(彼氏+彼氏)2




毎度おなじみの、兄貴と同期の聖堂騎士トマーゾ視点のお話。
タイトルは「カレシカレシの事情」とお読みください。
相変わらず、他人の幸せを“無意識に”踏みにじるマルチェロのお話です。






















マイエラ修道院付属の孤児院で、俺が子どもたちと遊んでいたら、オディロ院長が入って来られた。

院長の子ども好きは周知の事実だし、俺も多忙な世話係の修道士に頼まれてしていた事だから、少しばかり礼をしただけだった。



院長のお話…正しく表現するとダジャレだろうが…は子ども達の人気の的で、子ども達は相手が如何に偉大で有り難い方かなんて気にもせずに

「おじいちゃん、こないだのお話の続きを話してー。」

「そうそう、楽しいことを知らない可哀相な大魔王を改心させる、ダジャレ勇者のぼーけんのお話ー!」

「勇者とっておきの

『病は気から、住まいは木から、甘いは砂糖から…お前の考え方なんてシュガーだっ!!』

ってダジャレが通じなかった勇者は、大魔王に負けちゃったの?」


「おおよしよし、そこまで話しておったか。では、続きを…大魔王にダジャレが通じなかったのは、大魔王が最初から悪者だったからではなく、大魔王がたくさんの不幸に会ってきて、心がすさんでおったからじゃ…じゃから、ダジャレで笑う余裕もなかったのじゃよ…」

「大魔王、かわいそう。」

「勇者のダジャレは、あんなに面白いのに…」



俺は院長の話すら理解出来ない小さい子の世話をしながら、

(この話は、もしや副団長どのへのあてこすりではなかろうか)

と、そんな訳はないと思いつつ聞いていた。






「…と、今回はここまでじゃ。」


勇者渾身のダジャレが炸裂し、鉄面皮大魔王の唇の端がついに緩んだところで、院長の話はひとまず終了となった。

子ども達はとりあえず満足し、俺もとりあえずの世話も終ったので孤児院を出ようとしたところで、院長に呼び止められた。



「トマーゾ、いつもいつも孤児院の子ども達の世話をしてやっていて、本当に感心じゃのう。」

「いえ、子どもの扱いには慣れていますし、何より自分は子どもは割と好きですから。」

「ほう…確かお前は、一番上の子じゃったのう。」


俺は、一介の聖堂騎士の家族構成まで覚えている院長の記憶力に少しばかり感心した。


「ご記憶いただけていたとは恐縮です。何せ、弟と妹が二人ずついるものですから…」

弟、妹、弟、妹、とマーチのように順番の配列された弟妹たちと暮らしていたため、俺は子どもの扱いには少しばかり自信があった。

もっとも、聖堂騎士の職務に別に“子守”は入っていないのだが。



「いやいや感心感心、お前さまは良いお兄ちゃんじゃったのじゃのう。」

しきりに聖者たる方に感心され、俺は僅かに照れてしまい、


「いえ…ですが自分は聖堂騎士ですから、それが自分の子どもを育てるのに生かせる訳でなし…」

と、余計な事を口にして、そして、自分の台詞に僅かに落ち込んだ。






俺は聖堂騎士であり、そして聖堂騎士とは騎士でありかつ聖職にある者を示す名称である以上、妻を娶り、子を儲け、女神に祝福された家庭を為す事は叶わない身だ。


聖堂騎士となる際に既に覚悟は決めた事であるが、それでも、弟妹たちが結婚し、連れ合いと喧嘩しただの、子どもが出来ただの、子育てが大変だのといった知らせを手紙で受ける度に、なんとももやもやとした感情が沸き起こることは否めない。



俺も、妻を娶り、子を儲け、家庭を支えるために俗世のわずらわしさに忙殺されていたのだろうか






俺が、“悪魔の子”でなかったら。






「トマーゾや、女神にお仕えするのは大変かね?」

オディロ院長が、じっと俺を見つめた。

俺は慌てて否定したが、院長は続ける。



「修道院というものは、規則と戒律で出来ておるからのう…やってはならんことでいっぱいじゃ。ワシのようなじいさまになるともう慣れっことはいえ、お前さまのような若いのには、さぞや息苦しいものじゃろう。」

「いえ、滅相も。女神にお仕えし、心の平安と来世の救いを求め、聖者たる院長猊下にお仕えして、猊下の御身とマイエラの治安を守る日々に、なんの不満がありましょう。」


俺はそう反論したのだが、院長は…さすが聖者だけあって、どこかの誰かのように怒りの面持ちではなく、むしろ哀しそうな面持ちで…仰った。



「トマーゾや、聖職にあるということは、自らの自由意志で求められる事でなくてはなるまい。女神は我等か弱き人の子に、自ら選択する自由意志を与え給うたのじゃ。なれば、人の子がその子を、その望みに有らずして聖職へ進ませることは、果たして有り得べきことなのかのう…」






子どもたちの幾人かが、きょとん、とした面持ちで院長を見ていた。

普段は決してひけらかすような真似はしないが、院長は

“いざ本気になれば、あの、マルチェロ副団長ですら叶わないのではないか”

とも噂される、サヴェッラでも有数の碩学であった由。



「いや、すまんのう…つい愚痴を言うでしもうたわ。」

俺もさして神学には詳しくはないが、院長がついつい孤児院で愚痴を漏らしてしまう理由は知っていた。


マイエラの聖堂騎士というのは、そもそもは式典の儀杖兵がその元ともされる…平たく言うと“カッコいい”聖職者で、少年たちの憧れの的とも言える職である。

だが、身分だなんだ等のやかましい規定が有り、なんだかんだ言ってその聖堂騎士になれるのは持参金をつけてもらえるような貴族の出が多い。

貴族の側も、継がす家がなく、かといって部屋住みのまま放っておく訳にもいかない丈夫な二三男や、俺のような相続をややこしくさせる私生児を公的に非婚の状態に置くためなどの理由で、他人聞きの良い聖堂騎士にする事が多かった。


