メゾン・リーザス その三
マルチェロとククールは、客室を貰うことになりました。
さすがアルバート家だけあって、とても快適で趣味の良い客室です。
メイドの女の子が
「なんでもお申し付け下さいませね。」
と、目を合わさないように笑顔で言ってきたのだけは気がかりでしたが、それ以外はとても気に入りました。
ククールはとりあえず、同室になった兄に、しばらくはアンジェロだということにしていてほしいということと、くれぐれも妙な発言や行動は謹んでくれと力いっぱい説得しました。
「私がいつ、妙な発言や行動をとったというのだ?」
兄が不満そうに呟いたので、ククールは力いっぱい、そして涙ながらに、あんたが妙な行動をとったら、自分はずっと、あの電波の弟という目で見られることになるので、とてもツラいのだと訴えました。
兄は、翡翠色の瞳で弟を見上げました。
ククールは、こんなふうにまともに兄と目を合わせた経験があまりないので、なんだかドキドキします。
「ククール、お前はこの家の婿になりたいのか?」
「え…ああ、まあ…な。ゼシカは兄貴が死んじまったからこの家の跡取り娘だし、それにオレもどうせ行く場所ないし…」
ククールの言葉に、兄は眼を伏せ、呟くようにいいました。
「そうだな。居場所がないのは、お前も同じだったな…」
「兄貴…」
ククールは、兄と初めて会った時の事を思い出しました。
ごうつくばりでワガママで、金に汚くて、女と博奕が大好きな父親が伝染病で死に、母親も同じ病で死に、家族も親戚もなく、屋敷も借金のカタにとられてしまったククールには、孤児を引き取って育ててくれるマイエラ修道院しか行く場所がありませんでした。
「……僕も 似たようなものさ。でも ここなら オディロ院長やみんなが家族になってくれる。大丈夫だよ。」
不安で泣き出しそうだった彼に、そうやって優しい言葉をかけてくれたのは、他ならぬこの兄だったのです。そのままなら、優しいままだったはずの彼が、ククール、という自分の名前を聞いて態度を豹変させました。
「そうか 君……お前が ククールなのか。……出ていけ。出ていけよ。お前は…お前なんか今すぐ ここから出ていけ!」
もちろん、ククールはなぜ、彼がこんな事を言い出すのか分かりませんでした。
「……お前は この場所まで僕から奪う気なのか?」
後で、オディロ院長からマルチェロの生い立ちを聞いて、ククールはようやく全てを悟りました。
ククールは、兄からその居場所を奪ってしまっていたのです。
もちろん、ククールが悪い訳ではありませんでした。
でも、マルチェロが悪い訳でもない…
この二人っきりの兄弟は、その相克をずっと引きずり、遂には殺し合いにまで至ったのでした。
ですが。
今、兄は目の前にいて、自分のことをしっかりと見てくれています。
自分の事を理解し、自分の幸せをかなえようとしてくれているのです。
「兄貴…(泣)」
ククールは、電波とか電波とか言ってごめんなさい、と心底謝りたくなりました。
「そうだな…」
兄はもう一度呟くと、涙で声がつまるククールを置いて出て行ってしまいました。
その日から、リーザス村で奉仕作業をするマルチェロの姿がそこかしこで見られるようになりました。
確かに修道院では自給自足が原則なので、聖堂騎士といえども、農作業からボタン付けまで、一人で一通りの事は出来るのですが、それでも農作業着で畑を耕し、農夫と談笑する兄の姿はククールにとっては驚異でした。
「いやあ兄ちゃん、よう働くだなあ。いまどきの若いモンにしちゃ珍しいべよ。しかもアンタ、アローザ奥様のお客でねえだか。エラいさなあ。」
「働かざるもの食うべからずが神の教えだ。褒められるほどの事ではない。それよりご亭主、この村での農作物はこれだけなのか?」
「ああ、んだんだ。わしのひいじいさまの代から、この村はこれを作って、アルバートのお屋敷にお納めしているだよ。」
「そうか…」
そして、人当たりのよい笑顔で子どもと対する兄の姿もまた、ククールにとっては驚異でした。
「すごーい、おじちゃん。まほーが使えるんだー。どうやってべんきょうしたの?」
「お兄ちゃんはね、小さい頃から、たくさん本を読んで勉強したんだ。」
「へー、すごーい。あたしもべんきょーしたいなー。」
「この村には学校はないのかい?」
「うん。だから、おとーさんとかおかーさんに字を習ってるの。でも、忙しいから、あんまりおそわれないんだ。」
「そうか…なら、お兄ちゃんが教えてあげようか?」
「ほんとー?ありがとー、おじちゃん!!」
さらに教会でも
「おおお、アンジェロ殿助かります。実に素晴らしい神聖呪文の使い手でいらっしゃる。」
「いえ、神父様のお役に立てて光栄です。時に、こちらの教会には、あまりよその教会から人がいらっしゃらないようですが?」
