女神の愛し子
女神の愛し子
「アローザと元法王さま」で微妙に訴えていた“マルチェロはアルバート家となにかつながりがあるのではないか?”という話です。
とりあえず、ゼシカはマルチェロと面識はなかったようですが、なにせ銭ゲバ団長のことですから、貿易で儲けてる名家を放っておくはずもないと思うのですが…
つー訳で、マルチェロとサーベルト兄さんのお話です。
「お久しぶりでございます、マイエラ大修道院長猊下。そして、お初にお目にかかります、聖堂騎士副団長殿。」
外した兜から零れ落ちる金の髪が、柔らかな日の光に輝いた。
「亡き父の後を継ぎまして、この度、アルバート家の当主となりました、サーベルトでございます。」
利発なくせに柔らかで、そして年の割りに思慮深い声が、爽やかに響いた。
「おお、父上のこと、まことにお悔やみ申す。まだお若いのにのう…母上はさぞやお力落としのことであろう。」
「はい、父が亡くなってしばらくは…。ですが、最近、ようやく少しずつ元気を取り戻してきたようです。そのような事情もございまして、こちらへのご挨拶が遅れましたこと、改めてお詫び致します。」
オディロ院長は、いつものように優しい笑みを浮かべられ、ご自分よりはるかに頭の高い、少年とも青年ともつかぬ年頃の彼を見上げた。
「しかし、あの坊ちゃんが…大きゅうなったのう。しかも、年の割りにしっかりしておる。」
「いえ、そんな…」
僅かにはにかんだ彼の笑顔は、年相応の幼さを見せた。
「まあ良い、せっかくこんな所まで来てくれたのじゃ。辛気臭い修道院ではあるが、ゆっくりしておいき。それと、ワシの事を『大修道院長猊下』などと堅苦しく呼ばないでおくれ。昔はちゃんと『おじいちゃん』と呼んでくれていたではないか。」
「さすがにそれは…ではオディロ院長、お言葉に甘えさせていただきます。」
オディロ院長は私を振り返り、仰った。
「という事じゃ、マルチェロや。」
私は心得て、一礼する。
「サーべルト。ああ、そう呼び捨てても構わんかね。」
彼が微笑むと、院長はお続けになった。
「聖堂騎士団長は、所用で法王庁に参っておってのう。今はこの聖堂騎士副団長であるマルチェロが、万事執り仕切っておる。なので、この後の用はマルチェロに申し付けておくれ。」
「はい。」
彼は笑顔で頷いた。
「改めて自己紹介申し上げます。聖堂騎士団の副団長を拝命致しております、マルチェロと申します。」
私がそう言うと、彼も言葉を返した。
「こちらこそ、お初に。サーベルト・アルバートです。マルチェロ副団長どのの御高名は、かねがね承っております。」
巡礼の若い娘や、それほど若くない女性や、あからさまに老いた寡婦が、通りすがりに彼の顔を覗き込み、ひそひそと嬉しげに囁き交わすが、彼はそれを意に介す風もない。
おそらく、あまりに慣れた光景なのであろう。
「“高名”とはまた、大仰な…」
私が礼にかなった謙遜をしてみせると、彼は何故か嬉しそうに喋り始めた。
「いえ、まるで大げさではないのです、副団長どの…」
「マルチェロで結構です。」
「では僕の事も、サーベルトと…ええ、そうです。マルチェロ…どのの御高名は、僕の屋敷のあるリーザス村のような辺鄙な場所にまで届いています。まだ二十歳をいくつか出たばかりだというのに、聖堂騎士団の副団長にまでおなりになった方。抜群の剣技と、法王庁の学僧たちに勝るとも劣らぬ学識、峻厳たる統率力に加え、鉄壁の信仰心をお持ちの方…」
私を煽てても、何の利益になる訳ではない。
それなのに彼は、滔々と私への賛辞を述べ立てると、
「そして“イケメン揃いの聖堂騎士団”の副団長の名に恥じない、威風堂々たる美丈夫…だと、聞き及んでおりましたが、本当でしたね。」
「…恐縮です。」
