愛情と労りと優しさと




マルチェロ失踪後の、サヴェッラでの聖地ゴルド崩壊と暗黒神復活についての宗教裁判話で、しかも語りがトマーゾ。
ここまで言ったら分かるはずです。
「また、トマーゾが可哀相な話なの!?もういい加減にしてあげてよっ!!」
はい、いい加減にします。つまり、このシリーズにおいての、彼の最後の出番となるお話です。

思い起こせば、彼は本当に出てくるたびに可哀相だったなあ…(しみじみ)






















痛い、と呻けば良いのだろうか。

だが、長年の鍛錬の結果、俺の肉体はこの程度の痛苦は特に堪えはしないのだ。


尤も、痛くないと言うわけにもいかず、ただ我慢できるというに過ぎないのだが。





俺を鞭打っていた拷問係は、特に堪えた様子も見せない俺に業を煮やしたのか、その手を止めた。

「認めんのか!?」


俺は答える。

「認めない。」



拷問係は、側に立つ僧侶と何やら囁き交わした後、


「今日はこれで勘弁してやるが、次はこんなものでは済まさないからな。」

と陳腐な言葉を吐き、俺の手かせを外した。



おそらく、法王庁の上の方で、俺への対応になんらかの指示があるのだろう。

でなければ、こんなものでは済まされまい。





牢に戻された俺は、ホイミを唱え、鞭打たれた傷を癒す。

癒しの奇跡は、俺の裂けた皮膚をたちどころに癒す。


”奇跡”

そう、そういえばこの、ほんの初歩の回復呪文も”小さな奇跡”なのだと諭されたものだ。



差し出される粗末な食事。

食欲はないが、出された食事を残すことも出来ない。

俺はぱさぱさのパンを千切り、水で喉の奥に押し込んだ。










「暇だな…」

暗くも湿っぽい牢獄の中、俺は呟く。


思えば、聖堂騎士になってからこの方、無為の時間などほとんどなかった。

俺は常に働いていた…マルチェロと同じく。



それでも、何もすることがない時間はあった。

でも、その時俺は、”女神に祈る”という時間の使い方が有った。



今、俺は、女神に祈る気になれない。

だから、ただぼんやりと思い返すことしか出来ない。










聖地ゴルドは崩壊し、暗黒神は復活し、そして、マルチェロは姿を消した。

人は”逃げた”と言う。



でも俺は、彼が逃げたとは思わない。

彼は、逃げるような男ではない。

それは、長い付き合いの俺が、良く知っていることだ。



だが、聖地ゴルド崩壊や、暗黒神復活や、前法王の弑逆に対して、誰かの罪を問わねばならない事に変わりは無く、そして、問われるべきマルチェロの姿は無い。

法王庁は、そして奇跡のように救出され、真の女神の僕となったらしいニノ大司教…いや、もう法王となっているからそう呼ぼう…は、マルチェロの罪を鳴らし、そして裁くことに異常なほどに執着した。





だから俺は、法王庁に出頭した。

聖堂騎士副団長として。










彼らの主張は明快だった。

マルチェロを裁きたいのだ。



マルチェロの罪を書き出した一覧表は、笑いたくなるほど長々しかった。

先の法王弑逆の罪だけで彼を火刑に処すには十分だろうに、彼が立身するのに買った恨みの分だけ、いや、それは彼への恐怖心の裏返しの分だけであったのかもしれない、その表は長く、彼の犯した罪も多かった。



それを認めるのに、吝かではない。

全てが彼の罪ではなかったが、少なくともマルチェロはそのほとんどに関与していたのは事実であるから。

ああ、マルチェロは本当に悪人だった。

多くの罪を犯していた、悪人だった。





彼を火刑に処す

それが彼の行動に対して下された罰だったならば、俺は反対しはしなかったろう。

マルチェロはそれだけのことはした。

いや事実、マルチェロは捕縛され次第、密かに火刑に処されるとはされていた。



密か?

