…ある墓守りがものがたる。
あの兄さんときたら大したもんだ。
おやどうしたい?
そんな顔をして。
姐さん、まあ寒いのにこんな墓場に。
はあ、はあ、勢い込まれても困るねえ。
この墓に人を埋めたのは、おやじの代の話だからねえ。
まだまだちんまい頃でねえ、さて、この墓の持ち主の名前なんて覚えてないよ。
まだ若い女だったねえ、それだけしか覚えていないよ。
ほうら、この墓をご覧、名前なんて読めやしないだろう?
ええ?この墓の名は、わざと見えなくされてるんじゃないかって?
はあ、最近、耳が遠くなってねえ。
はあ、はあ、あの兄さんの名が聞きたい。
さあてねえ、何と言うのかねえ。
名乗られたことなんてないからねえ。
はあ、はあ、そんなに語気荒くされてもねえ。
何せ昔の話だからねえ。
はあ、はあ、まあ覚えている話はするよ。
さっきもそう言ったじゃないか。
だから言ったのさ。
あの兄さんときたら大したもんだ。
おやじから墓守を代替わりされる前から、あの兄さんは来ていたね。
そうだねえ、毎年毎年、決まった日の夜にさ。
何かねえ、この墓の女の息子なんだろうね。
はあ、はあ、何度聞かれても、名前なんて知らないさ。
墓守の仕事は、死者の眠りを守ること。
死ぬ前の人間は管轄外なんでね。
はあ、はあ、あの兄さんの話だったね。
あの兄さんは来ていたよ。
はあ、はあ、背の高い兄さんだったさ。
フードの中から零れた髪の色は黒。
姐さんと同じ色だったかって?
はあ、はあ、黒髪ってのはみんな同じ色じゃないかね?
瞳の色?
姐さんと同じ色かって?
はあ、はあ、そうだねえ「翡翠色」って言えば、そうなんだろうね。
いいや、いいや、でも違う。
あの兄さんの瞳の色はまた違うね。
上手く言葉にはできないけど、違うね。
まあだから、あの兄さんは大したもんなんだろうけどね。
あの兄さんは、いつもいつも、墓参りに来たかと思ったら、墓の前に跪きもせずに、墓を見下ろすんだ。
普通の人間なら、祈りくらい捧げそうなもんなのにねえ。
死んだ女に話しかけすらせずに、ただ黙ってそうしてるんだ。
でもねえ、花だけは手向けてあるのさ。
青い花。
毎回毎回、青い花。
きっと死んだ女は、青い花が好きだったんだろうねえ。
ともかく、絶対に他の人間と会わない時間にしかあの兄さんは来なかったし、こちらが見回りの最中に近づこうもんなら、
ちらっ
と鋭くこっちを見るんだ。
あの翡翠色の瞳でさ。
まったく大したもんだよ、あの瞳だけで分かるね。
それからすばやく下を向いて、何でもないというふうに、いままでどおりに黙って墓を見下ろすんだ。
姐さん、何度も言うけど、あの兄さんの名など知らんよ。
だいたいだねえ、名も知らん男を探してどうするっていうんだい。
しかも、姐さんのいい人だってんならまだしも、どうやら話を聞くに、姐さんのじいさま、ばあさま世代の男じゃないかい。
まったく何が面白いんだろうねえ。
面白いと言えば、あの兄さんに一度聞いたことがあるよ。此処はそんなには面白いかとね。
返事はもちろん否さ。
でもそんなに気になるんなら、ずうっとこっちに居たらどうだと聞いたみたんだがね。
こちらももちろん返事は否さ。
あんまり素っ気ないから、「そうか。それではそうしよう。そういうことにしようじゃないか。」って言ってやったさ。
そしたらねえ、バカにされたと思ったのか、すごい顔で睨まれたよ。
此処を面白いと思える人の子なら良かったのにねえ。
そしてずうっと此処にいられる人の子なら良かったのにねえ。
まあ、そうでなかったから、見込まれたのさ。
それというのもあの兄さんは、頭がよくてえらいためだ。
あの兄さんときたら大したもんさ。
あの兄さんかね、あの兄さんは、居なくなったよ。
はあ、はあ、そう慌てずに。
昨日今日の話じゃないさ。
姐さんのかあさんが生まれる、もっと前の話だと思うね。
そうそう、あの頃は大変だった。
空が真っ赤になってねえ。
世界が終わるんじゃないかと思ったよ。
なんでもマイエラの聖堂騎士さまたちが、たくさん死んだって話だった。
なんで死んだのだったかねえ。
きっと、悪い奴らと戦って死んだんだろうねえ。
はあ、はあ、あの兄さんの話かね。
あの兄さんは、空が赤く無くなってから、また来たよ。
あれだけたくさんの聖堂騎士さまが死んだのに、あの兄さんは生きていたんだ、たいしたもんさ。
おや、言っていなかったかね、あの兄さんも聖堂騎士さまだったのさ。
マントで隠したあの制服が、ちらと見えた時があってね。
そうさ、あの兄さんは来たよ。
その時はもう、聖堂騎士の制服は着てなかったね。
その時の兄さんの翡翠色の瞳はねえ、そうさ、姐さんとは比べ物にならないさ。
はあ、はあ、人の子にあんな目が出来るものかってねえ。
人の子にあんな目が出来るのだとしたら、その人の子は聖者さまくらいじゃないかねえ。
ふつうの人の子にゃ耐えられないくらいの罪の意識と、
それを受けても正気を失うことが出来ない、強靭な精神力のある、
聖者さま、さ。
それでもね、女の墓に来た時は、まだその瞳に迷いがあったのさ。
あの兄さんは、いつもみたいに墓を見下ろさず、墓に跪いて祈りを捧げた。
そんなことをしたのは初めてさ、驚いたね。
じいっと目を閉じてそうしてね。
眼をぱっちりとあいたときは、あの翡翠色が「もう何もかも分かった」って色になってた。
そして、これも初めてさ、女の墓に語りかけたのは。
はあ、はあ、そうそう勢い込むのはおやめ。
そんな、何を語ったか聞きたいって言われてもねえ。
なにせはるか昔の事だし、もうこのばあさんも耄碌してきてるからねえ。
え、こちとらはいくつかってお問いかい?