他に返すべき言葉が見つからなかったので、私は短くそう返答したが、仮にも修道院への代々の大口献金者であるアルバート家の現当主にあまり愛想がないのもどうかと思い、付け加えた。
「サーベルト殿こそ、まさに白皙の貴公子とも言うべきお方ではありませんか。」
黄金の髪
輝く宝石のような瞳
白く滑らかな肌。
優しさと思慮深さと芯の強さを同時に併せ持った表情。
自ずからその挙措から滲み出る気品。
未だ成長途上ではあろうが、それでも尚お高い背。
未だ筋肉の付ききらぬ細身の身体。
「いやですね、そんな事はないですよ。」
嫌味のないその笑顔に、いつの間にか彼を取り巻いていた巡礼の女性たちが、うっとりとした眼差しを投げかけた。
いわゆる“理想の王子様”とは、彼のような者のことを言うのだろう。
「僕はずっと、マルチェロどのにお会いしたいと思っていました。今日、こうしてお会いできて、本当に嬉しいです。」
「光栄です。」
私の返答に、彼は微妙に物足りなさそうな表情を向けた。
私は、彼の機嫌を損ねるのは得策ではないと判断し、彼に話しかける。
「何かご覧になりたいものはありますか?此処、マイエラは歴史深き修道院。図書館の蔵書でも…」
「オディロ院長のダジャレ本ですか?」
素早い反応に、私は相手に聞き取れぬよう、舌打ちした。
「…はい、オディロ院長は、いわゆる“ダジャレ”を事の外お好みになりますので、図書館にも院長御直筆の本が幾冊か…」
説明しながら私は、マイエラ修道院の風評というものは、いま少し意識的に流布すべきではないかと考えた。
「生憎と、僕はあまりダジャレには堪能ではないのですが…」
申し訳なさそうに彼は言う。
「あ、でも、リーザス村の老人などで、ダジャレを好む人もいますから、言えない訳ではないんですよ?」
なぜか顔を輝かせ、彼は言った。
「…スライムたちが集まって野球をしました。見事ホームランを打ったスライムが、一塁、二塁と塁を回り、ホームベースを踏もうとすると、なんと、そこには赤いスライムが。スライムは言いました。
『なんで君がいるの?』
赤いスライムは答えました。
『ベースボールなだけに、スライム“ベース”が要るかな、と思って』」
「…」
私は、スライムが、如何にしてバットを握り、ボールを投げたのかを考えてみた。
あの形状では、それは物理的に不可能ではなかろうか。
「…すいません…」
完全に無反応になってしまった私の表情に、彼は心から申し訳なさそうな謝意を述べた。
「いや…」
「オディロ院長のダジャレと言えば、天下逸品であると聞き及んでおります。それを毎日お聞きのマルチェロどのには、僕のダジャレなんてつまらないですよね。」
「…」
私は沈思黙考する。
我が養父であり、“聖者”オディロ院長は、まったくもって素晴らしい方であり、私はかの方を尊敬し、そして敬愛してやまないのだが、院長が事の外お好みになる“ダジャレ”は、まったくもって私の理解の範疇から遠いものであった。
いま少し無頼な言葉を用いて言うのならば、
“何が面白いのかさっぱり分からん”
いや、決して私は“ダジャレ”を軽蔑しているのではない。
オディロ院長がお好みになるからには、そこには私には理解の及びがたい、なにか深遠な可笑し味というものが存在するのであろう。
かつて私は一念奮起し、図書館に山を為さんばかりに積まれた蔵書の中から、院長が著されたダジャレ集ばかりでなく、院長がこのマイエラ修道院にお越しになられてから長年かかって収拾されたダジャレ本を発掘し、一冊余さず読破してみた。
が、私には、一つの語に二つ以上の俗的な意味を持たせる事に、何の深遠な真理が存するかは愚か、如何にしてその事と笑いが結びつくのかすら、さっぱり理解出来なかった。
かくして私は、院長の毎日毎晩仰せられる“ダジャレ”に対し、愛想笑いしか浮かべる事が出来ない。
だが、賢明にして明察神のごとき院長は、そんな私の真意をお見抜きになり、そして私に仰るのだ。