そう、”密か”に。



大罪人ならば、大々的に公開処刑にすれば良いのに、”密か”に。

そう、但し書きがついたのには理由があった。

彼に下される一番の罰は、それではなかった。





記録抹消刑

マルチェロが法王に即位したことも

マイエラ修道院長に就任したことも

聖堂騎士団長に就任したことも

聖堂騎士となったことも

マルチェロという男がこの世に存在したことも



すべての記録から抹消し、彼の名を呼ぶことを禁じる刑。





法王庁はマルチェロへの罰をそう決め、副団長であった、つまり、彼の所業をもっとも良く知る人間である俺に、マルチェロの罪の全てを認めるよう迫った。

そうすれば、俺が犯した罪はすべて赦そうと、破格の条件をつけて。


俺は答えた。





「否。」





そして俺はこうして、牢獄の中にいる。










公開斬首されても、文句の言えた筋合いではない俺が、まがりなりにも命を繋ぎ、そしてさほどの拷問にも遇わずにいられるのは、俺が”尊い血”の持ち主だからなのだろう。

貴族社会とはそういうものだ。


頑としてマルチェロの罪を認めない俺に、ニノ法王は相当苛立っているらしく、更に手酷い拷問にかけるつもりも十分にあると拷問係もにおわせてくる。

そうだろうな。

少なくとも、俺に課された拷問など、マルチェロが見たら鼻で笑うような甘いものに過ぎないだろうから。





拷問とはまた別に、俺を説得するべく、俺の家族たちが面会にも来た。

この間来たのは、俺のすぐ下の弟のアロドだった。





もう十五年も会っていない弟だったが、顔の大筋は変わっていなかった。

小柄な弟の姿を認めるや否や、俺は機先を制した。



「御足労頂き、恐縮です、フェデリチ伯爵閣下。」

その言葉をきくなり、アロドは母親に似て端正な面持ちを硬くした。


「お久しぶりです、トマーゾ兄上。だのに、また他人行儀な御挨拶で。」

「出家の身には、もはや家族はいないものと心得があります。」

俺のその言葉だけで十分だったろう。

そもそも上手くはいっていない仲であった弟は、態度を硬化させた。



そして俺は、それをしてやったりと思ったのだ。



弟の説得の言葉を聞き流しながら、俺はぼんやりと昔のことを考えた。


アロドと俺は”十ヶ月違い”の”同じ母親から生まれた兄弟”ということになっている。

有り得ない話ではないが、聞く者が聞けば、そこに何らかの胡散臭さを感じることは確かな素性。


そう、事実、俺とアロドは母親が違う。

本来ならば愛するべきではない人との間に子を為し、駆け落ちまでしでかした父と俺の実母はその仲を裂かれ、父はアロドの母と”家のために”すぐさま結婚させられた。

父に引き取られた俺は、事件を表ざたにしないためにアロドの母の子とされた。


だが、伯爵家の相続とかいう、貴族社会での大事が、俺と弟の間に罅を入れなかったはずがない。

年の割りにませていた弟は、母親違いの兄の俺が家督を継ぐのではないかと危惧し、俺にはいつも敵対した態度をとっていたのだ。



母親違いの俺には、彼と正面切って喧嘩をするだけの度胸が無かった。

ただ黙って、彼の刺々しい態度を受け止めていた。



そして、俺が聖堂騎士になるために家を出て十五年。

家督を継ぎ、伯爵となった今も、弟と俺の仲はあの時のまま。



「それほどまでして自分を説得なさる必要は無いでしょう、伯爵閣下。」

俺はなお、他人行儀に弟を呼ぶ。


「自分はもう、フェデリチの家とは無関係の身です。もちろん、貴方とも他人なのです。」

”他人”