結果、女神にその身を捧げたいとは露とも思わない公達が多く聖堂騎士団に入団し、風紀を乱すこととなっている。

もちろん、それは今に始まったことではないが、当の聖堂騎士団長ジューリオ殿があの有様なため、最近は特に酷い。

かと言って、聖地とは名ばかりの貧乏所帯なこのマイエラ修道院を支えるのが、その貴族たちからの少なくない寄付金や持参金であるため、院長もそうそう嫌とも言えず、聖者たる彼の方もついつい愚痴が出てしまう事となっているのだ。






“あの”副団長どのがいなければ、事態は更に悪化していたに違いない。






「トマーゾや、お前でも女神にお仕えする事に対して疑問を抱くことがあるやもしれん。俗世に戻り、妻子を儲け、俗業に勤しみたくなったしても、それは恥じる事ではないのだよ。」

「いえ…あの…」

俺は、そもそもそんなに流暢に動きはしない口が、ますます動かなくて難議した。


確かに、俗世にあって平凡な生活を営む事に対する憧れはあるが、それはあくまで“憧れ”であって、今すぐここを飛び出したいというものでもない。



「院長、お言葉を返す無礼をお許し下さい。確かにこのトマーゾ、未だ修行の至らぬ身ではありますが、それでも女神に対する信仰に揺らぎがあるものとも思ってはおりません。自分の身は女神に捧げた身、それを汚したいとも思いませんし、女神と猊下に対する献身に僅かな疎かもあろうとは考えておりません。」



オディロ院長は、白い髭にうずもれたような小さな瞳をぱちぱちと瞬かせると、仰った。



「いやいや、すまん。別にお前さまに苦言を呈したかった訳ではないのじゃ。お前さまはいつもいつもよう働いておる。お前は本当に良い子じゃ。」


“良い子”

という年からは相当離れてしまった俺は、その言葉に苦笑した。



「女神に仕える…なんぞという難儀な道を選ぶのは、心底“そうしたい”と思う者だけで良いのじゃ。」

院長は優しい瞳でそう仰ると、



「人には自由意志というものがある。自ら為したいと思うことなしに、女神に仕えるということを“強制”される事の、如何に恐ろしいことか…」

ふ、

院長の面持ちが曇った。



俺がついそれに好奇心を抱いてしまい、口を開きかけた時だった。









「聖堂騎士副団長マルチェロ、院長をお迎えに参上いたしました。」

涼やかな声が、室内に響いた。






「おおマルチェロ、もう時間かね?」

「は、あちらまでは不肖マルチェロが護衛申し上げます。」


副団長マルチェロはそう言うと、俺の姿を認めて、そして言った。


「聖堂騎士トマーゾ、貴官はジューリオ団長にお供するのではなかったのか?」

「はい、左様です、副団長どの。」


「マルチェロや、トマーゾはこの孤児院を手伝ってくれていたのだよ。」

「左様ですか…ご苦労、トマーゾ。だが、貴官は聖堂騎士。本務は騎士団に存在するはずだ。そろそろ団員宿舎に戻りたまえ。」


俺は返答すると、院長に一礼した。


「ではお気をつけて。そして副団長どの、先に参りまして、お待ち致しております。」

「うむ、では旅途、貴官らに女神の御加護があるように…」




















「…恵まれた男ってのは、いるもんだよな…」

俺は、別に誰に言うとでもなく呟く。


「ヴォルタ准隊長どのの事ですか?」

なのに、的確な返答を返してくる奴もいる。



「どうして分かるんだよ、アントニオ。」

俺は、同じくジューリオ団長の供をして、双頭蛇騎士団との合同演習にやって来た、妙に涼やかな顔立ちをした新参の騎士団員に答えた。



「ですがトマーゾ先輩…」

「トマーゾでいいよ。」

「顔に書いてありますよ。」

「…」

俺は、無駄と知りつつ顔を撫でた。

俺は昔っから単純な質で、なんでも顔に出易過ぎる。


アントニオはやはり涼やかな顔で、続けた。



「ヴォルタ双頭蛇騎士団准隊長。勇名高き伯爵家の三男。威風堂々、筋骨隆々たる偉丈夫。武芸に優れ、指揮官としての軍才にも優れ、将来を嘱望された若き逸材。」


アントニオは、俺の表情を、


ちら

と窺って続けた。



「しかもその武名から、別の伯爵家との縁談も整っていて、その令嬢と結婚することで、晴れて未来の伯爵の座も約束される…」






俺は“女の子にモテそうなブロンドの美形”な外見をした後輩をちょっと睨んでやるが、そいつは新参のくせに怖じる風もない。


もっとも、俺には図体の割りに迫力というものがあんまり足りてないのは確かなんだが。









「グリエルモさまっ。」

演習の場には不似合いな、妖精の様な明るく無邪気な少女の声が響いた。



周囲の反応と、少女とヴォルタ准隊長の様子からすると、どうやら彼女が件の“伯爵家の家付き令嬢”らしかった。


ヴォルタ准隊長は、その濃い褐色の髭を蓄えた、見るからにいかつい面で渋面をつくってみせていたが、婚約者の気安さか、少女には怖じる気配もない。


しきりに話しかける少女に遂に根負けしたのか、ヴォルタ准隊長は

「分かった分かった、リーズライン、ちょっとだけだぞ。我輩は多忙なのだ。」

と言って少女を連れ出した。






「トマーゾ先輩。」

「トマーゾでいいってば。」

「ちょっと追いかけてみません?」

アントニオの言葉に、俺は異論を挟んだが

「まあまあ、恋人達の幸せを分けてもらいましょうよ。」

というその言葉に説得され、どうせ仕事もなかったこともあって、少しだけその場を離れた。










ほんの僅かだけ視界を遮る木陰に、ヴォルタ准隊長と、その可憐な婚約者どのはいた。

図抜けた大男の准隊長に比べて、体積で言うと五分の一程度しかないのではないかと思われるリーズライン嬢は恐れる風も見せず、小鳥の囀るような声で、婚約者に向かって楽しげに話しかけていた。






