罪の告解




とある貴婦人から見た兄。
微妙に気をつけて下さい。






















「子爵夫人、いかがなさったの?浮かない顔をなさって。」

侯爵夫人がわたしに声をおかけ下さる。わたしは、なんとか笑顔をつくって答えた。

「ええ、特に…」

公爵夫人は、もとより華やかなお顔だちの方なのに、今日はとくに華やかな装いをなさっている。そんなにマイエラ修道院のお坊様のお説教が楽しみなのかしら。


 わたしの心をお読みになったかのように、侯爵夫人はおっしゃる。

「おほほほほ、子爵夫人。今日のお説教においでになれば、きっと元気になれますわ。なにせ、今日のお説教は“あの”副団長殿なのですもの。」

 侯爵夫人は意味ありげに微笑まれると、

「では子爵夫人、わたくしの馬車にご一緒なさらないこと?」

と、親切にもお申し出下さった。

 そしてわたしは、そのご好意に甘えさせていただくことにした。



 わたしは、この地方の領主である子爵家に嫁いで、まだ三月にもならない。

 貴族の娘として順当な教育を受け、外の悪い風を受けないようにと女子修道院で教育を受け、そして、親の言うなりに子爵家に嫁いだ、ごく平凡な女。

 面相とて人並みで、性格といえば内気。人より勝った才覚とてなく、取柄と言えば、服従の美徳に富んでいることだけ。だから、顔も知らずに嫁いだ夫ではあるが、妻として尽くそうと決めていた。というより、わたしにはそれくらいしか出来そうもなかった。


 そして三月。わたしは、夫とうまくいっていない。




教会は、荘重なものだった。

とはいっても、わたしは自分の結婚式の時にこの教会を使用したことがあるので、いまさら新鮮味は感じない。

 席には、近隣の貴族のご婦人方ばかりが、ずらりと並んで、お説教がはじまるのを待っておられた。


「侯爵夫人、ご婦人がたばかりですのね。」

わたしの問いに、侯爵夫人は意を含んだような笑みをお見せになった。

「おほほほ、そりゃあ、殿方をお連れするわけには参りませんでしょう?」

わたしが小首をかしげるのを、侯爵夫人は愉快そうにご覧になった。

「ところで、マイエラ修道院の副団長様って…」

自分の結婚式の時にご列席いただいたのは、徳高き聖者と高名のオディロ院長と、サザンビークの貴族の出とかいう団長さまであったと思う。副団長という方は、いらしたのかもしれないが、記憶にない。

「まあ、あんな良い男をご覧になっていらっしゃらないなんて…子爵夫人も罪な方。あなたの結婚式にも確かにいらっしゃいましたわよ。マルチェロ副団長殿は。」


マルチェロ副団長殿…名前を聞いて、わたしは記憶をたぐった。

確か…そういえば末席の方にいらしたような気がする。大変若い副団長殿という記憶しかないが。


祭壇に、青い法衣を身にまとった、黒髪の殿方が姿を現した。

席のご婦人方から、ため息が漏れるが、黒髪の殿方の翡翠色の瞳が辺りを睥睨すると、

しん

と、水を打ったように静まり返った。


「ご列席のご婦人方…」

通りの良いバリトンが流れる。


「神の教えをお受けになるためにはるばるお越しいただいたご婦人方に、神の祝福がありますように。」

よく通る声は、透明な艶があった。


「では本日は、みなさまのようなご婦人方の、夫たる方への服従の徳を説かせて頂きたいと思います。」

優美な手つきで聖書を開くと、聖堂騎士副団長…マルチェロは、説教を始めた。



ご婦人方は、説教の中身になどまるで感心がないようだった。

副団長どのの艶のある黒髪や、秀でた額や、翡翠色の意志の強そうな瞳や、すっくと延ばされた背筋や、均整で、そして鍛えられているであろう肢体ばかりをうっとりと眺め、そしてたまに隣同士つつきあっては、くすくすと笑う。

 副団長殿がそれに気付き、

ちらり

とそちらを眺めると、粛然とした態度を取るものの、すぐ後で、さも副団長殿に視線を向けられたことが誇らしいかのように、隣のご婦人に勝ち誇った笑みを浮かべるのだった。


ね?