その言葉に俺は、わずかばかり力を入れた。



アロドの顔が、紅潮した。

「そこまで…」

怒りに震えた声。


彼が何に怒っているのか、俺は考えないことにする。



「ならば知るものか、勝手に死ねっ!!」

激した少年のように叫ぶと、アロドは踵を返した。

お付きらしい者が慌てて後を追う足音が響き、そしてまた、牢内は静かになった。





「なんであんな言い方をしてしまったのだろうな…」

俺は自嘲する。


もっと他に言い方はあったはずなのだが、十五年ぶりに会った弟に、俺はあんな言い方しか出来なかった。



「マルチェロの事を、笑えんよ…」










マルチェロは、あの地方の領主の庶子だった。

そしてククールは、領主の正妻の嫡子だった。


騎士団の中でも古株なら、誰でも知っている事実だ。



嫡子のククールが生まれたことで、メイド腹であるマルチェロは家を追われ、マイエラ修道院に流れ着いた。

母親は早くに亡くなったらしい。

そして、流行り病で領主のその奥方が相次いで亡くなり、孤児となったククールもまた、マイエラ修道院に流れ着いた。



マルチェロが、ククールに対して負の感情を抱く気持ちは、誰だって理解は出来るだろう。



ただ、マルチェロのククールに対する接し方は、常人の理解を超えていた。

必要以上に虐待し、さもなければ無視した。

ククールも素行不良を繰り返した。

恐らくは、マルチェロにあえて自分の存在を見せ付けるために。



誰も面と向かって言いはしなかった。

オディロ院長ですら、ほとんど諫言はしなかったように思う。


だが、誰もが思っていた。

マルチェロは、やり過ぎだと。


彼が生家を追われ、辛酸を舐めた原因はククールにあるにしても、決して、ククールに責任があることではないのに、と。



俺もそう思っていた。

でも、口には出さなかった。

それでも、彼に親しみを感じた。





俺も内心では、理屈に出来ない憎しみを抱いていたのだから。

ぶつけようのない怒りを感じていたのだから。

だから俺は、マルチェロに親しみを感じたのだ。





オディロ院長の仇討ちにかこつけて、マルチェロはククールをついに修道院から追い出した。

誰も口には出さなかったが、順当な成り行きだと誰もが感じた。


”目障りだ”

マルチェロはそうククールに何度も言っていたのだから。

権力を握ったマルチェロが、それを実行に移すのは、当然とも言えた。



そしてマルチェロは、更なる権力を得るために、サヴェッラへの向かった。





マルチェロは、俺と同じ”悪魔の子”

生まれたことそれ自体に、正当性を認められない子。


マルチェロは、自らが”正しい”ためには、行動に移して、力を得て、他人からそれを認められる必要があったのだ。



俺もそうだ。

だが俺は、彼のように強くなかった。

だから彼に従い、彼に認められることで、自分の正当性を獲得しようとしたのだ。


だから俺は必死で働き、自らを高めようとした。

マルチェロが、寝る間も惜しんで働き、自らを高めようとしたのを、真似るように。










静かだ。

そして無為だ。



牢獄の中で、俺は何もする必要が無い。

我が身を閉じ込める鉄の檻がなくとも、俺はやはり何もしないだろう。

何故なら、俺にはもう働く必要も、自らを高める必要もないからだ。





何故なら、ここにはマルチェロはいない。










足音がする。

牢番がやって来る。


「客人だ。」

短い言葉。

俺は嫌な予感を得る。



ゆっくり、ゆっくりとした足音。

うっすら浮かぶ影は小さく、そして頼りない。



まだそれほどの年ではないはずだ。

俺が三十になったばかりだから、まだ五十にもなっていない。

だのに、老人のような足取りで、それは近づく。



喜びを湛えた顔も、それが与える印象は干からびた老人のようだ。

いや、昔からだ。

この人にとって、俺が生まれてからその後の時は、全て余生であったのだ。



「トマーゾ…」

名前を呼ばれることも、俺には嫌悪を感じさせるだけ。


それでも、弟に対するほど冷静にも対処できず、俺は口にする。





「父上…」





「トマーゾ。よく顔を見せておくれ。ああ、こんなにやつれて…」

やつれても何も、父も俺の顔を見るのは十五年ぶりだ。

差し出したくも無かったが、無理に手を握られる。


「可哀相に、本当に可哀相に…」

父は言う。


「こんなところに長い間閉じ込められていては身体に毒だよ、トマーゾ。早く出ておいで。ああ、聖堂騎士になどするのではなかったよ。」

「ですが、自分は聖堂騎士です。女神の僕として、剣を振るう生活を選びましたので。」

「それより前に、お前はわたしの息子じゃないか?」

「自分は出家の身です。世俗の家族とは縁は切れました。」

俺は会話をしながら苛々してきた。


だのに、父は言葉を止めない。


「みんな心配しているよ…アロドがお前を怒らせたようだね。あの子も本当はお前が心配なんだよ。生まれてからずっと一緒に育ってきている兄弟じゃないか。確かにあの子はお前につんけんした物言いをしていたが…」