「マルチェロや、ダジャレで笑えないようなかたーい心ではいかんよ。人生も人当たりも、も少し柔らかくせんと、のう。ほれ、にっこり笑ってみい。では一つ。
『須磨の住民は、いっつも笑顔』
なぜなら“須磨”“居る”で“スマイル”じゃから…」
その時、うっかり私は“須磨”という地名は、どこかで聞いた事がある。確か、外つ国の傑作文学に…などと考えてしまい、すぐさま正気に返ったときには、院長が、哀しげなお顔で私を見上げていらっしゃった。
「今のはつまらんかったかのう…」
「い、いえ、院長。大変面白うございます。」
院長はなおも哀しそうな顔をなさりながら、
「マルチェロの顔を思わず綻ばせるようなダジャレを言うのが、ワシの生涯最後の、そして最大の課題かのう…」
と呟かれたまま、行ってしまわれた。
院長の“ダジャレ”の深遠なる真理を会得することが、私にとっても生涯最大の課題となるかもしれない。
「本当にすいません、お耳汚しを…」
私がついつい、“ダジャレについて”思いを馳せてしまったので、私が気分を害したとでも思ったのか、彼は申しわけなさそうに謝罪の言葉を口にした。
「いえ、そのようなことはないのです。え、と…サーベルト殿、確かに図書館には院長の御著書もありますが、そのほかにも、魔法書もあれば、武具についての本もありますよ。」
私も慌てて取り繕う。
「そうですか?では、お言葉に甘えまして。」
そして私は彼を、図書館へといざなった。
私は、彼が魔法書よりも武具の書に興味をもっているらしい事に気付いた。
「サーベルト殿は、剣をお好みになるのですか?」
「え?はい…こちらの聖堂騎士の方のようなレイピアではありませんが。」
そういえば、従者が持っていた剣は、我がマイエラの聖堂騎士たちのような細身の剣ではなく、幅広の、戦士の用いるような剣だった。
「では腕前の方も、さぞや…」
「いえ、そんな。僕なんかまだまだです。」
彼は、良家の育ちに相応しい、品のよい謙遜を示した。
「ですが、アルバート家は確か、大魔術師リーザスのひく御家系でしたね。だとすると、サーベルト殿は、剣も魔法もどちらもご堪能であらせられる…」
「そんな…確かに魔法の嗜みもありますが、僕にはあまり、魔法の才はないようです…大魔術師リーザスの血は、妹の方にいってしまったようですから。」
彼はそう言って、付け加えた。
「尤も、そもそもお転婆な子ですから、あんまり魔法の腕を上げすぎるのも怖いのですけどね。」
妹が可愛くて堪らぬ口調。
私は微細な不快さを心中に感じ、話題を変えた。
「“まだまだ”という事は、“これから伸びる”ということですね。」
「ええ、そう有りたいと思っています。」
謙遜しながらも、少年らしい純粋な自負の念が、そこには感じられた。
「あの…」
彼が何か言いかけたところで、食事時間を告げる鐘が鳴らされた。
「食事の時間のようです…ところで、今何か…」
「いえ、特に…」
「そうですか。ではサーベルト殿、粗末なものではありますが、どうぞ。」
本来ならば沈黙を守るべき修道院の食事であるが、彼は俗人であり、また別室を用意していたこともあって、彼はオディロ院長と和やかに談笑しながら、修道院としては来客用であるが、彼のような名門の師弟には粗末であろう食事を、さも美味そうに食していた。
「ふむ、羊肉じゃのう。サーベルトよ、羊の料理は、急いで食べずとも良いのじゃぞ。」
「何故ですか?」
「なにせ、羊肉はマトンというからのう。
『マトンは待っとんでー』
という訳じゃ。」
私が、今の院長のご発言の意味を思考している間に、院長と彼は、互いに愉快そうに笑いさざめいていた。
「オディロ院長は、本当に面白い方ですね。」
なぜ彼は、今のダジャレを瞬時に理解し、そして笑うことが出来るのだ?