「しかし小さいお嬢さんだな…いくつだろう。」

「十四らしいですよ。なんでも、十五になったら晴れて婚儀を挙げるとか。」

つい先日到着したばかりだと言うのに、相手側のプライベート情報に詳しいアントニオに俺は不審の目を向けたが、アントニオは涼しい顔だ。



「確かに小柄なお嬢さんですが、小さく見えるのは、あの准隊長どのが大きすぎるからではありませんか?」

「まあ…そうかもな。グリズリーとリリパットくらいのサイズの違いだ。」

「グリズリーはともかく、また可愛らしいリリパットですね。」



リーズライン嬢は、光るような栗色の髪に似合う薄紅色のリボンで髪を留め、同じ色の軽やかなドレスを身に纏い、そこだけは婚約者と同じ色の濃い色の瞳をきらきらと輝かせて、しきりに話し続ける。

しかと話の内容は聞き取れないが、二人の表情から察するに、数日の演習のせいで彼女に会いにいけなかったことを准隊長どのが責められているらしかった。





「あんまりですわ、グリエルモさま。毎日会いに来てくださるって約束したのに…」

可愛らしい声が高くなったので、俺たちの所まで彼女の声が届いた。



「あまり無理を言うものではない、リーズライン。我輩は職務中であり…」

「あら酷いですわ、今からそんな事を仰るようでは、結婚してから先が思いやられます。」


ぷうっ

リーズライン嬢は、可愛らしく脹れてみせた。


「困った我が婚約者どのだ…我輩こそ、これでは結婚してからの事が思いやられる…」

准隊長どのは、焦茶色の髪を、やれやれと振ってみせた。





「…」

俺は、激しく釈然としない思いを抱えながら、そのやりとり…幸福な痴話げんかとでも評すべきもの…を見守っていた。

「やれやれ、見てられませんね。」

自分で“恋人達の幸せを分けてもらおう”なんぞと提言しておきながら、しれっとした顔でアントニオが言う。

もしかしてこいつ、ただの覗き見好きなのかもしれない。

「全くだよ…」

俺は、なんとも羨ましすぎる人生を歩む眼前の男とわが身と引き比べた。



相続争いを避けるために聖職に就けられ、女神さまに永遠の貞節を誓わねば成らないこの身に引き換え、こいつは地位も職も身分も、そして十四歳の可憐な婚約者まで…



俺は小さくため息をついた。








女神よ、貴女はなんと不公平なことか。








「キスしてくれたら、許して差し上げますわ。」

見られているとも知らないリーズライン嬢は、乙女にしては大胆な提言をした。

准隊長は、あたかも重さがないかのように小柄な婚約者どのを持ち上げると、彼女はそのさくらんぼのような血色の良い唇を婚約者に重ねた。





ちゅっ





という、なんとも甘酸っぱい効果音が聞こえた気がした。



「…戻るぞ、アントニオ。」

俺はもうそれ以上見続ける気力がなく、見咎められないようにその場を離れた。


その後の職務中も、俺はなんともむず痒い不快感で心の中がいっぱいだった。



















「気分直しに、飲みに行きましょうよ、トマーゾ先輩。」

アントニオの誘いに、俺は先輩の立場としては苦言を呈すべきだったのだが、素直に頷いた。



幸い、と言おうか、鬼のマルチェロ副団長どのはまだ不在で、そしてジューリオ団長どのは、目障りな副団長どのがいないからか、やたらと機嫌が良かった。ちょいと羽目を外すには、絶好のシチュエーションだったのだ。





「いやあ、なかなか目の毒でしたね。」

自分で誘っておきながら抜けぬけと言うアントニオに、だが俺は頷いた。



聖堂騎士である手前、まさか制服で飲みにも来れず、私服に着替えて酒場の隅でこっそりと飲んではいたのだが、やはり酒がはいるうちに声も大きくなってきた。



「まったく…まったくだアントニオ、まったく…」

俺はそこまで言って、後が続かなくなった。

「まったく…なんです?」

「…」



許しがたい…と続けたくはあった。

が、確かにあの時は公私混同ではあったが、それを覗いてはあの准隊長に特に非難すべき点は見られないのだ。

地位も名誉も可憐な婚約者も、彼が自らの才能と、そして女神のご寵愛を発揮して手に入れたものであり、何ら非難すべき手段をとって得たものではない。

俺が今、腹を立てているのは単に羨ましがっているだけで、つまり…





「俺って…心が狭いよな…」





広大無辺の慈悲を持つ女神の僕なのに、どうして俺はこうも僻みっぽいのか。

俺は自分が情けなくなってきた。





「トマーゾ先輩、あれあれ。」

アントニオの言葉に俺が落ち込みかけた顔を上げると、そこには見間違えようのない巨漢が陣取っていた。


慣れた様子で給仕の娘に料理を注文し、引き連れた部下に上機嫌で何やら言っては、豪快に笑うその男の腕には、片腕に一人ずつ、計二人の色っぽい女性が抱えられていた。



「ああ、ヴォルタ准隊長どのは豪傑だけあって、酒も女も大好きだそうで…」

また聞きもしないのに、耳聡さをアピールする後輩相手に

「婚約者がいながら、別の女性を連れまわすとは破廉恥な…」

と“小声”で言いながら、俺はこそこそと相手の死角へと位置を移動させた。



何せ向こうは俗界騎士だから良いとして、こちらは聖堂騎士であり、あんまり堂々と飲み屋に出入り出来る身分ではない。

うっかり見付かるとバツが悪いので、そうしたのだが…







俺は、デカい。


確かに実家は貴族だから、庶民よりいいものは食べて育ってきたが、だが俺の家族は俺を除いて、父も義母も弟妹たちも皆小柄だった。

それで、家族で一人だけ図抜けて大柄な俺は、何とも言いようのない疎外感を感じて育った。



「トマーゾ、お前は母親に似たんだよ。ああ、彼女は背の高い、美しい人だったからなあ…」

うっとりと昔日の恋に思いを馳せる父の言葉を聞きながら俺は、俺が母親似だとしたら、それは決して美人ではないだろう、と感じていたが、父に対する配慮から、もちろん口には出さなかった。