「ええ、田舎の教会なものでしてね。人様がいらっしゃるのは、アルバート家のお屋敷くらいなものです」
「ほう…左様ですか…」
思いっきり殊勝な様子のマルチェロに、ゼシカは 可愛い額に不愉快の眉を寄せ ています。
「ククール、あの 内面イヤミ 、今度はナニたくらんでるワケ?」
「…」
なんにもたくらんでないよ、ゼシカ。 兄貴は本当に改心したんだよ。
と、リーザス村の中心で、兄への愛を叫びたいククールでしたが、間違いなくゼシカに灼熱極大魔法で生きながら火葬にされそうなので、黙って微笑むことにしました。
ゼシカは激しく不安そうですが、兄のやっている事は間違いなく、リーザス村のみなさまに好印象を与えていました。
そして。マルチェロは屋敷内でも、働きはじめました。
「お客様にそんな事をしていただくわけには…」
と、激しく辞退するメイドや他の使用人に
「働かざるもの食うべからず!!」
で押し通し、じゃがいもの皮むきから、庭掃除、ゴミ捨てと、こまネズミのように働きます。
そもそもマルチェロは、野心家、偽善者、なりあがり者、イヤミ、デコ、と罵られたことはあっても、怠惰とだけは言われたことがない男です。
修道院で騎士団長の任にあった時は、他の騎士団員の一日分の睡眠時間が一週間分の睡眠時間だと言われるほど、一日中仕事をしていました。聖堂騎士団の訓練から、寄付の要請、自身の出張礼拝、巡礼の警護、僧としての雑用、異教徒の拷問、オディロ院長のうっかり生暖かい笑みを漏らしたくなるような駄洒落を拝聴する、などの、超がつくほどのハードスケジュールをこなし、ククールをいびる時間まで設けていたのですから、極東のジパングの民もビックリです。
しかも、そのどれも余人を感嘆させるほどの手際のよさでこなすのですから、最初は目もあわせないようにしていた屋敷の使用人たちも、だんだんとマルチェロに打ち解けるようになってきていました。
「いやあ…アンジェロさんの包丁さばきはスゴいね。なんせ、一センチ角の角切りって言ったら、ミクロン単位まで正確なんだよ。いや、ホントあの人、実は世界的に高名な板前だったりしないかね?」
「アンジェロさんに、窓の桟のお掃除を頼んだの。そしたらね、終った後をツツツーって指でやったら、指がちいとも汚れなかったのよ。スゴいでしょー?あの人、よっぽど厳しいお姑さんにシゴかれたのね。」
「アンジェロさんに、黄ばんじゃったタオルのお洗濯をお任せしたのよ。そしたらスゴいのよー!?なんと、花嫁さんのドレスくらい純白になって返ってきたのよ。あの人、魔法使いかなんかかね?」
使用人たちの賛辞を聞くたびに、ククールは自分が褒められたかのように得意になりました。
やっぱり兄はスゴいのです。やっぱり兄はエラいのです。
兄には確かに、いびられたり、いじめられたり、イヤミを言われたり、虐待されたり、拷問されたり、殺されかけたりしましたが、それでもやっぱりこの兄の弟なオレで良かった♪
ククールは心底そう思いました。彼はずっと、兄と仲良し兄弟になりたかったのです。
そしてその晩。労働して戻ってくるなり、ノートになにやら几帳面に書き込んでいる兄に、ククールは優しく声をかけました。
「兄貴、疲れたろ?肩でも揉もうか?」
「なに、聖堂騎士団長と院長を兼任していた頃に比べれば、物の数でもない。」
兄はそういうと、ノートを一生懸命めくったり戻したりしながら、ぶつぶつと呟き、そして指折り数えたりし続けました。
そして
「喜べ、ククール。」
と、ようやくククールの方を向いてくれました。
「オレはとうに喜んでるよ。」
だって兄貴と兄弟でいれるんだから♪
そう言おうとしたククールに、マルチェロは言いました。
「お前も予備調査を行っていたのか。それなら話は早い。」
「…よび…?」
ククールの危機管理第六感が、アラームをぴろぴろと鳴らし始めました。
そんなククールの、微妙にひきつった顔を見たのか、見ていないのか。兄は朗々と次のように語りました。
「現地に立脚した調査の結果、当アルバート家の財政基盤は四割の圧縮が可能、そしてアルバート家の領地であるリーザス村の税金は、村民の支持率を下げずに、二割までの増税が可能であることが判明した!!」
そして、心底楽しそうにアルバート家及びリーザス村財政改革構造案を語る兄の、端正で自信に満ちた横顔をぼんやりとながめながらククールは、
やっぱり、この人を理解する事は自分には不可能ではなかろうか。
と、半ば絶望しながら思った…そうですよ?
現代日本にマルチェロみたいな、
有能で電波で気宇壮大な政治家
は、欲しいんだか、欲しくないんだか…
とりあえず拙ブログのノーマルククールは、兄が大スキな分だけ、兄に泣かされる可哀想な美青年です。