祖母から手紙をもらいました。
愛するキラ、今日もお城勤めをがんばっているかね。
パヴァン王さまはお元気かね?
ところでだね、お前もそろそろいい年だろう?
わしらも、もうこんな年だで、お前の花嫁姿を見てから死にたいと思っているんじゃよ。
でな、ほれ、お前が小さい頃、よく遊びに来ていたあの坊やがいるじゃろ?
この間久々に訪ねて来たが、なんとまあ、いい男になっていたねえ。
今じゃ立派な商人になって、ベルガラックの店も繁盛してるらしい。
お前の話をしたら、ぜひまた会いたいって言ってねえ。
お城からお休みを頂けないかね?
待っているよ、可愛い孫や。
「やだわ、これがいわゆる『縁談』ってものなのね。」
わたしは、祖母からの手紙を何度か読み返します。
祖母が言う、「よく遊びに来ていたあの坊や」の顔は、覚えてはいるけれど、ほんとうにもう10年も前の話なのです。
「いい年、かあ…」
わたしは、お城に上がってからの日々を思い返してしまいます。
「…シセル王妃さま…」
わたしのお城勤めの記憶は、どうしてもあの方の重なってしまいます。
お城に上がったばかりで、きらびやかなお城にどうしても馴染めなかった日々。
そんな時に、シセル王妃、いえあの時はまだ王妃ではいらっしゃらなかったけれど、あの方はとても親切にして下さったのです。
「キラ、わたくしもあなたと同じ、お城での生活は初めてなの。だから、時折、とんでもないことをしてしまうけど、ふふふ、仕方ないわよね。」
そう言っていたずらっぽく微笑まれたあの方の微笑みは、今でもずっと鮮明なままです。
あの方が、パヴァン王さまとご結婚なさった時も、本当に王家のご婚儀ってとっても忙しかったけれど、あの方の美しい花嫁姿を見ているだけで、幸せでした。
パヴァン王さまとお並びになり、この世で一番幸せに見えたあのお二方の姿は、どうして、永遠のものではなかったんでしょう…
「あらいけない、いつまでもぼんやりしていてはいけないわ。もう、パヴァン王さまのお食事の時間。」
うっかりぼんやりしてしまいました。
わたしは急いで調理室に走り、パヴァン王さまのお食事をご自室へ運びます。
「失礼致します、キラです。」
ノックをしてドアを開けると、パヴァン王さまが書類から顔を上げられて、
「いつもご苦労だね、キラ。」
と優しく微笑まれました。
その微笑みは、シセル王妃さまがお亡くなりになる前と同じです。
ええ、やっと同じになって下さいました。
>シセル王妃さまを亡くされたパヴァン王さまのお嘆きようは、見ているこちらまで胸が苦しくなるようでした。
無理無体なことなど一度もなさらなかった方なのに、国中が喪に服するように触れを出され、それからは3年も、政務を何も見ずに、ただただご自室に閉じこもられたのです。
無理無体な、そう言いましたけれど、アスカンタの民は皆、それに従いました。
シセル王妃さまがどれほど素晴らしい方か、皆、知っていたから。
パヴァン王さまがどれほどシセル王妃を愛されていたか、皆、知っていたから。
皆、それを知っていたから、暗い色の喪服を着ながら、国全体がゆるゆると影の中に朽ち果てていくような服喪に従ったのです。
わたしも同じです。
あれほど素晴らしい方をこの世からお取り戻しになった女神さまをすら、お恨み致しました。
そして、それほどの方を奪われてしまわれたパヴァン王さまに、深く同情しました。
わたしに出来ることならと、祖父母の元にも帰らずにパヴァン王さまにお仕えしました。
気付けば、その同情と献身は、何やら別のものに変わってしまっていました。
パヴァン王さまの机の上には、たくさんの書類が積み重ねられています。
「あれほどお仕事に精励されていらっしゃるのに、まだこんなにあるのですね。」
わたしが言うと、パヴァン王さまは苦笑されます。
「3年も国王の勤めを怠っていたからね。」
「…」
謝罪しかけたわたしを、パヴァン王さまは制されました。
「いいのだよ、キラ。働けば取り戻すことが出来るようにしてくれたのは、君の、そしてこのアスカンタの皆のお陰だ。」
「そんな、わたしは何もしていません。陛下をお助け下さったのは、あの4人の方々です。」
わたしの言葉に、パヴァン王さまは頷かれました。
「本当だね、あの方々にはいくら感謝してもし足りない。」
そして、続けられました。
「あの方々がいなければ、今のわたしは、なかったのだからね。」
喪の黒色に塗れたこの国を訪ねられた4人の旅人。
あの方々に、わたしが助けを求めたことに、深い理由などありませんでした。