「でも、リーザス村にもダジャレが面白いおじいさんがいるんですよ。」
「おお、それは素晴らしいのう。是非、会いたいもんじゃ。どーも修道院という所は、辛気くさくてのう。ダジャレを理解してくれる者があんまりおらんのじゃ。」
「大変なのですね、修道院長という重責ある地位は。」
「そうじゃのう…ワシのダジャレを心から理解してくれる我が友は、さらに重たい地位におるしのう…という訳で、ぜひぜひそのじいさんをここに連れてきておくれ。」
「はい、次に来ます時は是非。そのおじいさんも、マイエラ修道院に巡礼に行きたいと常々言っていますから、きっと喜びますよ。」
彼が幼少の頃に面識が有るからか、院長は普段の貴族の子弟の来訪よりも饒舌で、そして機嫌が良さそうであられた。
「して、サーベルトよ。そのじいさんのダジャレスキルはどんなものかね?聞いておかんと、対策が立てられん。」
「なんで対策が必要なんですか?」
「うむ、それじゃよ。ダジャレというのは、なにせ神聖なものじゃからのう。」
そうか、ダジャレは神聖なものであったのか。
「ダジャレを弄ぶだけなら良いのじゃが、真の達人と相対峙する時は、斎戒沐浴してのう…」
そのような秘蹟級の配慮が必要であったとは初耳だ。
「そして、荘厳な気持ちで対峙して、そして最低でも夜を徹して、真の作法では三日三晩はブッ通しでダジャレ討議をせねばならんのじゃ…」
そんな他流試合のような作法があるとは、寡聞にして知らなかった。
「あははははは、ホントに面白い事を。院長がこんなに愉快な方とは存じませんでした。」
満面の笑みを浮かべて笑い出す彼。
「ほっほっほ、何を言うか、サーベルト。昔会うた時も、ワシのダジャレに大笑いしていたではないか。」
そして、ご機嫌が殊の外芳しい院長。
「え?そうですか?」
「そうじゃそうじゃ。じゃからワシはお前さんに別れ際に言うたのじゃ。
『サーベルトや。人のダジャレを聞いて笑っているばかりではいかん。大きくなったら、自分でも人を笑わせるようにならねばならんよ。』
そしたらお前さんは、神妙な顔つきで、
『うん、おじいちゃん。ぼくがんばる。』
と答えたのじゃ。さてサーベルトや、ダジャレの修練は積んだかの?」
「え…あんまり…ですが、約束を破ってはいけませんね。では僭越ながら、サーベルト・アルバート参りますっ!」
「おお、ぱちぱちぱち…」
「『控えい、控えい、この毒蛾のナイフが目に入らぬか。さっさと“どくが”良い。』」
「おお、なかなかやるのお。ではワシも。『何を言う、こちとら、鋼鉄の剣を持って…』」
「『何を言う、その鋼鉄の剣には』…」
「“刃が無え”!!」
オチ…であるらしきものを唱和して、楽しげに笑いさざめく二人を見ながら、私の心中には、決して楽しからぬ気持ちが沸き起こったという事実を、私は否定しない。
院長は存分にお笑いになると、彼に言った。
「おお、お前さんは本当に良い子じゃ。こんなに楽しませてもらったのに…此処はこんな辛気臭い修道院ですまんのう。お前さんのような若い者には、楽しいものなどなかろう。」
「いえそんな事はありません。マルチェロ副団長どのには、先ほども図書館に案内していただいて…こちらの図書館には、宗教書や神学のものばかりではなく、魔法書や武器武具の本といった、さまざまな蔵書があるのですね。大変勉強になりました。」
「そうかそうか、マルチェロや、ご苦労じゃったのう。」
院長のお言葉に、私はだまって会釈した。
なに、ただの仕事だ。院長に褒めていただくほどのことでもない。
「サーベルトや、他になにか見たいものや、したい事はあるかの?何でもお言い?」
院長のお言葉に、彼は僅かに躊躇したが、なにか決心したように口を開いた。
「ではオディロ院長、僭越ながらワガママを申し上げてもよろしいでしょうか?」
院長は不思議そうに問い返された。
「おお、そんなに改まってなんじゃね。あんまり困った事でなければ、聞こうぞ。」
彼は言った。
「マルチェロ副団長殿に、剣の試合を申し込む事をお許し願えませんか?」
私は黙って、院長のお顔を拝する。
院長は、その御目を何度かしばたたかせ、そしてゆっくり思慮すると、私を御覧になった。