わたしのお隣の侯爵夫人が、目で語る。

ええ。

私は小さくうなずく。


 なるほど、そういう事だったのかと、了解の遅い私の頭も合点する。

つまりは侯爵夫人殿をはじめとするご婦人方は、この副団長殿を眺めに、せっせと教会に通って、さも信心深いかのようなフリをしていたのだ。

 よくよく見れば、どのご婦人がたも、装いを凝らしていらっしゃった。胸を、出してはいけない場所までぎりぎりの深さに切り取ったドレスに身をつつみ、申しわけ程度に薄いショールを羽織っていらっしゃる方。もとより白い乳房に青い静脈を描きこみ、乳房の白いなまめかしさを強調なさっている方。

 わたしのように、明らかに教会へ行く用の地味な装いをしている方は、一人もいらっしゃらなかった。



わたしは落胆のため息をついた。

確かに結婚したばかり夫とはうまくいってはいないけれど、だからと言って美男のお坊様に熱をあげてうさを晴らすつもりはない。わたしは貞淑な妻であるように家族に言い含められて嫁いだし、そもそもわたし自身もそのつもりだ。




 お説教は終った。

「…告解のございます方は、どうぞお申し出下さい。僭越ながら、拙僧が承らせて頂きます。では、また後ほど…」

優美に一礼して去っていく副団長殿を見送り、わたしは帰りの馬車へと足を向けた。


「お待ち遊ばせ、子爵夫人。」

侯爵夫人が、わたしをお引きとめなさる。

「は、はい…」

わたしが何事かと足を止めると、侯爵夫人は他のご婦人方に向かっておっしゃった。

「今回の告解は、こちらの子爵夫人にお譲りもうしあげませんこと?」


 残念そうな声が、そこかしこから聞こえる。

 わたしはあわてて辞退申し上げた。

「いえ、そんな…わたくしは…」

だけれども、侯爵夫人は、わたしの辞退をやんわりと拒絶なさった。

「おほほほほほ、謙虚な方。でも子爵夫人は、どうもお悩みのご様子とうかがいましたわ。ならば、そのお悩みを副団長どのにお聞きなさってもらえばよろしくてよ。」

その華やかなかんばせに、少し意地の悪い笑みすら浮かべられて、侯爵夫人はおっしゃる。

「なにせ、副団長殿の“告解”は、すばらしいものですものね。」


まわりのご婦人方も、意味ありげにくすくすと微笑まれながら、確かにそうですわ、とか、ええ、忘れられませんわ、などとおっしゃる。


「みなさまにご異存がなければ、決定ですわね。」

侯爵夫人はそう言い放つと、ためらう私を告解室へと引きずるように連れて行った。





薄いついたてを挟んだ告解室に入り、わたしは少し緊張しながら、副団長殿に会釈申し上げた。

「では、副団長殿…」

「マルチェロで結構です、マダム。では、あなたの罪をお話ください。女神に誓って、この部屋でのいかなる告解をも外部に漏らすようなことはございませんので。」

「は、はい。ではマルチェロ…さま…」


副団長殿…マルチェロさまと直接視線が向き合うようなことはないが、なにせ女子修道院育ちなで、肉親以外の男性とは、夫くらいしか近くで話した事がない私は、緊張が解けずに言葉が出てこなかった。


