。



「ば、バカ。ここは修道院の中だぞ?や、ヤるなんて言い方…」

「だったら、“肉の交わり”とか、説教で使ってたような言葉を使うべき?…なんでもいいじゃん。ともかく、ちゃんと合体までの筋道は立てるべきだよ。」






修道院の来客用の寝室で、俺は弟に

“正しい女の子との付き合い方”

という名の講座を受けていた。



「『据え膳食わぬは男の恥』って言うし、あの娘もぜったい、その気だって。ちゃんとキスして、乳揉んでからヤったらいいんだよ。」

弟は、小柄な体のくせに、エラそうな態度で俺を見上げる。



「やっぱトマーゾ兄さまって、童貞?」



「…俺は、女神に身を捧げた聖堂騎士だぞ?」
言いながらも、俺は少しバツが悪くなる。



「ふうーん…女の子にモテモテのエリート騎士ってゆーから、みんな遊んでるのかと思ってた。ここのお坊様方って、身持ちが固いよね。そういうトコなの?」








確かに、マイエラ修道院はよその教会と比べて、貴族の子弟が多い割には風紀が糜爛していない。

まあ、修道院長が“あの”オディロ院長だというのが、一番大きい理由だと思う。



俺の実家は法王庁のあるサヴェッラに近いから、あそこの“聖職者”さまたちの実態がどんなかはぼちぼち知っている。


それに比べたら、ここの騎士や修道士たちの“悪事”なんて、可愛いものだとも思う。



まあ、それでも“悪事”は“悪事”なんだが。







「そういうトコなんだ!ホントは駄目なんだ、ホントは女の子と付き合うなんて…」
弟は、“呆れたー”と言いたげな表情になった。

「やっぱさー、トマーゾ兄さまはウチの近くで司祭とかになっとくべきだったんだよ。そんで、あの娘みたいな子を…兄さまって、ああいう純情そうな子が好きみたいだから…“女友達”にして、楽しく健全に過ごせばいいのに。」

「…そうもいかんさ…その…その結果…子どもが出来たりしたら、結局…」



俺は、相続問題をややこしくしないために聖界に入れられた男だ。
うっかり“家族”を持ったりすると、継母含め、弟妹たちとまたぎくしゃくする。

だからわざわざ、家族と顔を会わせないこの修道院の聖堂騎士になったというのに…



「…ま、そんなに深刻に考えないでよ。いいじゃん、アンジェリカと仲良くすればいいじゃん。その結果、うっかり子どもができたり、この修道院を追い出されたりしたら、父さまがへそくりでなんとかしてくれるよ。」

弟は、偉そうにぽんぽんと俺の肩を叩く。


「ねえ兄さま、ぼくたちとトマーゾ兄さまは兄弟なんだから、そんなに気を使わないでよ。父さまはいっつも、トマーゾ兄さまの心配をしてるんだよ?だから、ぼくの母さまの目ばっか気にしないでよ。兄さまだって、結局、母さまに育てられてるんだし、母さまはそんなに冷酷な人じゃないんだから。」



「…」
俺は、実父と実母に育てられた、無邪気な弟にため息をつく。
悪気はない分、質が悪い。




「パオロ、俺は明日も早いんだ。お前ももう寝ろ。」
俺が言うと、パオロは大仰に驚く。


「えーっ!?まだ夜はこれからだよー!!せっかく兄さまに、“女の子のめろめろポイント”をレクチャーしようと思ったのにぃ!!」

「夜更かしも大概にしなさい。」


弟は、だからぼくは聖職にだけは就きたくないんだ“健全”にも程があるっててーか早起きには耐えられない規則の多さには耐えられない質素にもたえられないああ兄さま父さまがちゃんと食べてるのか心配してたよここの食事って不味いよねもっといいモン出ないのえ出ないのウソ他所で食ってるのなら仕送りするよう父さまに言っといてあげようかえいらない