「マルチェロや、どうだね?」
私は、お答えした。
「院長の御命令とあらば。」
「では、時間無制限の試合と致します。武器を飛ばされるか、膝をつくかしたらそれで敗北。もし危険だと院長がお認めになれば、即座に中止をいたします。両者、よろしいですね?」
私は部下から刃引きの…つまり先を丸めて殺傷能力を落としたレイピアを受け取った。
対して彼も、従者から、刃引きの鋼の剣を受け取る。
そんなものを準備させている以上、最初からこの試合が目的であったようだ。
従者たちに親しげに話しかけ、そして従者たちからも敬愛と尊敬の念を持って接されている彼。
おそらく、領地であるリーザス村の民とも、そのように接し、接されているのであろう。
私は心中に、何か不快なものを感じた。
「では、よろしいですか、マルチェロどの。」
よく訓練された構えをとる彼に対し、私もレイピアの切っ先を向け、一礼した。
確かに良い動きだった。
良い師を持ち、そして日々地道な訓練を積んだのだろう。
彼の腕は、彼のような年にしては、相当高度なレベルに達していた。
動きも柔軟であり、見た目よりも膂力もある。
スピードも悪くない。
反応の俊敏さも見事だ。
成程、大変良い。
“良家のご子息の嗜みとして”は。
私は“適当にあしらい”ながら、程よい切り上げ時をうかがっていた。
わざわざこのマイエラまでやって来て、確かに当主交代の報告が主たる目的とはいえ、私に試合を申し込もうというのだ。それなりの自信があっての所業だろう。そして、彼はここへの大口寄付者であり、機嫌を損ねるのは得策ではない。
いっそ負けてやっても良いのだが、負けられて“本当に勝てた”と素直に信じるほどの馬鹿でもなさそうだ。“手を抜かれた”と新当主に思われては、後々のアルバート家との関係からしてよろしくない。
そこで私は、“なかなか善戦した”という形式で彼を負かすことにし、
「いやあ、お若いのになかなかのお手前で。これからのご成長が楽しみです。」
との言葉を餞別につけ、気分良く帰って頂くことにした。
さて、そろそろいいかな。
私とて多忙の身、いつまでも彼に関ずらわっている訳にもいかない。
私は、騎士団で教授される剣の型から、実戦向けの型に、そろりと移行させた。
動きが不規則になる分、お稽古剣法では捌ききれなくなるだろう。
案の定、対応が怪しくなるのを確かめて、私は止めの一撃をいれた。
“善戦”に見えるよう、大きなケガにならないギリギリの程度を見計らった一撃を。
鋼の音が響いた。
私のレイピアの切っ先は、払われ、彼の剣が逆に私への薙ぎ払いを放っていた。
とっさに柄で受けると、強い力での鍔競り合いになり、しかも彼は容易には退かなかった。
おかしい。
私はそこまで生ぬるい攻撃は仕掛けなかった筈だが。
私が不審そうな面持ちになったのを認めたのだろう。
彼が、真剣な表情のまま、私に言葉を発した。
「未熟者の僕に、手加減いただいていたことは感謝します。」
周囲には聞こえないような小声だが、裂帛の気合のせいか、私の耳には強く響いた。
私が視線を合わせると、彼はその青い瞳に、いっそ怒りに近いような色を滲ませた。
「ですが、マルチェロどの。僕だって、リーザス村の外に巣食う魔物ども相手に実戦も積んでいます。」
私は、私の内心を読まれたようで、非常に不快になった。
おそらく、私の瞳にも、そんな負の感情が浮かび、そして眼光が鋭くなったのだろう。
そもそも、それほど目つきの温和な方ではないことは自覚している。
彼は、それを見据えるようにして、小声ながら叫ぶように言った。
「手加減無用、本気で来て下さいっ!!」
「…良かろう…」
はからずも私は、そう口にしていた。
もっとも、彼がそれを聞くことが出来たかは分からない。
なぜならば、その言葉と同時に私は、突きを彼の喉笛めがけて放っていたからだ。
小さなざわめきが私の耳に入るが、それは私には雑音にしか聞こえなかった。
いくら刃引きとはいえ、そもそもレイピアの突きがまともに入れば、喉笛に穴くらい開いて不思議はない。
不思議はないが…まあ、ここは修道院だ。神聖治癒魔法を使える僧侶などたくさんいる。