「あの…わたしは結婚して三ヶ月なのですが、夫とうまくいかないのです…」

結果、告解ではなく、悩み相談のような切り出し方をしてしまった。


「ほう…それは由々しきことですな。」

だがマルチェロさまはそれを咎めることなく、返答を返して下さった。

「は、はい。わたしに妻として至らない点が多々あることからと思いますので、それを懺悔いたしたく…」

「ではマダム。その“妻として至らない点”をおっしゃって下さい。」

言われて、わたしは、はた、と言葉につまった。


 自慢ではないが、わたしはいまれてこの方、罪というような罪を犯したことがない。

いえ、もっと正しい言い方をすれば、“罪”というような事が出来るほどの行動力も、脳の回転も持ち合わせていないのである。

実家にあった時も、親のいいつけにそむいた事はなかったし、女子修道院に預けられていたときも、修道院規則にそむいたことは一度もなかった。もちろん、規則の目を盗んで恋人と密会する娘はいたし、それに羨望の気持ちを抱かないでもなかったが、実行に移すほどの勇気を持たなかった。

もちろん、結婚してから夫の言いつけにそむいた事もなく、まして姦通など…考えるだけでも恐ろしいことだった。


「その…わたしは頭が悪いもので…気がききません…」

しかし、これを罪だと言われても、治しようがない。なんとも、頭の悪い事を言ったものである。これではマルチェロさまもそうだとも言えずお困りになるだろう。

 ちょっと苦笑したような息遣いが聞こえた。


 わたしは頭をめぐらせた。

 罪…罪…


 そしてわたしは今朝、夫に言われた台詞を思い出し、嫌な気分になった。


  お前は面白くない女だ。


「…あの…」

「なんでしょう。」

「その…夫から…その、面白くない女だと言われるのです…」


 言われたのは、寝室の中。もっと具体的に言うと寝台の上で、わたしも夫も全裸だった。


「その…わたくしは…その、夫婦の営みの相手として、その…」

言い差してわたしは、なんてはしたない事を言ってしまったのだと赤面した。


 

 わたしは厳格な女子修道院で世間と隔絶されて育ち、夫と結婚するまで男の方と付き合った事もなく、当然処女で嫁ぎ、夫に処女を捧げた。

 さすがに、

 赤ちゃんは、はぐれメタルが運んでくるのよ。でも、はぐれメタルはとっても速いから、運んでくる様子が見えないのよ。

 と言うおとぎ話を信じるほどではなかったが、それに限りなく近い状態で妻となったため、妻と夫が寝台の上ですることが具体的にどんな事なのか、ほとんど知らなかった。


 結婚初夜。わたしは親に言い含められたとおり、寝台の上に黙って横たわり、夫のなすがままになった。

 次の晩もそうした。

 その次の晩もそうした。


 しばらくの間その状態で、わたしの肌をまさぐる夫を耐えていたら、夫は忌々しげに言った。


 “冷たい女”め。




 「マダム。」

大きくはないがよく通る声で、マルチェロ様はわたしの回想を破った。

「は、はい…」

「その“面白くない女”とは、具体的にどのような場所で、どのような行為を示して、ご父君はおっしゃったのですか?」

「いえ…その…」

 寝台の上での、夫婦の営みの後だとは口にしづらい。だがマルチェロさまはおっしゃる。

「何度も申し上げますが、女神はそもそも全てをご存知です。そして女神に仕える拙僧も、部屋の外では沈黙を尊びます。女神の御前に真実を。」

 柔らかいが、奇妙に強制を含んだ言葉だった。



「今朝…わたしと夫の寝室の寝台の上です…」

 告白すると、次の質問が飛んできた。

「“愛の行為”のあとですな。」

わたしが赤面しながらうなずくと、彼は更に続ける。

「“愛の行為”は、何度完成されたのですか?」


 なんと言うべきか分からず、ついたての向こうの彼の表情を窺う。

だがその整った顔には、ひとしずくの情念も浮かんではいず、平静そのものだった。

 真実の告白をと促され、わたしはおずおずと、蚊の鳴くような声で答える。

「…三回です…」

「左様ですか。」

彼の口調には、なんの変化もなかった。彼の質問はまだ続く。


「それは、平常と比べて多いのか、少ないのかどちらでしょうか、マダム。」

「…その…やや少ないかと…」

可聴域ぎりぎりの返答だったが、相手の耳には届いたようだった。



 夫と結婚して一月。夫の“冷たい女”という言葉と、いらいらした様子に怯えたわたしは、他の奥様方のお話を伺ううちにようやく気付いたのだった。

 夫婦の営みには、快楽というものは伴うものらしい。

と。“冷たい女”という言葉は、夫との営みに快楽を感じない女への最大級の侮蔑語であるらしいということも知った。


 が、わたしの苦悩は深まるばかりだった。なにせ、感じないものはどうしようもない。

 夫を愛していないというわけではない。いや、他に男性を愛したことがないので比べることはできないが、わたしなりには夫を愛しているつもりだ。だから夫に喜んでもらいたい。