と、さんざ喋り続けたが、俺は無視して部屋を出た。









翌日弟は、修道院関係者には猫かぶりでしかつめらしく挨拶をし、俺には

「お手紙で首尾をおせーてねー♪」

と軽く言って、ひらひらと軽薄に手を振って、修道院から去っていった。












弟は笑うかもしれないが、それから、俺と彼女の関係は、“ヤる”とは程遠いところで遅々として足踏みをしていた。


そもそも、俺もこういう事には激しくオクテ…自分で言うのもなんだけど…なのに加え、彼女も内気な娘だから、そうそうほいほいと話が進むわけがない。



俺と彼女は、あの木の下でそっと待ち合わせて、たわいもないおしゃべりをして、そして手が触れただの、触れないだので赤面して…




我ながら、なかなか極限の純情さだと自嘲しながらも、俺は幸せだった訳だ。









弟からは頻繁に“アドバイス”という名のお節介が書き連ねてある手紙が来た。

毎度毎度

「もうヤったー?」
で始まる文面に俺は辟易したが、まあ女性の扱いは、間違いなく向うの方が大先輩なのは事実だった。



そして、ある日の手紙の


「仲が進展しないなら、贈り物が効果的だよー」
という一文に俺は一念奮起して、生まれて初めて女性へのプレゼントを買った。







人気のない聖堂騎士宿舎の一室。

俺は、女の子向けに可愛くラッピングされたプレゼントを見ながら、楽しく想像する。



もちろん、俺が女性へのプレゼントのセンスの良さを誇れる訳はなく、店主に注文して選んでもらったものな訳だが、女の子が喜びそうな可愛らしいブローチだ。

これをつけたら、彼女の豊かな胸が、いっそう引き立つに違いない。



ああ、弟は彼女を“十段階評価で四”とか酷評したが、あの子は本当はもっと可愛いんだ。





彼女は、自分の金髪がくすんだ色なのを気にしているけど、輝きゃいいってモンじゃない。しっとりと落ち着いた色で、俺はとても綺麗だと思う訳で。

彼女は、自分の瞳が、宝石みたいな色でないと気にしているけど、深い色をした瞳は、とても趣深くて、俺はとても綺麗だと思う訳で。

彼女は、自分のそばかすが多い事を気にしているけど、それは彼女の色が白いから目立つだけの話で、俺はちいとも気にしていない訳で。

彼女は、自分が可愛くないと自分で言うけど、それは、彼女が地味なカッコをしているだけの話で、俺はとても可愛いと思う訳で。




そんな彼女が、俺からのプレゼントを受け取って

「ありがとう、トマーゾ。」
なあんて、俺の胸に飛び込んできたら、俺は自分の理性と信仰心に忠実でいられるだろうか…

あのおっぱいは、そりゃあもう、柔らかいだろうから、感触が…











と。

気付いたら俺はいわゆる“忌まわしい行為”を完遂していた。








ヤバイ!!

俺は慌てて下半身を始末し、ズボンを上げた所で


かちゃ


最悪…というべきか、マルチェロが入ってきた。







俺は慌てて窓を開けたが、臭いでモロバレだったのは間違いない。


「…」
侮蔑の瞳を俺に投げかけ、マルチェロは俺に一言も言わずに、用件だけを済ますとまた部屋を出て行った。



最悪だ…なんでよりにもよって…

俺は激しくヘコんだ。











「ありがとう、トマーゾ。」
が、プレゼントを受け取ったアンジェリカのその言葉を聞いた瞬間、俺のヘコみは速やかにどこかへ飛び去った。



「つけてもいい?」
天使のような笑顔に、俺はうんうんと首をふる。


「うわー、可愛いー。」

俺は、魔物に対峙する際の数倍の勇気を動員して、用意しておいた言葉を彼女に囁いた。


「君が可愛いからだよ、アンジェリカ。」


寒い!!
と言われても仕方のないような台詞だったが、生憎と俺にこれ以上の詩的な表現は無理だったし、幸いなことに、彼女は心優しい娘だったので、


「…」
お約束どおり、赤面してうつむいてくれた。





俺は、昔、初めて魔物と対峙した時のように緊張しながらも、必死で自己を奮起させて、彼女の細い肩をそっと抱いた。


嫌がられたら手を離すつもりだったけど、彼女はされるがままだった。







弟は笑うと思うけど、俺は、彼女の唇に、そっと唇を重ねるだけが精一杯だった。


うん、それ以上は無理だった。







別れ際、彼女はずっともじもじしていたが、何かをふっきったような大声で言った。


「あのっ…次は…次は…次は、お祭りの夜に、町外れの小屋で会いませんかっ!?」
彼女の声が上擦った。


夜…?