死ぬことはあるまい。
やや驚いた面持ちで、だが彼はそれを避けると、即座に攻撃に転じた。
先ほどまでの規則的な動きは影を潜め、いっそやや無頼とも言える、破格の動きが加わっている。
私が攻撃を避けると同時に、俊敏に再び繰り出される攻撃。
その攻撃を放つ彼の表情には、少年らしい、自己の力を純粋に信じてやまない、いっそ傲慢とも評せるものが感じられた。
「成程…」
“様子を窺っていた”のは、私だけではないと言いたいのか。
ああ、成程…
「痴れた事をっ!!」
私は即座に間合いを詰めると、斬撃から反撃に転じた。
魔物との戦闘経験…成程、確かにあるようだが、それでもリーザス村近辺のあばれうしどり程度のしろものと、はしくれとはいえドラゴンの眷属を名乗る魔物が徘徊するこのマイエラ周辺とでは、魔物の強さが違う。
マイエラ修道院副団長の地位をこの腕で勝ち取ってきた私に、領主の嫡子如きが、“手加減”しようなど!!
周囲のざわめきはますます大きくなるが、私は気にしない。
彼は、私の攻撃を防いでいたが、それでも彼の表情には疲労の蓄積が現れ始めていた。
もう良かろう、私は思い、今度こそ止めになるはずの一撃を見舞おうと、レイピアをひいた…
私は右頬に、痛い、とも熱い、ともつかぬ感触を感じ、とっさに攻撃のための動作を止めて、それ、を払った。
赤い、火球、
私の視覚はそれを認め、そして直後に繰り出された、鋼の重い軌跡も認めた。
反撃に、殺気がこもった事は否定しない。
「止めいっ!!」
院長の言葉が、私の意識を引き戻した。
「サーベルト坊ちゃま!!」
おそらく、長年アルバート家に奉公しているのであろう老僕が、泣き出しそうな面持ちで駆け寄った。
「…大丈夫…心配はいらないよ。」
彼も、意識をこちらに戻したようで、温和で人好きのする笑みを、その顔に取り戻した。
「副団長殿、大丈夫ですか?」
部下の言葉に、私も反射的に頷くが、
「ですが、お顔に火傷が…」
私はそう言われて初めて、先ほど私の視界が認めたのが、本物の火球呪文であると気付いた。
「いくら刃引きの武器での試合とはいえ…なんと危険な攻撃をっ!!」
若い主人のために、血相を変えて怒る老僕。
「それはこちらの台詞だ。神聖な剣の試合に、魔法を使うなどっ!」
部下が、同じく血相を変えて怒鳴り返した。
「もうおやめ。」
怒鳴りあいは続くかと思われたが、院長が静かにそう仰ると、意に打たれて両者は口を閉ざした。
「マルチェロや、いくら真剣勝負とはいえ、少々やりすぎたね。」
院長のお言葉に、私は殊勝な面持ちで答えた。
「サーベルト殿の力量が、余りに並外れたものでありました故…」
まあ、無難な発言であったと思う。
対して、彼も、おそらく大部分の者からは好感をもって迎えられるべき、真摯な面持ちで返答した。
「まことに申し訳ありません。副団長どのが、あまりに真剣にお相手下さったので、ついつい負けず嫌いの虫が…」
「坊ちゃま、だからと言って…」
ようやく落ち着いたのか、老僕も若い主に向かって苦言を述べる。
申し訳なさそうな顔はしているが、かと言ってそれほど悪びれた様子ではない。
成程、確かに実戦経験は積んでいるようだ。
実際の戦闘には、“なんでもあり”の世界だ。
剣にこだわる必要もなければ、魔法を使われた敵が「卑怯者」と罵ってくる心配もない。
顔というのが、攻撃を受けてもっとも怯む場所である以上、そこに攻撃をしかけて形勢を逆転させることは、戦術としてはむしろ当然な判断と言えよう。
貴公子然とした面持ちをしているが、その手の“思考の柔軟さ”も“打たれ強さ”も兼ね備えているという訳か、成程。
恐らく私は、そんな彼に好意を持つべきであったのだ、が。
「あの、マルチェロどの。お顔の火傷を…」
老僕に命じて薬草を取りださせかける彼に謝意だけを示し、私は、それほどではないが、鈍い痛みを発する頬に回復呪文をかけた。
「すいません…大事なお顔に…」
これは、心底申し訳なさそうに詫びる彼に、私は答える。
「ご心配なく。私は聖堂騎士です、顔に傷が残ったからと言って、嫁ぎ先の心配をせねばならない身でもない…」
つまらぬ戯言を口にしているうちに痛みはひき、彼と周囲の人々の表情からして、傷も残らなかったらしい。