聖堂騎士になってからは、確かに周囲は筋骨逞しい世間標準からは遥かに丈高い男たちばかりになり、俺の身長もそれほど目立たなくなったかに見えたが、修道院の粗末な食事もなんのその、俺は成長期の続く限りぐんぐん伸び続け、ついにやはり世間標準からしたら相当高い筈のマルチェロ副団長をして



「お前といると、私が小柄に見えるな。」

と言わしめる大きさになってしまった。





いや、俺は聖堂騎士であり、騎士である以上、大柄なのはむしろ望ましい事であるのだが、これだけデカいと、人目について仕方がないため、隠密行動というものがほとんど不可能になる。



つまり、俺が何を言いたいかというと…







「おお、貴殿は…」

俺はあっさりと向こうに見付かり、


「まあ、こちらへ参られい。」

と、グリエルモ・マリーオ・ヴォルタ准隊長一行のテーブルに連れて行かれてしまった。







「はっはっは、しかしいい体躯をしている。」

ばんばんっ、と無遠慮に、そして強い力で背中を叩かれ、俺は勧められた酒を吹きかけた。



「これだけの体躯の持ち主は、栄光ある我が双頭蛇騎士団にもいまい。」

「ですが、ヴォルタ准隊長どのは更に雄大な体躯と拝見しますが。」

俺の巻き添えをくって連れて来られたくせに、すぐに雰囲気に馴染んだアントニオが、にこにことお愛想笑顔を浮かべて言う。


「ええ…確かに自分も大柄ですが、准隊長どのには敵いません…」

俺も“目をつけられないように控えめに”口にする。



というか、別にお愛想でなくても、俺より大きな男など、そうめったにいない。

そもそも巨漢揃いの聖堂騎士の中でも、俺が一番高いというのに。



まあ、戦いを職にするものが体躯を褒められて嬉しくない筈はない。

准隊長どのは心地よげに黒々としたあごひげを撫で、取り巻く婀娜な女達がしきりにその体を撫ですさる。





女神さま、やはりこれは不公平ではないでしょうか?