俺は、いろいろと妄想が心中を駆け巡ったのを慌てて打ち消す。




そんな美味い話はない!!




だが、彼女は上擦った声のまま、続けた。

「あのっ…あの小屋は…その…夜は…」

声はだんだん小さくなり、最後には聞こえるギリギリの大きさになったが、彼女は確かに言った。

「…誰も…来ないの…」







夜!!
誰も来ない!!
小屋!!







据え膳…

これって、据え膳っ!?







俺、誘われたっ!?










それから祭りの夜まで、俺はいろんな事が手につかなかった。









いいんだろうか…本当に、こんないい話があっていいんだろうか。

俺は自問する。


俺みたいな不細工な男が、こんないい目に会っていいのだろうか。

なんか、こう…騙されてるんじゃなかろうか?


いや、アンジェリカはそんな娘じゃない!!




が、この年まで経験なしだと分ったら、バカにされないだろうか。

いや、アンジェリカはそんな娘じゃない…と、思いたい。







俺は、弟からの手紙を開く。

「トマーゾ兄さまー、もうヤったー?」

恒例の文頭。


「贈り物はした?上手くいったでしょ?なら、そろそろイッちゃえ!!あ、その時にアドバイスだけど、据え膳は断っちゃ駄目だよ?女の子が『侮辱された』って思うからね。なるようになっちゃえ!!ヘーキヘーキ、向うも純情そうな娘だから、兄さまが童貞でも気にしないって。」

「…そうかな?」


俺は手紙と会話してしまう。





いいかな…俺、脱童貞してもいいのかな?

彼女から誘ってきたんだし、いいよな?

俺、激しく本気だからいいよな?




決めた!!俺は男になるっ!!







なんて決心しつつも、俺は祭りの日まで、不安と期待でロクロク眠れなかった。

情けない…












祭りの前日。

俺は、運悪くも祭りの祭具の確認作業を言い付かり、更に運の悪いことに、その作業はマルチェロと一緒だった。


前の事があって気まずいので、俺は黙々と作業を遂行する。


あれ、入ってきたのがこいつでさえなければ、若い男同士、笑って済む話なのに…







「トマーゾ。」
同じく黙々と作業を進めていたマルチェロが、俺の名を呼んだ。


「あ…ああ…」
俺は内心の動揺を悟られないように、でも多分間違いなくあの時の同じく動揺していたのはモロバレだったんだろうが、返答した。


落ち着け、俺。
いくらこいつの頭が俺の数十倍は怜悧だからって、俺の内心が読める訳でもない…



「トマーゾ、お前…」







「姦淫の罪を為したな!」

マルチェロは、壇の上からの説教のように、俺に言葉をぶつけた。







誤魔化せばいい話なのに、俺の口は何をトチ狂ったか

「まだヤってない!!」
なんて叫んでしまった。


俺って、なんてバカがつく正直なんだろう。




「心中に淫事を思い浮かべるだけで、立派な姦淫だ!!」

「違…」
といいつつも、自慰の直後に踏み込まれたんだ、言い訳に説得力は皆無だ。


「やれやれ…」
マルチェロは大仰に肩をすくめると、続ける。



「説教の最中に何度も何度も、視線をお前に向ける、くすんだ金髪の娘がいたとは思ってはいた。だが、お前は貴族の出身の割りにしっかりとした見識と信仰心を持った騎士だと思っていたのだが…」