「いやしかし、お若いのに素晴らしいお手前でした。これからのご成長が楽しみです。」
私は、やや途中経過が予想外であったとはいえ、予定調和内にものごとをおさめるべく、当初の予定通りにそう言って、この場を締めた。
「本当に楽しい一日でした。」
馬上から彼はそう私に声をかける。
「楽しんでいただけて光栄です。」
私も馬上から返答する。
マイエラから船着場への短い見送りの路途。
期待通り、多額の寄付を得られたということから、私の気分はもっと良くなっていてもいい筈だった。
「でも、妹には話せませんね。きっと
『だったらなんであたしも連れてってくんなかったの!!』
って怒り出しますから…」
そんな私の気も知らず、彼は“僕の妹”について私に語る。
「本当に、お転婆で困った妹なんです。僕のやる事は一緒にやりたがるし、僕の行くところはどこへも一緒に行きたがるし…母は今から、妹の嫁ぎ先を心配していますよ。」
彼の表情には“妹”への、深い深い愛情がありありと感じられた。
「よほど愛らしいお嬢さんなのですね、妹君は。」
「え、ええ。黙って座っていれば、“愛らしい”子だと思いますよ…でも、動いていた方が、あの子らしいんですけどね。」
「御兄妹仲がよくて、本当に宜しいことですね。」
私は、不快な心中の苦さを、儀礼上の言葉という口当たりのよい甘さで包んで、彼に贈った。
彼は、私の瞳を覗き込んだ。
「マルチェロどのには、ごきょうだいは?」
「私は出家の身です。家族など…」
彼は、ほんの半瞬ばかり思考すると、言った。
「貴方みたいな素敵なお兄さんがいたら、さぞや素晴らしいことでしょうね。」
私は彼の顔を見た。
彼は、とても笑顔だった。
私は、儀礼上、微笑み返したが、あまりに胃の腑が不快であったので、返答してやる気にもなれなかった。
船着場を照らす夕日は、船に乗り込もうとする彼も照らし、彼の黄金の髪は、柔らかに赤く輝いた。
「本当にお世話になりました。」
そう口にする彼を、女たちはうっとりと眺め、男たちは若きアルバート家当主への尊敬をこめて見つめる。
万人に愛される、全てにおいて優れた“女神の愛し子”であろう、彼。
「どうぞまたお越しください。」
「ええぜひ。今度は村のおじいさんも一緒に…それと、もっともっと僕は剣の腕を磨いて来ます。ダジャレでも、試合でも、そちらには負けませんよ。」
少年らしく破顔する彼に、私は社交辞令として微笑み返し、そして付け加えた。
「女神が貴方と共にいらっしゃいますように。」
“女神の御加護を”とは、何故か私は口にしなかった。
「やれやれ、サーベルトの坊やも立派になったものじゃ。」
院長はおっしゃる。
「父君はお若いのにお気の毒なことであったが、あの子なら立派にやっていくじゃろう。」
院長は、心強気におっしゃる。
「本当に、小さい頃からお利巧な坊やであったが、まあまあ、剣の腕まで上げて…ちょいと聞かん気の強さもあるようじゃが、まあ、若いもんはアレくらいでなくてはの。マルチェロや、あの子は港の者達とは仲良くしていたかね。」
院長の御下問に、私は出来るだけ客観的に返答する。
「はい、新当主殿は、港の人間たちからの敬愛の念を受けていらっしゃるようでした。」
「そうかそうか、それは良かったのう…ああ、そういえばちょっと心配じゃのう。あの子は顔立ちが綺麗じゃから、若い娘がほってはおかんじゃろう。それでは、嫁選びが大変じゃろうて。」
院長は眼を細められて、彼を思う。
私は口を開く。
「今ひとつ、心配なことがあります。」
「おお、なんじゃね、マルチェロや。」
不思議そうに問い返される院長に、私は答える。
「彼の青年は、あまりに女神に愛されすぎていますから…女神がいち早く、お手元にお呼びなさるのではないかと。」
院長は、お困りになられたような、窘めるような、咎めるような、お顔をなさった。
けれども私は、わずかに胸が、暗くも爽快になるような感覚を覚えたのだった。
終
2007/2/7
一言感想「副団長殿、大人げないっス」
マルチェロ兄さんは、一体サーベルトのなにがそんなに気に入らなかったのでしょうか?