「英雄色を好むと言いますが、やはりヴォルタ准隊長どのの周囲には美女が集まると見えますね。」

俺一人だと会話が続かないのを察してか、アントニオが場をつないでくれた。


「いやいや…グリエルモで結構!」

「では、グリエルモどの、昼間も妖精のような婚約者どのが…」

「はっはっは、あの娘にも困ったものでしてな!いくら家付き娘とはいえ、演習の最中に参るなど、いやはや…」

満更でもない口調で嬉しそうに婚約者の“困った点”を挙げるこの男に、俺の“僻み心”がまたむくむくと頭をもたげた。



「いやはや、お羨ましい事です。」

アントニオはしれっとした面持ちで場を取り繕う。

こいつ…トロデーンの司教の猶子のくせに、どうしてこんなに場の取り持ちが上手いんだろう。

俺は、男の酌で…何故か婀娜な女達は准隊長には酌をしても、俺には注ぎもしなかった…勧められるままにぐいぐいと呷った。
















目覚めると、頭がズキズキしていた。

入る体積は大きいはずなのに、俺はさして強くない。



「お早うございます、トマーゾ先輩。昨日は相当荒れてましたけど…」

「…やっぱり?」

「はい。さすがにあの場では黙って聞いてましたけど、その後で私相手にさんざ愚痴ってましたよ。」


まあ、相手は俗界騎士ですから、謙譲の美徳なんて知らないんですよ。

アントニオはそう言って慰めてくれたが、俺の気は頭痛もあいまってまるで晴れなかった。



「いっそサボりたいな…今日の仕事は…」

俺は、あの巨漢の准隊長と再び顔を会わせるのが嫌さについつい似合わない台詞を吐いてしまったが、


「でも、今日はマルチェロ副団長どのがお着きになるはずですよ?」

そうと聞いては、酒の臭いすら残す訳にはいかない。



はあ…

俺は再びため息をつき、顔を洗うべく水場へと向かった。














「聖堂騎士副団長マルチェロ、ただ今参上いたしました。」

張りのあるその声を聞いたジューリオ団長は、いい年をして露骨にいやな顔をする。


「うむ、オディロ院長の護衛任務ご苦労。」

だがマルチェロ副団長は、その端正な容貌にわずかな感情も浮かべはしない。


「双頭蛇騎士団の将軍方に挨拶を申し上げて来い。」

ますます不愉快そうな面持ちで、団長はそう命じ、マルチェロ副団長はそれに従った。



そして、俺とアントニオは案内役を命じられた。













「マイエラ聖堂騎士団副団長マルチェロにございます。遅参いたしました無礼は、平にご容赦の程を…」

毎度のように完璧な礼儀と、完璧に優雅な挙措での挨拶だった。



もっとも、もういい加減それを見慣れている俺は、それよりもその場にあの准隊長がいない事にほっとしていた。

どうせ挨拶だけであるし、さっさとこの場を撤退したい…



そんな俺の、そんなささやかな願いも空しく。





「遅れ申した…」

あの巨体が、天幕の中に入ってきた。





俺は嫌な顔を隠すように下を向いたが、アントニオが俺をつついた。



「…?」

俺が仰ぎ見ると、准隊長は視線をマルチェロ副団長どのにやったまま、硬直していた。













奇妙な静寂。










「…?」

さすがにマルチェロ副団長どのが不審がり、声をかけようとしたその時。












グリエルモ・マリーオ・ヴォルタ准隊長が獲物を取り落とす派手な音が、その沈黙を打ち破った。















「…一体なんなんだろう?」

俺は、マルチェロ副団長と話し込むヴォルタ准隊長を見ながら、小さく呟いた。



あの、なんとも奇妙な初体面以来、この男はしきりに我が聖堂騎士団の宿舎にやって来るようになった。


そもそも面倒くさがりなジューリオ団長が、そんな頻々たる来訪にいちいち対応するはずもなく、自然、彼の対応はマルチェロ副団長の仕事となっていた。



確かに、合同演習先の准隊長といえば丁重な扱いが求められるものではあるが、こうも頻々とやって来られては、自然とその扱いもお座なりになりがちとなる。

いくら、万事にソツのないマルチェロ副団長であっても、しきりに仕事を中断される不快さは相手に伝わらぬ筈はないのだが、不思議とヴォルタ准隊長には伝わらないようだった。






今日も今日とて、特に急ぎもせねば重要でもない事柄を、真剣にマルチェロ副団長を見つめながら話し込むヴォルタ准隊長を見ながら、俺はそっとアントニオに聞く。


アントニオはなぜか、にこにこと含み有りげな笑みを浮かべた。


「なんだ?なにか心当たりでもあるのか?」

俺は本気で分からずに問うたのに、アントニオはその笑顔のまま、


「さあ…て…」

と、意味ありげな返答を返すばかりだった。






自分で認めるのもなんだが、俺は鈍い。

だから、一体、ヴォルタ准隊長に何が起こっているのかなんて、皆目見当がついてはいなかった。













合同演習も終わり、俺たちがマイエラ修道院に戻ることとなった。


双頭蛇騎士団の面々は礼儀正しく、そして好感のもてる名残を惜しみ、ヴォルタ准隊長は、やや度外れなまで激しく別れを惜しんでくれた。



「まあ、ようやくわたくしと一緒にいる時間がとれますのに…」

ヴォルタ准隊長の、可愛らしい婚約者どのがやや礼に外れた可愛らしい不平をこっそり漏らしていたのが、俺の意識に残った。












そう、マイエラに戻ってからは、厳しいが特に変わり映えのない日々が続いた。


一介の聖堂騎士の俺は、女神に祈り、女神の剣としての鍛錬に励み、雑用をこなし、時に暇も潰しながら、ただ流れ去る日々を過ごしていた。












その日、俺は修道院の門番をしていた。



さすがに巡礼の姿も絶えた日暮れ頃だった。



「…!?」

目深くフードを被った巡礼の姿…それだけなら、珍しくもなんともない。

ただ、激しく俺の目をひいたのは、その度外れた図体のデカさだった。



聖堂騎士をしていると、そんじょそこらの巨漢では、目慣れてしまって驚きもしないが、それでも俺の目を驚かせたその姿。



「…マル…いや、マイエラ大修道院長オディロ猊下にお会いしたい…」


「…オディロ院長は、ただ今、アスカンタ国王ご病気のため、アスカンタに病気平癒の祈祷にご出向中だ。」

「では、ジューリオ団長殿はおいでか?」

「だから、団長殿もそのお供で今はご不在だ。」



巨漢の巡礼は、なぜか嬉しそうなため息を漏らすと、なぜか喜びすら感じられる息遣いで言った。



「…ではっ?マルチェロ副団長殿、はいらっしゃるのだな!?」

「おられるが…もう遅い。この先のドニの町で宿を取られて、明朝、出直されよ。」



「いやっ、是非に今!!マルチェロ副団長殿にお会いしたいのだッ!」

そう言うと、巡礼は目深に被ったフードを上げた。






「ヴォルタ准隊長…」

そこには、あのアクの強い濃い髭を蓄えた、あの巨漢の軍人の顔が有った。






「な…なぜにそのようなお姿で…」

俺は慌てて敬語にすると、そう問うたが、



「我輩は是非に、マルチェロ副団長にお会いしたのだ!!お取次ぎ願おうッ!!」

と強い口調で言われ、慌てて修道僧見習いに命じて、マルチェロ副団長を呼びに行かせた。











「ヴォルタ准隊長、このような時間に、そのようなお姿で、この修道院へお越しとは…」

さしものマルチェロ副団長も、その意図がまるで読めずにいたように見えた。






「…マルチェロ副団長っ…!!ああ、夢にまでそのお姿、見ましたぞッ!」

ヴォルタ准隊長は、感極まったように叫ぶと、あたかも聖者に対するように、突如、その場へ跪いた。









「…」

「…」

俺はもちろん、当のマルチェロ副団長も唖然とする中、聖者に拝謁して恍惚状態に陥った信徒のような陶然とした口調で、ヴォルタ准隊長は続けた。



「ああ…ああ…マルチェロ副団長、相も変わらず、女神の騎士の鑑たるに相応しい凛々しいお姿…我輩は…我輩は、貴方のそのお姿を拝見したくて、こうして、全てを捨てて参ったのです…」



「…ヴォルタ准隊長…」

さすがに俺より立ち直りの早かったマルチェロ副団長がそう呼びかけると、



「そのような家門名も、軍人としての地位も捨てました…マルチェロ副団長、ただ、グリエルモ、と、そうお呼びくださいッ!!」

そう言って、フードをかなぐり捨てたヴォルタ准隊長の…いや、もうグリエルモと呼ぼうか…グリエルモの頭部には、あのふさふさとした濃い褐色の髪は一筋もなく、その頭皮は灯火を受けて光り輝かんばかりに剃りこぼたれていた。






