描く娘

拙サイトがまだブログ運営されていた頃に 罪の告解 という、思いっきり部外者から見た兄の話を書いた事があります。
ちょっと初心に帰って、そういう趣向のお話を書いてみたいと思います。











絵を描くのは大好きで、小さなころから暇さえあれば絵ばかり描いていた。




「大きくなったら絵描きになりたいの。」

お父さまにそう言っても、よしよしと言われるだけだったのに、お母さまはそれを聞くたびに、眉を顰められたし、最近は


「まったくこの子はもうじき嫁ぐ年だと言うのに。」

と、柳眉を逆立ててお怒りになる。




そしてとうとう、わたしに一言の承諾の伺いも無しに、わたしの嫁入りは決まってしまった。

でも、貴族の娘に生まれたからには、望むと望まないとに関わらず、親の決めた相手に嫁ぐのが定め。




「まったく、まだ若いのに、こんなに急いで嫁入り先を決めなくても良かったようなものを。」

お母さまに逆らえないお父さまは、わたしにそう言って、何度も可哀想にと嘆かれた。



「だが、嫁ぐと決まっては仕方がない。お嫁入り道具は何が欲しいかね?お父さまが何でも欲しいものを買ってあげよう。」

「何でもいいの?」

「ああ、何でもいい。お前の望むものを手に入れてあげるよ。可愛い娘や。」

お父さまはそう仰ったから、わたしは言った。




「お父さま、わたし、聖堂騎士団長のマルチェロさまを描きたいの。自分で描いたあの方の肖像画をお嫁入り道具にしたいの、いいでしょう?」









お父さまの依頼通り、マルチェロさまはわたしの邸に来た。

お母さま渋い顔をなさったけれど、お父さまが宥めて下さった。

いつも見ていた通りの純青の制服、漆黒の髪、そして翡翠色をした瞳。

本物のマルチェロさまだと思うととても嬉しくて、その人を自分で描けるのが本当に嬉しくて、わたしは夢中で絵筆を動かした。









余りに夢中で描いていたので、邸中の者がとても心配していたようだ。

わたしは楽しくて仕方がなかったのだけれど。

でも、「出来た」と思った直後からの意識がない。



ようやく意識が戻った時には、侍女が心配してわたしの顔を覗き込んでいたくらいだ。




「これはよく描けている。」

わたしの姿を見て、わたしの絵を眺めていたお父さまが仰った。


「生き写しとはこのことだ。」

お父さまはしきりに頷かれる。


「さすがお嬢さま、素晴らしい絵ですこと。」

「ええ、本職の画家より遥かに優れた技量ですわ。」

「騎士団長さまの瞳の色も、あの方の瞳から採ったかのように鮮やかなこと。」

侍女たちもしきりに褒め称えるけれど、わたしは自分の絵を改めて見て、


これは違う。

と直感した。




わたしはすぐさま、どこが違うか検討する。


顔の形?

制服?

違う。

確かにわたしは素人画家だけれど、技術にはそれなりに自信がある。

そんな、写し取る形を損なうことはない。


では色だろうか。

ううん、それも違う。

マルチェロさまを描けると分かってから、わたしは絵具を四方から求めさせた。

聖堂騎士の制服の純青も、そして何より困難と思われたマルチェロさまの瞳の翡翠も。

わたしはその色を出すために何日も工夫したし、その工夫は実ったはず。

だから、色でもない。




「娘よ、これだけ素晴らしい絵が描けたからには、心残りなく嫁げるね?」

お父さまは微笑んでそう仰った。




「いいえ、駄目よ。これではまだ未完成だわっ。これではマルチェロさまではないわ。」

侍女たちが困惑顔になる。

もちろんお父さまも。




「ちゃんと完成させないとっ!!」









わたしは、マルチェロさまの肖像画と共に部屋にこもった。

何度も見れば見るほど、違和感はどんどん大きくなる。

どうしてだろう。

ありのままに写し取ったつもりだったのに。

わたしは何度も絵を見て、足りない部分を探し出そうとするのだけれど、どうしてもそれが見つからないのだ。




何日も悩んだ末に、わたしは思った。

うちにいらっしゃるマイエラ修道院の聖堂騎士さまに、いつも見ていらっしゃるマルチェロさまと比べて、わたしの絵は何が足りないかについて忌憚ないご意見を伺えば良いのだと。