 だが、どうしたらよいのか分からない。


 そしてわたしは、悶々としていたのだった。

 だが、一人で悩んでいたとしても、わたしは一人で悩みを解決できるほど、強くも利巧でもないのだ。


 だからわたしは、眼前のお坊さまに救いを求めようと決意した。



「あ、あの…マルチェロさま。わ、わたしは夫に“冷たい女”とも言われました。そして、夫はそれが不満であるらしいのです。ですが、わたしはどうしたら良いのかわかりません。わたしに出来ることなら努力しますが…もしかしてわたしが“冷たい女”であることは、わたしが知らずに犯した罪への罰であったりするのでしょうか?」

「あなたはなにか罪を犯された覚えでもあられるのですか?」

「いいえ…」

 わたしが否定すると、彼はきっぱりと答えた。

「ならば、“愛の行為”で快楽を感じないことは罪ではない。むしろ、快楽を感じすぎることの方が罪だといえましょう。この行為の第一の目的は、女神の聖なる祝福の元に子どもを儲ける事ですからな。」

 

根本的な解決にはなっていないが、 わたしはひとまず安心した。

だが彼は、少し厳しい口調になって問うた。


「ですがマダム。さきほどのご発言で、拙僧には少し気になることがあります。マダムは、女神の定めたもうた体位で行為をなさっていますか?」

「は…?」

いくら無知なわたしでも、“体位”という言葉が、あの行為のときの夫婦の姿勢を表すことぐらいは知っている。知ってはいるが、それにも“女神の定めたもうた”ものがあるとは知らなかった。

「あの…ゴルドの女神は、いかなる…体位をお定めになっていらっしゃるのでしょうか?」

「御存じない!?」

彼の口調には、あからさまな批判が混じっていて、わたしを困惑させた。

「あの…」

「マダム。知らずに犯したとしても、罪は罪だ。」

「も、申しわけありません…」

 わたしが謝ると、彼は続ける。


「よろしいか、マダム。この世には男と女がある。いと高き女神は別格として、その両性はどちらが上におかれているか!?」

「殿方ですわ。」

 少なくとも、わたしはそう教わってきた。


「そう、“愛の行為”とは聖なる祝福を受けた子どもを授かる行為である以上、この世の秩序に逆らってはならない。ならば、女の上に男があるのが正しいものと言える…違いますかな?」

「はい…」

「女が上をむいて横たわり、男がその上に覆いかぶさる。これが女神の定めたもうた体位というもの…ですが…」

緑眼の鷹を思わせる瞳が、こちらをいすくめてきたような気がして、わたしは少し身を硬くする。


「これを冒涜なさるご夫婦が多い、あまりに多い!」

 わたしは自分の記憶を辿り、自分の胸を抱えるように身をすくませた。

 彼の視線が、襲いかかる前の肉食の獣のもののように静かにわたしを見据える。

「マダム、あなたは罪を犯したことがありますね…」

 彼は静かに言った。



「マダム。求められた時以外は、はい、か、いいえ、か、でだけお答えください。」

「はい…」

「あなたは、女神の定められた体位以外の体位でご夫君と愛の営みを持たれたことがおありか。」

「はい…」

「そうか、あなたは善良なご婦人とお見受けしたのだが、罪を犯しておられたのだな。」


 罪…

彼のその言葉に、私の心臓は激しく鼓動を打ち始めた。


「して、それはいつの事ですかな。」

「夫と結婚して、一月…半くらいのことです。」

黙って横たわるだけのわたしに不満を持ったのであろう夫は…わたしはちゃんと女神の定めたもうた体位、をとっていたのだが、二度の夫婦の行為のあとでこう言った。


 やはり、仕込んでやらなきゃだめだな。


 