「マルチェロ副団長ッ!!我輩は、我輩はッ!女神と貴方さまにお仕えすべく、俗世の縁と髪を、全て捨てて参りましたッ!!」



そう叫ぶグリエルモの口調は、悲痛さよりも、まるで恋に酔ったかのような陶酔感がたっぷりと含まれていた。















それから後が大騒ぎになったのは、まあ言うまでもないだろう。



将来を嘱望された騎士団の准隊長、未来の伯爵であり、将来は将軍とも目された男が、なにもかも捨てて神の道に入るというのだから。


当然のように、双頭蛇騎士団の上官や、グリエルモの実家の伯爵家からは、なんとか彼を翻意させようと続々と説得が来たのだが、グリエルモは頑としてその決意を変えようとはしなかった。











「吾輩は女神に一身を捧げると誓った身!!」

グリエルモは、その剃り上げた頭に血管すら浮かべて、上官だの、家族のものだのにその決意を叫ぶように語り、



「女神に身を捧げるとは、まったくなんと喜ばしいことでありましょう、な、マルチェロ副団長殿!?」

と、なぜかとても嬉しそうに、対応に追われているマルチェロ団長を振り向いた。






いくらあのマルチェロ副団長ではあっても、こんな突発事態には内心困惑していたのだと思う。

誰かの支持を仰ごうにも、オディロ院長も、ジューリオ騎士団長もアスカンタから戻れる状態ではない。

なんでも皇太子のパヴァン王子が、国王の危篤状態に非常に動転しており、オディロ院長を放してくれないのだそうだ。



それでも手紙をよこしたジューリオ団長の指示は、一言で要約すると






出来るだけ穏便に事を済ませるように






「騎士団長殿は、こちらの状況もご存じないで簡単におっしゃって下さるものだな。」

マルチェロ副団長が冷笑しながら呟くような返書であったが、ジューリオ団長の気持ちも分らないではない。


マイエラ修道院の副収入として、新たに聖職に入る者の家族からの寄進というのは大きいものなのだが、こんな入団の仕方では、家族からの寄進など望めたものではない。

それどころか、その親類縁者一同に睨まれて、今後の寄付に悪影響を受ける可能性の方が高いだろう。


わざわざリスクを犯してまで、そんな人間を受け入れたくない…というジューリオ団長の気持ちは分かる。



分かるが…仮にも女神の道に入った者が、そこまで即物的な判断をしてもいいのだろうか?









当のグリエルモは、見習い聖堂騎士の服…とはいっても、あの図体に合う服などどこを探しても見つからなかったので、お仕着せにも程があるみじめな服に身を包みながら、日々の“雑用”に勤しんでいた。






「…アントニオ、一体グリエルモは何が楽しくてあんなに嬉しそうに掃除をしてるんだろうな。」

俺は、本気で理解できなかったのだが、アントニオは俺より六つも年下のくせに、全てを悟ったような顔で事態を眺めている。

俺にはそれが不思議でたまらなかった。



「そりゃあ、女神さまにお仕えできることは歓びなんでしょう、貴方は違うんですか、トマーゾ先輩?」

「いや…そりゃあ、女神に祈る生活が苦痛だと思わないけどさ…」

そもそも“自己意思”から離れた“大人の事情”とやらで聖職に入ることになった俺には、俗世における全てを捨てて女神のお膝元に飛び込もうという、その激情の依って立つものがよく分らない。

そりゃあ、今すぐ還俗したいなどとは露も思わないし、今の生活には満足も誇りも持ってはいるが、かと言って俺が彼の立場なら、絶対にすべてを捨てようとは思わないだろう。



くすくす

少女のような笑いを洩らしたアントニオは、俺を見上げて言った。


「トマーゾ先輩、人が常識では考えられない行動を取るときなんて、二つに一つしかありませんよ。絶望したか…」

「絶望?いったいあそこまで恵まれた状況で、何に絶望するっていうんだ?…ああ、何度も言うが、別に先輩なんてつけなくていいってば。同じ聖堂騎士なんだから。」



アントニオは、おませな少女のような得意げな面持ちで続けた。






「恋をしたかです…」






恋もなにも…マイエラ修道院にいるのは男ばかりだぞ?シスターの一人もいやしない…

俺がそう反論しかけた時だった。






「グリエルモっ!!」

低めのバリトンが響いた。


「はっ、マルチェロ副団長…」

いくら副団長の声がよく通るとはいえ、あまりに瞬時に現れたグリエルモに、

「ここは貴官の清掃担当場所だろうがっ!!まだ汚れているぞ、愚か者っ!!」

マルチェロ副団長の一喝が叩きつけられた。



マルチェロ副団長の目の厳しさは、性悪な姑もおぞけをふるうと言われるほどで、どの新入りも必ず最初は雑巾を持ったまま泣きぬれる羽目になる。


マルチェロ副団長はいわくつきの見習いであっても容赦はしないつもりであるらしく、刃の厚いダンビラのような説教はしばらく続いた。

普通の新入りならば、目を床に落として、大の男でも涙を堪えるのに精一杯と悪名高い代物なのだが…



「…」

半分ひざまずいたまま、副団長を見上げるグリエルモの顔は、恍惚とした喜びに満ちていた。






「…」

俺は、自分でも分かるくらい微妙な面持ちでアントニオを振り向いた。


「…」

アントニオは、茶目っけのある笑顔で、それに応えた。






「良いか、グリエルモ!!この場の清掃が完了するまでは、食事は与えんからな。」

「はいっ、マルチェロ副団長ッ!!不肖グリエルモ、この命に代えても、塵一つない清掃を致しますことを、女神とマルチェロ副団長にお誓い申し上げますっ!!」









「…やっぱりそうなのか?」

「他になにがあるって言うんです?」

「いやでも、その…一体いつからなんだろう?」

「見ていたのに気付かなかったんですか?“一目ぼれ”に決まっているじゃないですか?」

「…本当?」


俺は、なぜかとても泣きたい気持ちに襲われた。



「恋心は女神が与え給うたもの。女神の意図に口を挟むものではありませんよ。」

アントニオは、にっこり笑うと続けた。






「まだまだ青いですね、トマーゾ?」






俺は、女神の深遠なる意図をわずかなりとも窺い知ることができるほど賢くない。

だから、俺がアントニオの言葉に感じたのは、



“女神よ、でもこれはあんまりな仕打ちではありませんか?”