どの騎士さまも最初は遠慮なさったけれど、どうしてもと頼むと一言ずつ言って下さった。




団長殿はもっと勇壮にして果敢な覇気をお持ちでいらっしゃる。

マルチェロ団長は、如何な束縛をも撥ね退け、女神の高みにすら近づくお方でよ。

岩をも貫く、鉄の意志。

全ての挙措を、楽人の前の舞い手の如く行う方ですぞ。


わたしはそれを聞くたびに、描きとめた。

成程、わたしはマルチェロさまの性質を絵に描きこめていなかったのだ。

それを更に描きこめれば、きっとこの絵は今度こそマルチェロさまの肖像画として相応しいものになるはず。

わたしはそう信じながら、辛抱強く騎士さまの感想を伺った。


残忍さ、でありましょう。

思いもかけない感想をおっしゃった騎士さまもいらした。

でもわたしが書き留めかねていると


人の上に立つには、必要なものかと。

そうおっしゃったので、わたしはそれも書き留めた。


酷薄な狡猾さ、かな。

そう仰った騎士さまもいらした。


あと、イヤミと冷血さも加えればカンペキだね。

冗談めかして、更にそう付け加えなさったけれど。




そうして、わたしの創作備忘録は更に増えて行く。

けれどわたしは、それらの全てを絵に描きこめる自信がまだあった。

わたしは寝床に就くたびにワクワクしながら、マルチェロさまの全てを描き込んだ、今度こそ完璧な絵が完成するのを思い描いたのだ。






オディロ院長が邸にいらっしゃった。

わたしの結婚を祝福するためということだったけれど、わたしはそれよりも、あの絵の感想を伺って、更にあの絵を完全なものにすることで頭がいっぱいだった。


オディロ院長はわたしの絵をご覧になって、とても褒めて下さった。

でもわたしはもちろん満足できない。

わたしは、他の騎士さまからうかがったマルチェロさま像を語り、オディロ院長にもぜひ足りない点を教えてくださるよう頼んだ。

オディロ院長は、穏やかに微笑まれた。




「ご令嬢、名匠と評される者は、天の御使いに近いようにも、そして地獄の魔族に近いようにも、人の子を描くことが出来るというのう。人というものは様々な面を持っているものじゃ。じゃから真の名匠とは、その全てを混ぜ合わせて描くことによって、一枚の絵で、その者の全てを描き切ることが出来る者のことではないかのう。」

わたしは、その答えに何かをはぐらかされたように感じた。

わたしが知りたいのは、わたしの絵に足りないとオディロ院長が感じられるもの。

それを教えてもらえれば、きっとわたしはマルチェロさまを描き切れるはずなのだ。

わたしがそう言ったら、オディロ院長は長い髯と大きな帽子に埋もれたようなお顔の中の目を細められた。




「マルチェロは、天使のように可愛らしい子だよ。もっと可愛く描いてくれんかのう。」

「え?」

わたしは、思いもかけない言葉に声を失った。

オディロ院長は椅子を下り、


「では、良い絵を描いて下され。それでは。」

と、退出なさってしまわれたのだ。










その夜。

わたしは創作メモの全てを織り込んだマルチェロさまの絵を想像した。

途中までは上手くいきそうなのだ。

なのに、最後にオディロ院長の「もっと可愛く描いて下され」という言葉を織りいれると、途端に想像は飛び散ってしまうのだ。

わたしは、ああでもない、こうでもないと何度も何度も寝がえりを打った。










数ヵ月後。

わたしは婚礼衣装を身に纏い終わったところだった。




「まあよく似合うこと。あなたも立派な花嫁になれたわね。」

お母さまが満足げに仰る。


「ところで娘や、本当にあの絵は置いて行っていいのかね。嫁入り道具にするためにあんなに一生懸命描いていたというのに。」

お父さまが心配なさって仰るのに、わたしは答える。




「ええ、もういいのお父さま。わたしにはあの絵は完成させられないということがよく分かりましたから。」

「そうかね?」

「はいはいあなた、もう馬車が出発します。」 納得のいかない顔のお父さまを、お母さまが急かした。











わたしの婚礼の式には、オディロ院長も、そしてマルチェロさまもいらっしゃった。

わたしは花婿よりも先に、マルチェロさまの凛々しいお顔を窺った。




結局、わたしは画家になろうとしなくて正解だった。

人の形は画紙に写し取れても、人の魂まで写し取ることは出来ないくらいの技量しかなかったのだから。




でも

と少し思う。




もしかしたらそれはわたしの技量が足りないのではなくて、このマルチェロさまという方が、描き切るにはあまりに複雑で重層的で、そしてた矛盾した方だったからではないかしら、と。





「だとしたらあの方は、聖者の所業と同時に、魔王の所業をなさる方に違いないわ。」




わたしの呟きが耳に入ったのだろう、わたしの花婿さまが怪訝な顔をなさった。

このわたしの未来の旦那さまなら、カンペキに描けるわ、きっと。






2010/8/14




一言感想「マルチェロに肖像画モデルに頼むのに、結局いくらかかったんのだろう?」
可愛い娘のために、相当な額をはたいたのであろうお父さんに敬礼!

名匠を目指すことを断念りそこなった令嬢ですが、オディロ院長がいじわるをしたからだという気がせんでもない。



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