マルチェロは斬り捨てるように、言い捨てた。
「まさか、女犯の罪を犯していようとはなっ!!見損なったぞ、トマーゾ!!」


だから、まだなんにもしてないってば…
てか、なんで説法の最中に、人の視線まで一々チェックして、しかもそれを覚えてられるんだよ。


俺は、言ってやりたい事がたくさんあったのだが、マルチェロの眼差しに威圧されて、何も言えなかった。







「いいか、トマーゾ。聖堂騎士とは、なんだ!!」

「…信仰の礎たる、オディロ院長とマイエラ修道院を守る、神の剣…」

「そうだ!!女神の剣たる我々は、騎士誓願を立てた筈だ!!なんと誓った!?女神と剣にかけて、なんと誓ったのだ?」

「…我、女神に貞潔たる事を誓う…」

「そうだ、我々は女神の穢れなき花婿で有らねばならず、神聖なる童貞でなくてはならんのだ、違うかっ!?」



神聖なる童貞
こいつが言うと、なんでこんなに重みと説得力がある言葉になるんだろう。



俺が頷くと、マルチェロは断罪する裁判官のように、重々しく言い放った。

「ならば、俗世の女と姦淫するとは何事かっ!!」







無駄だと思いつつ、俺は反論を試みる。


だって俺だけじゃないし。

だって向うも俺の事が好きだって言うし。

そもそも若い男が、女性に一切の興味を持たないでいる事の方がおかしくないか?







想像した通り、マルチェロは激烈な口調で反論してきた。

「欲望に克己する事こそが人を高めるのだ!!貴様は、俗世の女の誘惑に、肉欲を喚起されたに過ぎん!!…それとも何か?他人が罪を犯したならば、自己も罪を犯すことが許されるとでも?…恥を知れっ!!」




肉欲…
そう言われると、身も蓋もない。

俺が彼女に下心が一切ない、“精神だけの愛情”で接しているかというと、もちろんそんな事はない。


そりゃ、やりたい、本心は。

むしろ、その気は満々だ。


だけど…





「けど、俺は彼女を愛してるよ。そりゃ肉体も含めてだけど、その心も一緒に…」

凍えそうな眼差しが、俺の言葉の続きを凍らせた。







「愛だと…?ならば問う、トマーゾ!!貴様はその女に何ができる?」

「え…?」

「貴様は神の道を志したのだ。独身の誓願を立てている以上、肉体と肉体の交わり以上のものを求められても、応えられん。違うか?」

「…」

「万が一、女が子を宿したとしても!!貴様はその子が“悪魔の子”として生まれてくるのを待つ事しか出来ん!!女は死ぬまで情婦だ!!違うかっ!?」




家門の都合上、俺は還俗は出来ない。

まあ確かに、マルチェロの言うとおりの事になる可能性はあるわけだ…アンジェリカとそこまでの関係になれば、な。






「それが貴様の言う“愛”かっ!?そんなものは、肉欲を糊塗し、飾り立てた言い訳に過ぎん!!」







全ての子は、女神に愛された子だよ。

オディロ院長の優しい言葉が耳に残るが、残念ながら、そうそう世の中が聖者ばかりで出来ている訳ではないことを俺は知っている。


庶子が幸せになれない訳ではない。

俺も本当は庶子で、俺は今、特に不幸ではないが…かと言って、自分の生い立ちに対して、思うところがないわけではない。





俺に対してこんな台詞を吐くこいつは、もっと“思うところがある”に違いない。







俺は、俺の一時の“欲情”で、アンジェリカの人生を踏みにじろうとしているのだろうか?