ということと、呼び捨てにされた微かなムカつきだけだった。













「マルチェロ副団長、正直なところをお教えいただけませんか?副団長は、グリエルモを聖堂騎士として受け入れることについて、いかにお考えなのでしょう?」

俺は思い切って、そう聞いてみた。



「…聖堂騎士トマーゾ、これを読みたまえ。」

マルチェロ副団長が示したのは、手紙だった。



「は…」

俺が開いてみると、そこにはオディロ院長の優しい文字が並んでいた。






内容はわかりやすいものだった。


パヴァン王子がようやく放してくれたので、手紙を書く暇が出来たということ。

判断はジューリオ団長に委ねているので、その指示に従ってほしいということ。

そして、「あくまで年寄りの戯言として書くのだが」と前置きして、


女神に仕える心とは、あくまで自発的でなければならない。だが、自発的なものであれば尊重されねばならない。

女神に仕えることが歓びとなるのなら、それは誉むべきこと、嘉するべきことではなかろうか。



と結んであった。






「…で…」

「オディロ院長はそうおっしゃられた!」

鋭いバリトンの剣が俺の言葉を遮った。



「女神に仕えるという意思は尊重されねばならない、オディロ院長はそうおっしゃられている!」

“オディロ院長”という言葉が、無抵抗の俺に再び斬り付けてきた。



「オディロ院長は我がマイエラ修道院を統べる御方、ならば、私はオディロ院長のお言葉に全面的に従おう!!なにか異論はあるか?」

「…ございません。」

“オディロ院長”という言葉が、マルチェロ副団長の口から四度も発されては、もはやどんな異論反論も、副団長の心を微動だにさせる筈もなかった。






女神に仕える仕える生活は、確かに素晴しいものだと思う。

人が望む事は、叶えられる方がいいに決まっている。

恋をすることは、人生の至福の一つであろう。


だけど…























「グリエルモさまはおいでになるのでしょう?グリエルモさまに、グリエルモさまに会わせて下さいな!!ええ、一言なりとも伝えて下さい。貴方の婚約者、あなたの未来の汚れなき花嫁である、リーズラインが参りましたとっ!!」



小柄な少女の叫びは、一旦静まりかけていたマイエラ修道院を、再び喧騒に巻き込んだ。








修道院の横庭、小さな体で必死に訴える愛らしい少女と、粗末な見習服に身を包んだ巨漢の男は、陰ながらとはいえ、ほとんど修道院中の人間に見守られながら愁嘆場の真っただ中にあった。






「グリエルモさまっ、わたくしは悪い婚約者でした。貴方のご都合も考えず、ワガママばかり申しました。ええ、本当に反省いたしておりますわ。」

「いや…」

巨躯の背を丸めて、気まずそうな面持ちのグリエルモ。


「貴方に愛想をつかされても、仕方がないのかもしれません…ああ、わたくしはなんと愚かだったのでしょう。」

「その…」

「ですがっ!!グリエルモさま?わたくしはまだ十四とはいえ、貴方さまとはもう五年以上のいいなずけの仲でございます。そのよしみで、このような過ちはお許し頂けはしないのでしょうか?ええ、グリエルモさま。わたくしは愚かではありますが、未だ、婚約者して、そして貴方さまの未来の妻として、決してお許し頂けぬほどの罪を犯してはいないと思っております。違いますかっ?」

「いや…」

「グリエルモさま、グリエルモさまっ!!女神にお仕えすることは素晴らしいことでございましょうともっ!!ですが、それは今すぐでなくてはならぬことなのでしょうか?わたくしと結婚し、子をなし、家を為して無事その子らを育て上げることは、決して、決して、女神のみ心には反してはいませんでしょうっ?なら、その後ではならぬのですか?その後ならば、わたくしも喜んで尼僧となり、共に女神に身を捧げましょうに。」

「リーズライン…」



野次馬はみな、マイエラの者で、当然、そのほとんどが女神に身を捧げた者であった訳だが、そいつらが誰を応援していたかといったら、そりゃあ、リーズライン嬢であったに違いないだろう。