「フェデリチ伯爵のお腹立ちは当然です。自分はあの方の地位を脅かす存在だったのですから。ですが、自分は女神の僕となることで、あの方との縁も切れました。」

「…母上もご心配だよ。」

「お伝えください。自分は貴女とは何の関係もない身だと。確かに、あの方の子だと認めては頂きましたが、これだけの不祥事を引き起こした身です。再び取り消してくだされば宜しい。さすれば、あの方のご実家にはご迷惑はかからないでしょう…残念ながら、貴方のフェデリチの家にはいくばくかの傷をつけてしまうこととなりましたが…」

「わたしはお前の身が心配なのだよ、トマーゾ。」

俺の苛立ちはいや増す。

俺はそれを押し隠すように、慇懃無礼でマルチェロそっくりな物言いで返す。


「それでも、出来るだけ傷のつかないようなさってください。それが自分にどのような悪影響を及ぼそうが、決して、恨みには思いません故。」

「フェデリチの家に傷がつこうが構うものか。わたしの息子よ、わたしは…」

「それ以上、言葉を飾って下さらなくても結構です。貴方にはフェデリチのお家が一番大事なのでしょう?」

俺の怒気は、もう爆発寸前だった。

だが、父は気付かない。



「わたしの一番は、お前だよ。可愛いトマーゾ…」

その言葉に、俺の中で何かが弾けた。





「俺を捨てた癖にっ!!」

俺の叫びは、牢中全てに響き渡り、


うわん

うわん

と反響した。





「よくも言えたものだなっ!!俺を捨てたくせにっ!!俺を家から放り出したくせにっ!!」

俺の剣幕に牢番が駆けつける。



父の顔が驚愕に硬直するが、俺は止まらない。



「あんたの一番は家だった。だから”悪魔の子”の俺ではなく、正嫡の子のアロドを選び、邪魔になった俺を家から追い出したのだ!!」

「違うんだ…確かに、アロドに家を継がさねばならなかったのはあるが、わたしは…」

「家に置いておくと、相続やら何やらで邪魔だったのだろう!?だから、聖職に就かせて、子孫を残せないようにした…」

「違うんだ、確かに聖職につけようとしたのはそうだが、わたしはお前をもっと近くに置くつもりだったのに、お前は聖堂騎士に…」

「あんたがそんな考えなのに、のうのうと近くになどいれるかっ!!俺はあんたから離れたかったっ!!育ての母からも、アロドからも、弟妹たちからもっ!!どうせ捨てられたのだ、俺は一人で生きていたかった、だから俺は聖堂騎士になった。」


父は顔を覆った。


「お前を手放すのではなかった。そのせいで、こんな、こんな…」

「こんな?…俺は自分の手で自分の人生を選んだ。その結果がこれだ。あんたにとやかく言われる筋合いはないっ!!」

俺は言いながら、なんてマルチェロの真似をした言葉なのだと感じた。

俺は自分で、聖堂騎士になるという選択をしておきながら、その後の選択も、生き方も、マルチェロという男の影響ばかり受けている。

そして、俺が目の前の、俺の父という男に感じる怒りも恐らくは、彼と同じ…





「俺なんて、生まれなければ良かったんだっ!!」

俺はとうとう口にしてしまった。





「あんたは事あるごとに俺に語った。俺の母のことを…だが、俺は母の顔すら知らない。生まれてすぐに引き離されたからだ。あんたが恋した女性は、”いとやんごとない姫君”で、あんたなんかが恋してどうこうなる女性ではなかった。だのにあんたは彼女との間に俺を作り、結局その仲も引き裂かれた。彼女のその後がどうかなんて知らないが、子どもまで生んでしまったんだ、ロクな事にはならなかったろう。だから…だから俺なんて、生まれなければ良かったんだ。あんただってきっとそう思ったはずだ。そう思ったんなら、どうして生まれてすぐに縊り殺さなかったんだ!?」