@ ご両親に愛されて育ったボンボンだったから
A 領主の正当な跡継ぎとして生まれ、家督を継いだから
B そのくせに、知勇兼備で才色兼備だったから
C だったらイヤな人間ならいいのに、ムカつくくらい好青年だったから
D きょうだい仲が、とっても良いから。
E 以上の理由から、自分的に激しくムカつく人間なのに、向こうはどうやらこっちに強い好意を抱いているらしいから
F オディロ院長といやに気が合うから
G 自分が逆立ちしても出来ない、ダジャレを理解し、使用することが出来るから
さて、どれでしょう?
サーベルトは、なにせあのアローザ奥様とゼシカの仲を取り持ち、しかも村人全員から好かれ、それでもって若いのにアルバート家を取り仕切っていた人だから、やっぱとびきり有能で、そして人間的な柔軟性も兼ね備えた、相当りっぱな人だったんじゃないかと思います。
で、ちっちゃい頃から褒め称えられてきたけど、それはそれとして、年上のもっとスゴイ人(マルチェロ)に憧れを抱けるくらいの可愛らしさもあったのではないかと。で、念願かなって“とびきり有能な副団長どの”にお会いすることが出来けど、向こうはなんかよそよそしい…サーベルトとしては、
「僕、なんか変な事言ったかなあ。」
ってカンジだったと思います。いや、君は全然悪くないです。
そして、一番書きたかった試合シーンですが、ここだけサーベルトが好戦的なのは、ゼシカの回想シーンで
「僕の魔法の力はたいした事がない。リーザスの血はお前の方に受け継がれたんだろう。剣の方はまだまだなんとかなるかもしれないけど…」
と言っていた事を受けて、謙虚な好青年(らしき)彼がこう言うんだから、剣の腕には相当自負があったんじゃないかと思ったからです。そりゃ、“人類としては多分ぶっちぎりの剣士”マルチェロと手合わせしてみたいくらいは思うよな、と。
ドルマゲス相手には、剣を抜くことすら出来ませんでしたが、アレは彼にとっては非常に残念な末期であったと思います。ドルっち…せめて戦わせてあげなよ。
しかしまあ、知らないとはいえマルチェロの顔に傷をつけて、よくぞ生きて修道院から出れたものです。
うっかり傷が残ったりしたら、聖堂騎士総出でアルバート家に押しかけられかねません。
んでもって
「貴様、我らがマルチェロ副団長殿の“花のかんばせ”に傷をつけたのは、
『嫁入り前のマルチェロどののお顔に傷をつけてしまって…こうなっては男らしく、僕が責任をとってマルチェロどのと結婚します。オディロ院長、マルチェロどのを僕に下さいっ!!』
とオディロ院長に申し出る口実ではあるまいなっ!?」
と、詰問されたことでしょう。よかったね、サーベルト兄さん?
ちなみに、この話は書き上げるのに十日もかかりました。十日もかかった理由は一つ、“ダジャレが思いつかなかったから”!!
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