野次馬の一人として他の野次馬たちの気持ちを代弁するならば、ほとんど一言だ。






健気な少女が、必死で訴える内容が、悪であり、女神のみ心に逆らうものであるはずがない。






女神に仕える仕える生活は、確かに素晴しいものだと思う。

人が望む事は、叶えられる方がいいに決まっている。

恋をすることは、人生の至福の一つであろう。


だけど…だけどその事で、他の誰かを不幸にしてしまうなどということは、女神のみ心に叶うはずがない。

みながそう思うだろう。


そう…










たった一人を除いては、誰もが…













規則正しくも力強く、そして特徴のある足音が近づき、そして横庭へと降りてきた。






その翡翠色の瞳に一瞥されるだけで、野次馬たちが恐れ慄き、視線を外す。






黒い髪の黒い影は、なんの躊躇もなく愁嘆場まっただ中の二人へ近づくと、



「アルトワ家のリーズライン嬢であられましたな。お初にお目にかかります、マイエラ聖堂騎士の副団長を務めております、マルチェロと申します。」

余人には真似のできない優美な一礼を為した。



「…」

「…」


その一礼で、ほとんど陥落しかけていたグリエルモの表情が、その頭のように輝き、そして反対にリーズライン嬢の表情は曇った。






「グリエルモ…」

マルチェロ副団長は、礼儀はそれで尽くしたと考えたのか、すぐさまグリエルモに向き直った。



「貴公は“自らの意思”で女神にお仕えすると誓ったのではなかったのか?」

言葉としては質問形であったが、ほとんど恫喝に近いものと俺には聞こえた。



「左様でございます、マルチェロ副団長っ!!」

なのに、その言葉をほとんど0距離から浴びたグリエルモの表情は、彼の頭部が日の光を浴びたかのように光り輝いた。









あとは…言うまでもないだろう。


マルチェロ副団長の鋭くも分厚い舌鋒が叩きつけられるたびに、グリエルモの顔の輝きは増し、反して、リーズライン嬢の顔色は白くなっていった。



そして、











「…リーズライ…いや、アルトワ嬢…貴女が幸せになられることを“この修道院で”祈っております…」



止めの一言を受けたリーズライン嬢は、ほとんど倒れんばかりによろめいたが、なんとか自力で持ち直した。



紙よりも白い面持ちで、彼女は彼女の“元”婚約者ではなく、彫像のような表情で屹立するマルチェロ副団長を見上げた。



そして









「そんな、ひどいっ!!!!」

モーニングスターの打撃のような声が、マルチェロ副団長を打ったが、彼は小揺るぎもしなかった。



その後は、ただただ悲痛な号泣が修道院の壁を震わせんばかりに響き続けた。






彼女がその言葉をグリエルモではなく、マルチェロ副団長に叩きつけたのは、おそらく…



乙女の直観で、事の次第の全てを見抜いてしまったからではなかろうか…





















「おお、お前さまがグリエルモかね。」

「はっ、お初にお目にかかります、オディロ院長、ジューリオ団長殿っ!!」

相も変わらず優しい笑みを浮かべる院長と、微妙に不満そうな面持ちのジューリオ団長。



「グリエルモは剣技にも秀でており、また、神学にも日々精進いたしております。近いうちに、聖堂騎士たるに相応しい者となるは間違いないかと。」

そつなく返答するマルチェロ副団長。


「グリエルモ、確認させておくれ?女神にお仕えすることは、素晴らしいことじゃが、とても大変な事でもあるのだよ。それでも良いかね?」

「もちろんでありますっ!!このグリエルモッ!!院長と、団長と、マルチェロ副団長の御為ならば、それが地獄であろうとも喜んで赴きましょうともっ!!」

「そうかね、そうかね…ならばこのマイエラ修道院は、お前さまを喜んで迎えよう。ワシらを家族とも思うておくれ。」


“マルチェロ副団長”が、やたらと強調されていたのに気付いていたのか、いないのか。

オディロ院長は聖者にふさわしい笑みで、いわくつきの新参者を受け入れた。






「光栄でありますっ!!!!」

ほとんど泣かんばかりに歓喜するグリエルモ。



「望みが叶って良かったですね。」

呑気な感想を吐くアントニオ。


「…いいのかな?」

俺は小さく呟く。












女神よ、貴女の御心を自分なんぞが推し量る事が出来よう筈はありません。

ですが、無知で愚昧な貴女の僕が、限りなく不敬な考えをわずかなりとも抱くことをどうぞお許しください。









本当にこれでいいのでしょうか!!??








2007/5/12




マルチェロ副団長より一言「これでいいのだ」

バカボンのパパみたいなオチになってしまいましたが、何より問題なのは、書き始めてから書きあがるまでに四か月近くかかったことかと(確かに今までで最大容量の駄文になりましたが)
書きながらべにいもは改めて思いました。
「グリエルモって、やっぱりМ男だったんだ。しかもドS女王様好きの。」
こんな理由でフラれたリーズライン嬢は、とりあえずPTSD被害で、“マルチェロに”損害賠償請求くらいしても、誰も咎めないに違いありません。

そして、密かにサイドストーリーで進めてみた、聖堂騎士アントニオの性格及び、トマーゾとのカラミ(笑)どこぞではあんなに鬼畜なひとですがここでもプチ鬼畜の片鱗くらいはある模様。
相変わらずマルチェロに振り回されるトマーゾに、誰か幸いと安らぎを上げてください。


白梅さまから、またまたイラストをいただきました。
非常にシブかっこいいヴォルタ準隊長に、べにいもが一目惚れしそうです。
そして、爽やかなマルチェロの美貌にも。


下に、限りなくどうでもいいアホ駄文をつけてあります。とりあえず、アホモではありませんので、ご安心してお読みください。


童貞聖者 一覧へ










































リーズライン嬢のその後



リーズライン母「ああ、なんて可哀そうなリーズライン!本当に可哀そうに、あの子は傷ついて、もう何日も部屋から出ては来ませんわ。」

リーズライン父「だが、このままにしてはおけん。我が家は武門の家柄。あの娘にはなんとしてでも婿をとってもらわねばならんのだ!」

母「まああなた、あの子はあんなに傷ついているのですよ?しばらくはそっとしておいてやるべきではありませんか!!」

父「そうはいかん!!あの娘も我が家門に生まれた以上、何があろうとも義務からは逃れられんのだっ!!」

母「ああ、あなた、お待ちになって…」


父「(リーズラインのお部屋の前)リーズラインっ!!いつまでもべそべそするなっ!!(がちゃん)」


リーズライン「(大きなテディベアのぬいぐるみにボディーブローをしきりに食らわしながら)人のオトコ取りやがって、あのドーテイのホモ野郎…エロいからってチョーシこいてんじゃねぇぞ、あの青いМデコがっ!!(ぶつぶつ)」


母「あらあなた、いやに早いお戻りですのね。リーズラインは…」

父「(爽やかに虚ろな笑みを浮かべて)しばらくそっとしておいてやろうよ、な?」




オマケな続き「聖堂騎士団長と聖堂騎士とお気の毒な伯爵夫人」 inserted by FC2 system