恐らく、俺は殺されていても不思議ではなかったのだ。

貴族たちは不祥事を嫌う。

一番簡単な方法として、生まれた子どもを闇に葬ろうとしたに違いないのだ。



「そうしていれば、今頃はっ!!」

俺は手を延ばし、父の首筋に手をかける。

小柄で貧相な男だ。

俺が少し力を入れれば、その首なんて容易くへし折れるのだ、あの時の”魔女”とされた女のように。

もう今更、罪を重ねたって構うものか。


俺は、たまらない疲労と絶望から、そう考えた。










「死なせたくなかったのだよ…」

牢番が血相を変えて何か叫ぶ声より、その声は俺に大きく聞こえた。



「みんな言ったよ。あの赤ん坊は殺してしまったほうが良いと。でもわたしは泣き叫んで拒んだのだ。

『あの子を殺さないで下さい。どうか殺さないで下さい。何でもしますから、どんなことでもしますから、殺さないで…』

わたしはだから、なんだって受け入れたよ。アロドたちの母とすぐさま結婚しろと言われればそうしたし、お前の母上と二度と会うなと言われれば従った。お前に母の名を告げるなと言われれば、決して告げなかった…」

「…」

「お前が生まれる時にね、わたしはそれでも産婆が密かにお前の口を塞ぐのではないかと思って、ずっと付き添っていたのだ。生まれたお前を、お前の母は抱きたがったが、それは許されなかった。お前は母の乳すら一度も吸えず、母から引き離された。」

「…」

「それ以来、お前はわたしの命になった。お前の弟妹たちの母が、そんなわたしを見て面白かろうはずがない。だからわたしは、どんなことでも彼女に逆らわなかった。彼女の思うとおりにさせた。それもこれも、ただお前を守るため…」

「そんなものは、あんたの弱さの言い訳に過ぎないっ!!」

俺は叫んだ後、父の涙に気付いた。



「…知っている、わたしは弱い男だよ。一つとして毅然と行動できず、周囲に流されるばかりだった。わたしが人生で唯一つ、自分の意思でしたことは、ただお前を生かすことだけだったんだ…」

俺は更に父を糾弾したかった。

したかったが、言葉が出てこなかった。

俺が父を憎んだ理由は、彼の弱さ。

でも、だとしたら俺は?





聖堂騎士になることだけは自分で決めたものの、その後、俺はただ、マルチェロという男に流されるまま、ここに来たのではないのか?

人はそれを、弱さと呼ぶのではないのか?



いや、人がなんと言おうとも、マルチェロは、本当に強かったあの男は、俺を見て断言するのだろう。



「お前は、弱い。」

と。





「死なないでくれ、トマーゾ。」

涙を流しながら、父は俺に縋る。


「お願いだから死なないでくれ。わたしをいくらでも憎んでくれて構わないから、殴りたかったらそうしてくれて構わないから、殺したかったらそうしてくれて構わないから、お願いだから死なないでくれ、トマーゾ。」


いい年をして、見も蓋もなく縋りつきながら、父は泣く。

「わたしの一番かわいい息子。ああ、わたしはお前が一番可愛いんだよ。アロドより、オリンピアより、パオロより、ジュディッタより…アロドもそれに気付いていたんだろうね。だからなおさらお前に辛く当たったんだろう。それを詫びろというのなら、額が割れるまで土下座しよう。わたしに出来ることならなんでもするよ、トマーゾ。」


その姿は、親の愛を剥き出しにして見せていて、ただ、醜い。


「認めてくれ、全て認めてくれ。ただ、そうしてくれればお前は死なずに済むのだよ。そして、死なないでくれトマーゾっ!!」



聖堂騎士の誇り。

女神の僕としての任務。

他の騎士たちへの同胞愛。

マルチェロへの忠誠心。



何より、マルチェロという男を裏切りたくないという思いが、渦巻く。





けれどそれらは全て、目の前で泣き喚く男にかき消される。





だって俺は…











「もうやめてくれっ!!」

その言葉と共に、俺は地面に泣き伏した。


「やめてくれ…もうやめてくれ…」

「トマーゾ…では…」

「認めるから…認めるから、もう止めて…」










マルチェロっ!!