「ではマダム。女神の御名の元に、その罪の体位と、状況を余すことなく述べられよ。」

 それは恥ずべき内容ではあったのだが、彼の“女神の御名の元に”という言葉と、どくどくと鼓動する胸の興奮に促され、わたしは口を開いた。


「夫は、わたしに寝台の下に跪くよう命じました。」

「マダム、あなたは着衣なさっていのか。」

「いいえ、わたしは糸一筋も身に付けてはいませんでした。」

「そうですか、ではお続け下さい。」

「はい…夫が上を向くように命じたので上を向きますと、その…夫の男の印が目の前に…そして夫は…その、わたしに、“それ”を口に…含むようにと…」

「あなたは実行なさったのか…」

「あの…夫の命じたことですので…」

「返答は、はい、か、いいえかで願う。」

「はい。」

その光景を彼に想像されたと思うと、顔から火が出そうな羞恥に襲われた。


「御夫君はその行為によって勃起なさったのか。」

「は、はい…」

「では、勃起した男根がその欲望を果たしたのは、どこか。」

「わ、わたしの…」

「マダムの?」

「わたしの…口の中です…」

「ほう。」

欲望の熱情のひとしずくも感じられない声が、わたしを冷たく刺す。

だのに、わたしの火が出そうな羞恥の熱は冷めもせず、乳房まで落ちていった。


「マダム。」

「はい!」

「男根の欲望が満たされるべき場所は、女陰であるべきだ。それこそが女神の御心であり、したがって、あなたの行為は罪にあたる。」

「罪っ!」

彼の冷たい宣告に、熱いものが乳房より、腹部よりそのもっと下の部分にまで落ちていった。


「マダム、あなたはその罪を悔い改めるか?」

「はいっ!!」

罪を宣告されたにも関わらず、わたしは体に歓喜のようなものを感じた。



 そしてわたしは、全てを告白した。

彼の

「マダム、それは罪だ!!」

という鋭い叱声を浴びる度に、わたしの背筋を電流のような衝撃が走った。


 これが快感…

わたしは息を荒げ、思いつく限りの“罪”を告白した。



「四つんばいになり、ご夫君を受け入れたと?」

「はいっ、マルチェロさまっ!!…わたしは、忌まわしくも獣のような体位で夫を受け入れましたっ…あ…罪…これは罪…ですか…?」

期待するように問い返すと、

「マダム、それは罪だ!!」

期待通りの、冷たく、艶やかで、そして鋭いものが、わたしの体と心を突き上げ、わたしは耐え切れずに立ち上がった。


「あっ…あっ…!めがみさま…めがみさまっ!!!!…つみ…ぶかい、罪深いわたしをお救い下さい!!いえ…いえ…罪深いわたしにどうぞ罰を…罰をおあたえ下さいっ!!マルチェロさまぁっ!!!!」