なんせ俺は、彼女に対して“責任を取る”事なんて、出来ないのだ。









「トマーゾ…」
マルチェロは、なんだか少し優しい口調になると、激しく短い言葉で、全ての解決になる言葉を発した。










「別れろ。」






















祭りの夜。
俺は約束の小屋に行く。



「トマーゾ、来てくれたのね…」
はにかむ彼女は、いつもよりも大分と“勝負色の濃い”格好をしていた。





「あの…はしたない女だって思わないでね…その…」

思わないよ、アンジェリカ。
俺は君が大好きだよ。


本当に君を抱きしめたいよ。





「だって、その…あなたが…」

アンジェリカの口からは、少し酒の匂いがした。
彼女なりに“勇気を付け”て来たのだと思うと、俺は決心がぐらつきそうになる。



「ね…?」
彼女はいつもの倍は大胆に胸元を開けた服で、いつもの三倍は積極的な瞳で、俺を見上げた。






俺がここで彼女と何をしようが、誰にも分るまい。

俺はそう思わないでもない。





俺は、口を開いた。





「…ごめん、アンジェリカ。」





彼女の瞳が、大きく開かれる。

俺は、それから目を逸らして、続けた。







「そしてごめん、俺は君とはもう付き合えない。だって俺は聖堂騎士だから…」







うつむいた彼女の肩がふるふると震える。

俺は慌てて屈み、言葉を探す。











「いくじなしっ!!」

そして間髪入れずに、鋭い平手打ちが飛ばされた。














深夜。

俺が修道院内で女神像に跪いていると、すぐ後ろで足音が止まった。

特徴的な足音だから、振り向かなくても誰だかわかる。



俺は、跪いたまま、言った。





「別れたよ…すっぱりと。」


返事はない。


「一応言っておくが、俺は童貞のまんまだよ。」


返事はない。


「でも、確かに情欲に肉体を汚したのは事実だから、ちゃんと女神に懺悔したよっ!」



しばしの沈黙の後、マルチェロは言った。








「よろしい。」

そして、何事もなかったようにカツカツと足音を立て、立ち去った。








俺は女神像にまだまだ懺悔する。


彼女を傷つけた事を懺悔する。

女神への誓いを破ろうとした事を懺悔する。

そして








同僚に対し、心底

「殴りたい!!」

という押さえがたい衝動を抱いたことを、懺悔する。
















部屋に戻ると、弟からの手紙が届いていた。

「もうヤったー?」
おなじみになった文面を眺め、俺は便箋に返答をしたため始める。







親愛なる弟、パオロへ。


兄は聖堂騎士であり、聖堂騎士とは、女神に貞節を捧げた…







マルチェロ受け売りの純潔論をしたためながら…















俺の視界は涙で曇り、喉は苦い吐息でつまった。








2006/9/17




一言要約「可哀想なトマーゾ」
もう一言要約「他人の恋路をことごとく邪魔する男マルチェロ」
「あなたの一番好きな人によろしく」でもそうでしたが、うちの兄は、そうみたいです…自分に好意を持ってくれる人を不幸にするのが好きみたいで…(笑)

今回書きたかったのは、トマーゾいぢめでは決してなく!!
「マルチェロが、如何に独善的で、人の意見を斟酌せず、そして自分の意見・見解を他人に押し付け、しかもそれがいかに人を傷つけることか気付かない男か」
という事なのです。ゴルドの演説でもそうでしたが、
「そりゃ、人が生まれで差別されるのは良くない事だろうけど、あんた以外に変革を望んでる人はほんの少数だし、その変革がどれだけいろんな人を不幸にするのか分ってる?分ってないでしょ?」
って人ですよね、兄って。

この世にはいろんな矛盾がありますが、ほとんどの人はその枠内でなんとか幸せになろうとしている訳で、それを
「間違っている」
とか、
「無駄な努力だ」
と断言する事は、してはいけないことだと思います。でも、そんな事を断定しまくる兄が好きなべにいもは、難儀な人だなあ(笑)

一応、最後に言っておきますが、べにいもはトマーゾが大好きです!!完全にオリジナルなキャラなのに恐縮ですが、彼を書いてると幸せです。
彼は、善人であり、人の幸せを祈ることが出来るが故に不幸になる…まさに“聖者“であると思います。

ところでこの話、休日を一日つぶして書きましたが、文章だけで40KBもある、今までで最長の話ですよ(笑)すげえ、私、そんなにトマーゾが好きなんだ♪


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