俺はお前みたいに強くないんだ。

お前みたいに憎めない。



お前なら、俺みたいに自分の父が自分の目の前で見も蓋もなく泣き喚いても、眉一つ動かしはしないのだろう。

唇の端で軽蔑の笑みを浮かべるだけで、昂然と死地へ赴けるに違いない。





マルチェロ。

俺はずっとお前に憧れてた。

何でも出来るお前にも憧れてた。



でも何より憧れていたのは、その絶対的な意志の強さ。

お前は自分の信念のためなら悪だって為すことが出来る。



それが正しいとは思わない。

お前のしたことは間違っていると思うよ。





でも俺は、お前みたいな強さが欲しかったっ!!!!!























俺は、聖堂騎士の制服を着て、裁判に臨んだ





「汝、聖堂騎士副団長トマーゾ・フェデリチよ。元聖堂騎士団長マルチェロの、以上の罪を認めるか。」

「是。」

俺は、差し出された羊皮紙に、サインする。

”聖堂騎士副団長”トマーゾと。



俺を一介の聖堂騎士から、副団長に抜擢したのは、マルチェロだった。

そうすると、あいつは俺のことを、すくなくとも”役に立つ”くらいは評価してくれていたのか。

そう、ぼんやり思う。





「罪は証明されたっ!!」

そう宣告するニノ法王の顔は、空ろな悦びに満ちていた。


その表情の背後に何があるのか、俺はもう考えたくない。





「以上の、女神の広大無辺なる慈悲も救う事叶わぬ大罪により、マルチェロに、記録抹消刑を下すっ!!」

空ろな歓喜が、辺りを満たした。



「マルチェロが、忌まわしくも女神の代理人に即位したことも

マイエラ修道院長に就任したことも

聖堂騎士団長に就任したことも

聖堂騎士となったことも

すべての記録から抹消し、彼の名を呼ぶことを禁じるっ!!」










「マルチェロという男は、この世に存在しなかったのだっ!!!」

絶頂に達した雄たけびのように叫ぶと、ニノ法王は眩暈を起こしたように、台に手をついた。

辺りの者が慌てて駆け寄る。

だがニノ法王はそれを払うと、再び呟いた。





「そうだ、あんな男など、この世に存在しなかったのだ…」

そして、満足そうに何度もそれを繰り返した。

















裁判果てて。

俺は、聖堂騎士の赤い制服を認めた。



「ククール…」

彼の手には、あの時の聖堂騎士団長の指輪。



「今の団長はお前なのか?」

「聖堂騎士は辞めたよ。」

これはほんのアクセさ

ククールは付け加える。



俺は彼に対し、言葉もない。

彼が修道院に来てからの、ほとんどずっとを知っているというのに。



「トマーゾ、あんたさ…」

「…」

「あんたさ、自分の命と自分とを秤にかけて、結局、自分を捨てたんだな。」





彼のその言葉が、どんな意図を以って発されたかは知らない。


実の兄を”抹消”された怒りとも、兄の側についていながら彼を止められなかった俺に対する苛立ちとも、怯惰な俺への憐憫とも、


または、ただの事実の指摘とも。



ククールはそれ以上何も言わず、立ち去った。



















「トマーゾっ!!!!」

外に出るや否や、小柄な女性が抱きついてきた。


「…母上?」

「ええ、そうですよトマーゾ。まあ、大きくなって…でも、やつれて…」

記憶にある姿より十五年分老けてはいたが、紛うことなき俺の”母”だった。


「無罪になって、本当、この母も安心しましたよ。貴方が牢内にある間、どれほど心配したか…」

「ご心配をおかけしました。」

「まあまあ、他人行儀な…どうやら貴方は勘違いしているようだから、この際言っておきますけれど、確かに自分で生まなかったとはいえ、貴方を赤ん坊のときから育てているのはこの母なのですよ?貴方のことは、アロドたちと同様、実の子のように思っているのです。思い違いしないで。」