この国を、いえ、パヴァン王さまを助けて下さるなら誰でも良い、そのくらいの気持ちだったのです。
なのにあの4人の方々は、その願いを叶えて下さいました。
その夜、何が起こったかは分かりません。パヴァン王さまも語っては下さいません。
けれども、確かに、何かが起こったのでしょう。
その翌日には、アスカンタから黒の色が消えたのからです。
シセル王妃の喪の色が。
「ご馳走さま。ああ、とても美味しかったよ。料理長にもそう伝えておくれ。」
パヴァン王さまがお食事を終えられたので、わたしはそれを取り片づけます。
「陛下の食欲が戻られて、料理長も作りがいがあると喜んでいます。」
「たくさん食事をしただけで喜んでもらえるなんて、国王とは良い職業だな。」
パヴァン王さまはそう言われ、一礼をして去ろうとするわたしに、もう一度声をかけました。
「キラ、窓を開けてくれないか。」
「はい。」
わたしはおっしゃるままに窓を開けました。
光るような緑と、爽やかな風が吹き込みます。
「美しきかな、我がアスカンタの国よ。」
パヴァン王は、詠うように口ずさまれます。
「ねえキラ、我がアスカンタは、美しい国だと思わないか?」
「ええ、陛下。とても美しい国です。」
「そうだ、とても美しい国だよ。トロデーンより、サザンビークより…きっと国王の身びいきなんだろうけれどね。」
「いえ、わたしだってそう思います…どちらのお国にも行ったことはありませんけれど。」
パヴァン王さまは、快活に笑われます。
「ねえキラ、国王の仕事はだね、この美しい国を美しいまま保ち続けることなんだ。わたしは一度、この国を暗い色に染めてしまったから、これから死ぬまで2度とそんなことをしないよう努めるつもりだ。皆が、笑って暮らせるように。」
「陛下、陛下ならきっと、2度とそのようなことはなさいません。」
わたしの言葉は、パヴァン王さまのお耳に入ったのかどうか。
「ねえ、君の愛したアスカンタはこんなにも美しいよ。昨日も、今日も、そしてこれからずっと…」
パヴァン王さまは、わたしには見えないどなたかに語りかけるように、優しく、柔らかなお声で仰いました。
ああ、本当に。
パヴァン王さまが語りかけなさる方が、今、現に、ここにいらしたら、わたしはこんなにも辛くないですのに。
ただ、お二方の永遠の愛を祝福出来ますのに。
「陛下。」
私は、意を決して口を開きます。
「お暇を頂きたいのです。お許し頂けますか。」
パヴァン王さまは、昔のままに優しく微笑まれます。
「もちろんだよ、いつもいつも休みなく働いてくれているからね。で、休みはどれくらい…」
「…ずっと、です。」
驚かれるパヴァン王さまに、わたしは祖母の手紙の内容を、決定事項であるかのように語ります。
「城の者は寂しいけれど、おめでたいことだ。さっそく大臣に言って、お祝いを用意させよう。ベルガラックは遠いけれど、にぎやかで良い街だと聞くよ。どうか幸せに。」
「ありがとうございます…」
お礼で頭を下げたまま、わたしは頭が上げられなくなりました。
もう一度パヴァン王さまのお顔を見たら、泣き伏してしまいそうだったからです。
「わたしの大事な王さま」
わたしは、シセル王妃さまのように、そう語りかけることは出来ないのです。
だって、ただのメイドですから。
「陛下…どこへ行っても、わたしはこのアスカンタが大好きです。あなたの愛する、この美しい国が大好きです。」
「キラ…」
わたしは、何とか「失礼致します」と言って、部屋を出ました。
視界には、美しいアスカンタの街並みが広がります。
「なんてきれいなアスカンタ…」
わたしは、語りかけました。
「大好きです、大好きです、本当に大好きだから、いつまでもここにいた…かったです…」
終
2013/2/20
もう何年も放置していた拍手話。書いた時はいい話だと思いましたが、読み返してみたら…やっぱりいい話でした(自画自賛)
どこかのサイトさまで、抜けるような青い空に向かって、
「君の愛したアスカンタはこんなにも美しいよ。」
と語りかけているパヴァン王イラストが素晴らしかったので、それへのオマージュとして書いたものなのですが、さて、そのイラストサイトさまがどちらだったのかすら、もう定かではありません。
パヴァン王イベントの後、キラはどうしたのか…
パヴァン王と幸せになって欲しい気もするのですが、パヴァンは王様、キラはメイド。やはり悲恋に終わるしかないのかな(キラは愛妾かなんかにしておいて、正妻は別に迎えるとか言うことは出来なさそうな人だしな、彼は)と思いまして。