実は、女神さまと同い年なんだよ。
はあ、はあ、面白くないかね。
そうか、そうか、じゃあ覚えてるだけのことは教えてあげるよ。
あの兄さんは言ったよ。
貴女は「あくまの子」を産んだが、「あくまの子」は更なる悪を生んだ。
はあ、はあ、姐さんの疑問はもっともだがねえ、何せ聞いたままを話してるだけだからねえ。
だが、悪は形を持った悪として生みだされたことで、悪として滅ぼされた。
だか姐さん、こちとらにはあの兄さんの言った意味なんて分かりはしないよ。
その行為が、意図はどうあれ、悪を滅ぼす起因となったなら、それは聖なる行いか、そして行った者は聖者か。
はあ、はあ、今度は黙るかね、こちらも忙しい姐さんだ。
その答えはもはや女神以外には私しか知るまい。
そうだねえ、それが聖者の苦しみってものさ。耐え切れる者は、耐え切れるが故に苦しむことになる。
だからこそもはや私の名を呼ぶ者は要らぬ。私には、もはや、名など要らぬのだ。剥奪されるまでもない。
そうしてねえ、あの兄さんは首飾りを墓に供えたのさ。
はあ、はあ、分かってるよ、その首飾りはどうしたのかって話だろう?
それがねえ、しばらくそのままだったんだけど、気付いたら無くなってたのさ。
いやあ、墓守としては失態なんだが、あんなボロっちい首飾りを持ってくやつの気が知れなくてねえ。
はあ、はあ、まあ時効だから許しておくれな。
続きを話してあげるからね。
あの兄さんは、短剣がなんかで、この墓の女の名を削り取った。
いやいや、止める間もない瞬時の出来事でね。
はあ、はあ、怒ろうとは思ったんだけどね、それがね。
母よ、結局、貴女が正しかったのかもしれん。
あの兄さんはさびしくわらってだね、そして風みたいに消えちまったのさ。
はあ、はあ、大げさな言い方だって言うかね。
まあ、信じる信じないは勝手だよ。
こちとらの話はこれで終いさ。
はあ、はあ、ご不満は承知の上さ。
こちとらは語り部でなく、墓守風情だからね。
はあ、はあ、あの兄さんは最後にどっちの方向へ行ったかって?
しつこい姐さんだねえ、だから、風みたいに消えちまったって言ってるじゃないか。
風さ、風。
自分の役目を終えた聖者さまは、死ぬんじゃない、消えちまうんだ。
まったく、大したもんだねえ、あの兄さんは。
はあ、はあ、聖者って何のことか?
はあ、はあ、そりゃ聖者さまは聖者さまだよ。
はあ、はあ、あんた教会に参ったことがないのかね。
はあ、はあ、もういいって、そうかい。
ああ、風が出て来たよ。
はあ、はあ、もうそれ以来あの兄さんは来ないのかって?
はあ、はあ、来るとも言えるし…
おやおや、そんなに怖い顔をしないでおくれよ。
いやねえ、毎年、決まった日の夜にさ、気付かないうちに花が供えてあるんだよ。
はあ、はあ、その日を教えろって。
さては待ち伏せする気だね、無駄だよ、こちとらも何回も見てやろうとしたけど、いつもいつも、気付いたらあるんだ。
墓の前でじいっと待ってても同じさ。
ふと目をよそへやったその瞬間、ふと瞬きしたそのとき、花はもう供えられているんだから。
はあ、はあ、自分なら気付く。
はあ、はあ、ご苦労様なことで。
ああ、風が本当に強くなってきたね。
ほんとうに、あの兄さんときたら大したもんさ。
本当にね、人の子とは思えないほど、強い男だ。
マルチェロという名も何も奪われたっていうのにね。
はあ、はあ、姐さん、何をいったかね。
はあ、はあ、この耄碌ばあさんは、耳が遠くてね。
ああ、ああ、そうだった。あれ以来、供えられる花の色は、青でなくなったよ。
はあ、はあ、そんなことではなくて、今言ったことをもう一度言えって?
はあ、はあ、花の色が青…
はあ、そうでない?
はあ、はあ、何をいったかねえ、最近、すぐ前に何をしたか思い出せなくてねえ。
おお、強い風だ。
飛ばされちまう。
姐さん、そんなマント着てたって寒いだろう。
おやおや、マントごと飛ばされちまうよ、中へお入り。
はあ、はあ、いいから今言った、名前をもう一度?
おや姐さん、あんたも聖堂騎士だね。
終
2010/ 4/1
一言要約「?」
と、まあこれでシメにいたします。マルチェロがどうとかいう話は、これ以降のことは書く事はありません(断言した)
この墓守の老女の話のどこがウソなのか、それとも全部ウソなのか、それとも…ということは、まあご想像下さい。
『羅生門』のごとく「マルチェロの行方は、誰も知らない」という一文で締まるかなと思ってたら、なんか違う風になりました。