そう言って俺を見上げる、小柄な彼女の瞳に、嘘は無かった。

そうだ、確かに彼女は俺を赤ん坊の頃からずっと育ててくれていた。

犬の子だって拾って育てれば情が湧くのだ、人の子に情が湧かないはずもなかろう。



「アロド、何か兄上に言うことがあるでしょう。」

彼女の言葉に、バツの悪そうな表情で弟は言う。

「兄上、つい言い過ぎた事を、お許しください。」

「この子も反省しているのだから、許してあげて。本当に心から貴方を心配しすぎていたから、腹を立ててしまったのよ。」

「許すも許さないもないよ。そもそも俺の態度があれだったからな。」

「ほぉら、やっぱりトマーゾ兄さまは優しいんだから。ボクだったら絶対許してあげないね。」

子どものように口を挟むのは、次の弟のパオロだ。


「うるさい、パオロ。」

「アロド兄さまのツンデレー。ホントはトマーゾ兄さまにもっと謝りたいの、ボク知ってるからね。ね、兄さま。というわけで、何事もなく済んだんだし、これからは仲良く一緒に暮らそうよ。」





何事もなく

弟の言葉が、俺の胸を打った。





「そうですよ、トマーゾ。貴方は本当に人のいい子だから、あんな悪い人に騙されたのです。ねえあなた。」

彼女の言葉に、父は木偶のように頷く。





悪い人に騙された

彼女の言葉が、俺の胸を打つ。





「今回は本当に、何もなくて良かったけれど…ええ、大司教猊下、これも猊下のお力添えのおかげですわ。」

やってきたのは、長身の大司教。

忘れもしない…


「ドーリア大司教…」

”魔女”とされたソフィーのパトロン。



「いやあ、フェデリチ伯爵夫人のお子だとはこの裁判まで存じ上げませんで。」

「トマーゾ、お礼を仰い。貴方のために奔走して下さったのよ。」

「なに、身内を救う為に尽力するのは当然のこと。」

彼女の縁者だったのか。

ソフィーが焼かれた時の醜態など忘れたかのように、高価な衣服を悠然と着こなした彼は、嫌に親しげに俺に話しかける。



「フェデリチ伯の御子息とは存じ上げないで。しかし、だとしたら空位となっている聖堂騎士団長には、君こそが相応しい…」

「嫌ですよ、猊下。この子は優しい子なのです、もう騎士なんて危ない事はさせられません。」

「ははは、いや失敬。そうでしたな。今回のようなことがあったのだ、トマーゾ君もさぞや不快な思いをしたことでしょう。まったく、身分低いものはあれだから…」





俺は、ドーリアの存在全てに、嫌悪感を抱く。





「どうですかな、フェデリチ伯の御領地のすぐ近くに、司教座の空きを用意しましょう。そちらでトマーゾ君にのんびりと過ごして頂くというのは?」

「あ、それ賛成。ボクもずっとそうだったらいいと思ってたんだ。ねえ兄さま、家族で仲良く一緒に過ごそうよ。」

再会の喜びなのか、猫を被ることも忘れて、子どものように俺にねだるパオロ。


「トマーゾ兄上、我々は十五年を空白にしてしまいました。父上とも母上とも…そして私とも、再び、家族としてやり直しませんか?」





空白

弟の言葉が、俺の胸を打つ。





アロドが、照れたように手を差し出す。


「トマーゾ、アロドもパオロもそう言っているわ、ねえ…」




















俺は晴れて無実の身となった。


光さす中を歩いても、誰も咎めない。



マルチェロは…マルチェロは今、どこにいるのだろう?

もう二度と、光さす中を歩けない身となってしまった彼は。



俺の友たちは、今、どこにいるのだろう?

深い深い、底も知れぬ聖地に開いた暗黒の大穴に吸い込まれてしまった友たちは。





俺の十五年間は、

俺が選んだ、聖堂騎士としての年月は、彼らと共に有ったというのに。





エステバンっ!!