ぷつり


とそこで糸が切れたようにわたしは崩れ落ちた…と、思う。



罪は購われる。そう、あなたの信仰心と、免罪符によって…



彼の声が遠いように聞こえた。


おそらく侯爵夫人の馬車までは、彼がエスコートしてくだすったのだろう。

だが、わたしがようやく正気に返ったのは、伯爵夫人が、わたしの屋敷まで送ってくれている馬車の中でだった。




しばらく日にちがたった。

わたしはいそいそと、とびきりの装いで教会に赴く。

教会では、他のご婦人方もまた、とびきりの装いで集まっておられる。


「まあ、子爵夫人。ちょっと見ない間に、お元気に、そしてお美しくなられたこと。」

侯爵夫人が、相変わらず華やかな装いで、わたしの隣におかけになる。

「まあ、そんな…」

わたしがうつむくと、侯爵夫人の白くたおやかな御手が、わたしの胸に触った。

「まあっ!?」

わたしが驚いて伯爵夫人のお顔を見ると、侯爵夫人はいたずらっぽく微笑み、おっしゃった。

「胸が大きくなられたのではなくて?」

「そんな…」

「おほほ、子爵夫人、ご存知かしら?女の胸はね、罪を仕舞い込むから膨らむそうよ。」

「…」



罪…

わたしは、彼に罪を教えられた。

とはいえ、わたしは実際に不貞を犯すわけではなく、ちゃんと貞節を守っている。

夫婦の営みにも快楽を感じるようになり、夫との仲も改善した。

聖地ゴルドの汚れ無き女神様の御前に出ても、わたしは胸を張って

「わたしは罪の行為を行ってはおりません。」

と言える。


ええ、わたしは罪の“行為”は行ってはいない。

ただちょっと、夫との夫婦の営みの際に、相手が夫ではなく、彼だったらと想像するだけ。

 心の中で思うだけなので、不貞ではないと思いつつ、彼に

「マダム、それは姦淫であり、罪である!」

と言われる言葉を想像し、思い出し、恍惚感を得るだけ。


もしかして、それって心の不貞かしら。

わたしはそう思い、たしかに大きくなったかもしれない自分の乳房を見る。



「おほほほほほほほ…」

侯爵夫人は、周りのご婦人の注目を少し集めてしまうくらいの大声でお笑いになると、わたしの耳元に形の良い唇を寄せられた。

「マイエラ修道院に説教と告解のお礼の寄付をなさる際に、副団長殿にも個人的にお礼をなされました?」

「は?ええ、ほんのつまらないものですが…」

うふふ、侯爵夫人はまた笑われると、さらに囁かれた。

「花瓶でしょう?」

わたしは驚いた。確かにそうだった。リブルアーチの名工の手による、アラパスターの花瓶をお送りしたのだ。

「どうしてお分かりですの?」

わたしが問い返すと、侯爵夫人は直接答えずに、小声で囁くように言った。



「たまには罪を犯さないと、告解できませんものね。」


わたしが更に問い返そうとしたその時、



「ご列席のご婦人方…」

通りの良い、低めだが艶のあるバリトンが、皮膚をくすぐるように流れた。



わたしの意識は、そして完全に、彼へと向けられた。







告解室プレイなマルチェロです。「目的のためなら手段を選ばない男」と言われるだけあって、寄付金集めにも手段を選ばない彼はエラいと思います。確かにみんな幸せになってますが、いろいろと神の御心には背いてるんじゃないかと推測。
 けっこう有名な話ですが、キリスト教会では、体位は正常位しか認められていなかったそうでした。(理由は小説内の通りです)だから宣教師たちは、世界各国に宣教に出かけては、神の御心の一つとして
 「夫婦の営みは正常位で行わなければならない。」
と説いたので、正常位は別名“宣教師スタイル”とも呼ばれたとか。
 また、中世(ルネサンス期だったかな?)の神学論争の一つに、
 「正常位は、男女が抱き合う形になるので、快楽を呼び覚まし、よろしくない。女がうつぶせになり、その上から男が覆いかぶさるようにしたほうが、欲望が触発されずに望ましいのではないか」
 というテーマのがあったそうです。教会法上、童貞であり、したがって体位もへったくれも実際には知らない人たちがこんな論争してたのかと思うと笑えます。まあ、女性の不貞の告解を受けて、実演させるという破壊坊主に比べればややマシかもしれませんが。
 なんせマルチェロなので、この告解は完全に計算しつくされたことだという考え方が自然ですが、なんせウチのマル兄なので、なんの計算もなかった…という可能性も捨てきれません。いろんなご婦人から花瓶を送られるので
 「なんで花瓶ばっかこんなにたまるのだ?」
 と一人でボケながら、もったいないし使わないのもアレだと、フラワーアレンジメントに使用している彼もちょっとイイ…
 はげしくどうでもいい付け加えですが、花瓶とかツボというのはその形状から、女陰の象徴と心理学ではされてますよー、と最後に一言。



 

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