お前には、もう声もかけられない。

ほんの短い時間しかお前とは分かち合ってはいなかったけれど、俺はお前のことを心からの親友だと信じていたのに。


俺はお前に、涙すら手向けることは出来ない。

お前は、形見の一つも残さず、俺の前から消え去ってしまったから。











俺は生き残った。





それは俺が、


正義に背き、

騎士としての本分を忘れ、

弱きものを守ることをせず、

マイエラ修道院長への従順という誓いに背き、

友と悲しみを分かち合わず、

信じた道を情に絆されて捨て去り、



自分自身を裏切った結果だ。





俺はその結果、家族の愛と献身を手に入れた。





それは、俺が愚かで、弱かったからなのだ。


マルチェロと違って

賢明で強かったマルチェロと違って。



そんなマルチェロの全てを消し去ることで、俺は平穏と幸福を手に入れてしまった。

















父が言う。

放心したように何も言わない俺を見て、父が言う。


「なあ、トマーゾのことだ。トマーゾに決めさせないか。」

「あら本当ですわ。こちらで勝手に話を進めてはいけませんわね。」

彼女は、優しい笑顔で、心からの労りをこめた瞳で、俺に問う。


俺は知っている。

彼女のその笑顔にも、労りにも、偽りなどわずかばかりもないことを。

彼女は善人だ。





「…自分が決めても、宜しゅうございますか?」

俺は確認する。


「もちろんです、兄上。」

「兄さまのことだもん、兄さまが決めてよ。」

弟たちにだって、俺への悪意はない。





俺は幸せ者なのだ。



愚かでも、

弱くても



優しさと労りと愛情が得られるのだから。



そして、だから愚かで弱いままだったのだろう。

マルチェロは、その一切が無かったからこそ、あれほど強かったに違いない。





「…では…もう自分には関わらないで頂きたい…」

固唾を呑んで俺の言葉を聞いていた一堂から、驚きの声が上がる。



「ねえトマーゾ、今なんと言ったのです?」

問い返したわけではなく、翻意を促した言葉だと分かってはいたが、俺はそれでもこう言わざるを得なかった。





「もう、自分のことは放って置いてくださいっ!!」












俺は、愚かで弱い人間だが、これ以上の恥知らずにはなれない。







2008/6/1




一言感想「トマーゾが怒鳴ったのは、もしかしてこのシリーズで初めてでは?」

トマーゾんちの家族構成。父(隠居)、母(養母)、トマーゾ、アロド(トマーゾと十ヶ月違いの弟。今の当主。)、オリンピア(上の妹)、パオロ(下の弟。色んな所に出てくる)、ジュディッタ(下の妹)
トマーゾは五人兄弟の一番上なんですね。アロド以下全ては養母の子どもですが、アロド以外の全ての弟妹とは仲良しです(つかそもそも、彼の性格で他人が嫌える訳が無いのです。また、彼の性格が嫌われる訳は無いのです。)

まあ、そんなコトはどうでもいいですね。

最後の出番で、コレかよ…という、トマーゾスキーのみなさんのため息が聞こえてきそうです。
でもね、彼がこれ以外、どんな選択を出来たというのです?
トマーゾは、マルチェロのことを多分最後まで友達だと思っていたのでしょう、「尊敬すべき友達」
エステバンのように絶対者ではなく、でも「ああなりたいなあ」という永遠の憧れの存在。
まあ、彼が思っているほどマルチェロが強かったかどうかはさておき、そんなマルチェロを否定してしまった以上、彼は自分の選択の結果である聖堂騎士であった自分を否定せざるを得ないわけで、つまりは自分のアイデンティティーを全て捨て去らざるを得なかった、と。
かと言って生真面目な彼が、そこでのうのうと家族の”善意”に甘えられもせず…だったらもう、一人になるしかないですよね?ねっ!?
トマーゾの育ての母親は、「とてもよく出来た義理のお母さん」なんでしょうね。そしてそれが結局、彼を救えない理由なんですが、それがどうしてかって言うと、トマーゾが「とてもよく出来た息子さん」だからだという…

救えないなあ(ため息)

トマーゾとマルチェロの共通点は「甘えられない人」な所。違いはトマーゾは人を甘えさせられるけど、マルチェロは出来ないって所。マルチェロはそれを自分の欠点だとは認めないでしょうが。

最初にも書いたとおり、これでこのシリーズでの彼の出番は終わります。オリキャラ嫌いな方、ご安心あれ。この後彼がどうなったかは…まあ、ご自由にご想像ください。

そして、ちょっとだけ出てきて、 傷心のトマーゾにダメージだけ与えたククール の話は、まだあります。多分、それが次回のお話。



童貞聖者 一覧へ inserted by FC2 system